波之上宮から孔子廟へ  〜沖縄ちょぼ旅 BLOG 8〜

青黒い大鳥居をくぐり、ゆっくりと石段を上る。「波之上宮」の鳥居は石造りや木材ではなく鉄製のため、黒色の重厚な顔をしている。戦争で社殿などほとんどが焼失したが、完全に復旧できたのは50年後の平成6年とある。くろがねの鳥居も比較的新しいに違いない。

沖縄総鎮守で正月などには人出で溢れかえるほど人気のある神社らしいが、社殿も境内もそれほど大きくはない。

本殿に詣でたあと、境内を巡り裏側に回りこむと、断崖の上に建つ神社だとわかる。かつては並ぶものがないほどの景勝地という案内に、ようやく納得することができた。振り返り神社を背にすると目の前には「波の上ビーチ」が広がっていた。

しかし、浜辺は目一杯のクレーンや機械で占拠され、大がかりな何かの工事の真っ最中だ。このあと行こうと思っていたが、今日は止めてルート変更をしよう。


ルート変更し隣接する 「護国寺」 を訪問した。 「波之上宮」 の別当寺として建てられた沖縄最古の寺である。このあたり一帯は旭ヶ丘公園となっており、寺の周りには碑が多く、高低差のある変化に富んだ緑地になっている。風の音や野鳥の鳴き声だけが聞こえる心地よい静けさだった。

さらに南に下ると、孔子廟と書かれた自然石が通り沿いに置かれていた。正面の門は固く閉じられており、門の上に 「至聖廟」 と大書された扁額がかけられている。

儒教の祖である孔子を祀った霊廟は日本各地に点在し、東京の湯島聖堂もその一例である。中国のものが日本にできたのは、徳川幕府が存続安泰に有効な ”論語” の儒家思想を正統な学問として奨励したことに始まった。

至聖廟(久米孔子廟)の大成殿

本門わきに小さな扉が開いているのを発見したが、勝手に入るのも憚りがあり、また去りがたくもあり、うろうろ躊躇していると、中から談笑する大きな声が聞こえてきた。2つの観光グループが鑑賞回遊中に発した声であることを確認し、意気軒昂に入場。

中はパティオ風の敷地内に堂や廟の建物が4つ、孔子を祀った大成殿を正面に据え両翼に並んでいた。

案内図

[写真をクリックすると大型に]

天尊廟の中に三国志で広く知られる関羽が祀られていた。学問の象徴が孔子であるのに対し武の象徴が義に生きた関羽である。しかし孔子廟はともかく、この関帝廟(中国人は関羽を祀る霊廟をそう呼んでいる)は中国ではポピュラーでも日本では馴染みもなく、横浜中華街のような中国人街にあるだけである。早速訊いてみることに....

やはりこちらの至聖廟は日本人が学問所のそばに建てたような孔子廟ではなかった。現在地より南に2ブロックくらい下がった場所に久米という地区があり、昔は中国皇帝からの正使や派遣された中国人がそこに居留し、時代が下るにしたがい自然に住み着いていったとのこと。そこで建てられた孔子廟だったが、太平洋戦争で全焼失し、1975年に現在のところに復元したようである。孔子廟ひとつの背景でも歴史の永さと戦火の大きさを感じさせられる話であった。

孔子廟を後にし、そろそろ探索も終わりにしようとまっすぐ国道58号線の方へと足を向けた。夕暮れが近いというのに暑さはいっこうに衰えない。久米南の交差点を渡ると右側に「かき氷」の文字を見つけた。店の名は ”千日” という。躊躇なく店に飛び込む。

やや広めの食堂といった感じで丸テーブルに真っ白な椅子が涼しげに並ぶ。扇風機がゆるゆると回っていて、気さくでのんびりとした雰囲気だ。セルフサービスなので厨房カウンターに行き、数種類あるかき氷のメニューから「氷いちご(300円)」をオーダーする。創業は50年以上も前でぜんざい中心のお店らしい。

氷の掻く音が心地よく、あたりの暑気をはらってくれる。「できました!」の声に誘われ、カウンターまで取りに行くと大きな山のようなかき氷が待っていてくれた。口の中でほどけて溶けてゆくその冷たさは、なによりの御馳走だった。
泊港から始まった「ちょぼちょぼ旅」も本日は店じまいにしよう。


「波之上宮」のガイドページへ


千 日

住所 那覇市久米1−7−14
電話 098−868−5387
営業時間 11:30〜20:00
        月曜定休
交通
 ゆいレール 旭橋駅より徒歩15分
 BUS バス停 「西武門(にしんじょ
     う)」 下車1分
 車 那覇空港より 15分(国道58
    号線北上−泉崎交差点の信
    号を左折−久米南の交差点の
    手前左手)

HOME




ガイドページ


旅BLOGの記事一覧

東京おもしろ図鑑のサイトへ