ひめゆりの少女たちを訪ねて              〜沖縄ちょぼ旅 BLOG 18〜

国道331号線を東へ向かって走行する南部循環バス。今まで閑散とした道路沿いが急に賑わってきた。車内の案内では次の停留所 「ひめゆりの塔前」 が表示されていた。バスを降り国道沿いに「ひめゆりの塔」の方向へ歩いたが、居並ぶ店の表情や観光客を呼び込む声などまるで温泉街の感がある。

ひめゆりの塔の敷地入口では献花用の花束を売っている。売っているのは見るからに元気な ”おばー” が2人。沖縄では中高年の女性をそう呼ぶ。彼女たちは長い間培った知識のすべてを次世代の ”おばー” へと伝えてゆく強力なコミュニティを形成しているのである。この慣習形態は沖縄全域に及ぶ。

筆者も花束を求め、しばらく ”おばー” と立ち話をしたが、実にたくましく威勢がよい。たくましいという傾向だけなら、なにも沖縄に限ったことではないが。

「ひめゆりの塔」の前に献花台が置かれていた。 黙祷したあと気が付いたのだが、「ひめゆりの塔」の真ん前にぽっかりとマンホールのように口を開けている洞窟があった。柵から身を乗り出して覗いたが、かなり深く中は漆黒の闇へとなだれ込んでいた。

その闇の中の洞窟こそが、「ひめゆりの塔」 の最後の舞台となった陸軍病院第3外科壕であった。

太平洋戦争末期、激しい地上戦が展開される中、看護活動のため学徒動員された222人の少女たち。上陸した米軍の激烈な一掃作戦に追われ、遂には南のこの地まで追い詰められてゆく。大体の経緯は映画や書物などで知っていたが、その知識たるや表層のほんの一部分でしかなかった。

ひめゆり平和祈念資料館

少女たちで編成された”ひめゆり学徒隊” の凄惨な3ケ月を、過不足のない事実だけで淡々と伝える 「ひめゆり平和祈念資料館」。慰霊碑に隣接するように設けられたこの資料館は館内撮影禁止のためサイトページではご覧頂けないが、展示室ごとにテーマを分けコースを巡るだけで当時の実態が理解できるようになっている。

初期の写真に見るあどけない少女たちの笑顔。大量に運び込まれる負傷兵の看護の日々。暗い壕の中で激務に追われ心身ともに疲弊してゆく少女たち。そして突然の ”解散命令” で戦場を彷徨する終章。


コース途中に壕(”がま”とも云う)の実物大のジオラマがあった。彼女たちが立ち働いた洞窟のジオラマである。そこを覗くと暗闇の中にひとすじの光が天井から降っている。その天井の光源はさきほど地上で見た足元のマンホールのような穴から射す陽光を想定して造られていた。

そして館内には説明員たちが常駐しており、その大半がしらゆり学徒隊の生存者たちで構成されている。彼女たちの説明の中でつぶやくように「生きてしまった」という言葉が何度か聞かれた。「生き延びた」や「生き抜いた」ではない。目の前で失った友人のこと、あるいは軍の強制的な解散命令のため負傷して動けない友人を残し逃げざるを得なかったことなどへの積年の思いが込められているに違いない。そのひとつの静かなつぶやきは百の説明以上の力で真実を伝えてくれた。

いずれにせよ、この資料館は沖縄最終戦の3ケ月をひめゆり学徒隊を中心に据え、あますところなく沖縄戦の実態を伝えている。風化することがないよう願うばかりである。
表に出て歩くうち、目の前に赤いポストが飛び込んできた。その微笑ましい姿に思わずホッとする。

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