2009年8月アーカイブ

ハーフライティングにした部屋で、ガラスの妖しい色が交錯する。かなり広めの部屋だが、パーティションはまったく無く全域をすみずみまで見渡すことができる。抑えめにした照度の展示室で、ダウンライトやディスプレイ台そのものの照明などで、鮮やかに浮かび上がるガラス工芸品。

ラピスラズリ(青金石)を思わせる瑠璃色の大皿が深い青色で周りを染める。真っ赤に見えた花器が近づいて見ると黄色がかった茜色に変わり、さらに立ち位置を一歩動くと紅に変化するといった具合。

ここは琉球ガラス村にあるガラスギャラリーの展示室である。展示室の作品は販売されてもいるが、公募展などで受賞した作品などを含むため撮影が禁止されていた。ここでご覧いただけないのが残念だが、その様々な光と色が網膜に焼き付いてしまうような経験であったことを付記しておく。

ガラス村はエリア内にギャラリー、ガラス工場、ショップ、レストラン、陶器工房などの施設を有している。
    

施設をサラッと観て回ったが、最初に飛び込んだギャラリーの一部作品がとても素晴らしくて印象に残り過ぎたせいか、ショップのガラス製品や他にはほとんど食指が動かなかった。

むしろ施設まわりに施された単なる飾り効果の円柱や壁画のモザイク張りの方が楽しめた。外の回廊のベンチでひと休みした時、ちょうど夕暮れになる直前の陽光がそれらに当たり、装飾以上の効果を演出していた。

喜屋武岬への遠征から始まった一日もようやく終わりが近づいてきたようだ。糸満バスターミナル経由で那覇まで帰らねばならない。バスの連絡も潤沢ではないので、そろそろお神輿をあげよう。

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沖縄にとっての終戦記念日は6月23日になる。太平洋戦争末期、日本国防衛の最重要拠点としての重責を担い、沖縄全島が戦火に巻き込まれゆく。しかし軍と沖縄総出の必死の防衛も空しく凄惨な沖縄戦も米軍制圧という結末を迎える。昭和20年(1945)6月23日、太平洋戦争終結の2ケ月ほど前のことであった。

毎年この日に”慰霊の日”として沖縄全戦没者追悼式が糸満市にある平和祈念公園で挙行される。今日はこの平和祈念公園を訪問し、たっぷり半日くらいの時間を使うつもりで出掛けてきた。平和集会の模様が毎年全国報道されていたので、かなり広い公園で美しい海に面していていたのを記憶していたからだ。

バスを乗り継いで1時間強で平和祈念堂前のバス停に着いた。幅広い国道331号線は真夏のような太陽を照り返し、空は抜けるような青色。その空へ真っ白な塔が伸び上っている。平和祈念堂である。

前日ネットで平和祈念公園を予習すると、その敷地の広大さは筆者の想像をはるかに超えるものだった。だからおおよその回遊順序を決めていた。 ...のだが、平和祈念堂の裏手に見える深緑の野原に誘われ脱線しそうだ。


やはり脱線してしまい、緑あふれる野原を歩き回るうち、計画コースなど雲散霧消してしまった。重要な施設は中心部に集中しているのだが、周辺には多目的広場、ピクニック林間広場、展望広場など多く、自分の位置などは当然見失い、どの広場なのかもわけが分からなくなるのである。

野原の一本道を歩いていても、暑さを削ぎ取ってくれるように風が通り過ぎてゆく。ところどころで海が視界に入ってきたりと実に心地よい時間がゆっくり進む。

外郭のいくつかの広場を散策した後、平和祈念堂に戻り入館する。照明を落とした内室に入ると、両手を合わせ祈りを捧げる12mもの座像が鎮座していて堂内を圧していた。大きな坐像そばから地下へ降りる階段があった。まるで潜水艦のブリッジへ降りる階段のように極端に狭い。案内板があり、世界各地から寄贈された世界平和の願いを込めた霊石が展示されているとのこと。

ショウケースに陳列されている72ヶ国158ヶ所から寄せられた石たち。太古の昔より石や岩などには霊力や神異が宿る伝承が世界各地に残されている。様々な表情をした石を眺めているとそんなことがふっと頭の片隅をよぎって行く。

堂外に出ると太陽の強い日差しが一瞬まぶしく、しばらく佇んでいるとこの位置が公園内でもけっこう高台にあることが判った。南東方向にうっすらと蜃気楼のように浮かんでいるモダンな建物が 「沖縄県平和祈念資料館」 に違いない。次に向かうターゲットにした。

イギリス、スウェーデンなどから寄贈された霊石  平和祈念堂から見た資料館


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リゾートホテル然とした近代建築の建物が 「沖縄県平和祈念資料館」 である。大型でどっしりとした建築は充分過ぎるほど立派だが、内容が小型軽量過ぎるのでは.....というのが正直な感想だった。

決して比較するものではないが、はるかに小さい建物で運営する「ひめゆり平和祈念資料館」の平和を希求する必死さと切実さは鑑賞するものの心を打つ迫力があった。こちらの資料館の内容が小型軽量などと表現したのは、そのせいだろうか。

写真左:平和祈念資料館の入口  右:展示されている魚雷と背景の大型建物が資料館

資料館から内側すなわち海側には全面芝を敷き詰めた内庭のようになっており、建物前には戦争で使用された赤く錆びついた魚雷や機銃が展示されていた。そこから海側へ向かうとおびただしい数の花崗岩の石板が並んでいた。ここが「平和の礎(へいわのいしじ)」と呼ばれる公園でも重要な場所のひとつだ。

この沖縄戦で犠牲になった戦没者は攻守合わせて24万人以上になるという。しかもその大半が沖縄住民の犠牲者で4人に1人が落命したと聞いた。

石碑には沖縄戦での戦没者攻守共に2万4千人あまりの氏名が刻まれている。今なお犠牲者の詳細が判明すると刻銘追記が続いている。

刻銘碑にあるネームリストを食い入るように探す若いアメリカ人カップルがいた。名前を探すということは家族か親戚がこの地で亡くなったからだろう。
日米肩を並べて名を探す光景は、一瞬戦争を遠い過去のものに思わせてくれる。しかし沖縄の受けた傷を完全に癒やすには、さらなる歳月が必要となるだろう

「平和の礎」からすこし南の方向に丘が見える。「摩文仁の丘(まぶにのおか)」と呼ばれる、平和祈念公園の最も奥まったところに位置する聖域である。太平洋を一望する高所で、1km近く続く細長い傾斜面には数えきれないほどの慰霊碑や塔が建つ。

そこは戦没者墓苑になっていて、県ごとの区域に分かれ各県の意匠による慰霊碑が建立されていた。その先は山肌を縫うように小道が整備され、途中には休憩できる東屋、壕跡へ続く階段なども発見できた。あたりは静謐な空気が支配しているが、自然の息づかいを感じられる穏やかさがあった。気が付くと 「摩文仁の丘」 だけで2時間もの時がさらっと流れてしまっていた。

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平和祈念公園で半日以上もゆっくりしたため、予定を変更し糸満に戻ることにした。糸満BT(バスターミナル)行きのバスに揺られ通り過ぎる景色を眺めているうち、糸満市街の散策を思いついた。

今まで糸満にはBTでのバス乗り継ぎしか利用していないのである。今日残っている時間で回遊するには、ほどよいターゲットだ。終点BTの少し手前になる糸満ロータリーでバスを降りた。

そこは観光色のまったく無いさっぱりとした町並みがあるだけだった。ロータリーに面した交番が見え、その背後に小高い丘がある。丘への道を尋ねようと交番に近づくと、交番のそばに裏手へと繋がる路地を発見。やはり交番裏にその高台へと昇る階段が、25m上の頂上に向かって続いていた。

頂上は公園のようにベンチや展望塔などが設営され、近所の子供や年寄りが散見できた。旅行者や観光客らしき人など皆無で静かなものである。糸満市街地を一望する高台で、四方の様子が手に取るように分かる。

昔よりある石灰岩丘陵のこのあたりは「山巓毛(さんてぃんもー)」と呼ばれ、ここよりすこし北にある「白銀堂神社」と一緒に ”漁業漁村の歴史文化百選” に選ばれた場所であった。 「山巓毛」 の名を刻んだ石碑が根元から折れ転がっていたが、荒んだイメージはまったく無く、むしろ素朴な情景を造っている。

東シナ海側にはこの位置から撮影された戦前の写真がパネルで展示されていた。戦争で焼失する前の美しい糸満の町並みが、淡色のなかで輝いていた。

この「山巓毛」は歴史的謂われも残っており、詳細は当サイトのガイドページを参照されたいが、いずれにせよ一般の旅行ガイドには載っていないので、旅行者にとって恰好の休憩穴場と云える。

ロータリーに戻り、漁港のある西の道へ入り歩いていると、面白い看板が目に飛び込んできた。「冷し物専門店 まるみつ」とある。看板をよく見れば聞きなれない”冷し物”が”かき氷”のことだと判明。理解すると同時に手が扉を開けていた。”かき氷”フリークの筆者としては当然の条件反射的反応だ。

メニューには50以上の品目があったが、定番の ”白熊” をオーダーする。

ご存知ない方に簡単に説明をすると、”白熊” とは鹿児島で生まれた練乳をかけるかき氷。
看板にあった ”みぞれ” は、残念ながら最近消えつつある色のつかない砂糖蜜をかけただけのシンプルなもの。

”ぜんざい” と書かれているが、本土で云うところの小豆(あずき)と餅入りの熱い ”ぜんざい” ではない。沖縄で ”ぜんざい” と云えば黒糖で煮た金時豆を冷し、上からかき氷をかけたものが一般的なのである。

やってきた”白熊”は写真の通りのクリスマスツリー、テーブルにこぼさず片付けるのは至難の技だった。

身体をクールダウンさせ、再び回遊へ。かき氷屋さんからすぐのところに糸満公設市場があった。午後2時頃までにはほとんどが店仕舞いとなる東京築地に較べ、ここは夜まで営業しているらしい。しかし店に尋ねるとやはり最高潮の時間帯は朝7時頃とのことだった。

目に鮮やかな魚やフルーツが沖縄であることを思い出させてくれる。肉、野菜、総菜と何でも揃う。売り手はもちろん”おばー”がほとんどで、彼女たちの大活躍の舞台でもある。菓子類も種類が多く色や形も多彩。

質問すると誠実に答えてくれ、時には客のはずの”おばー”まで参加し補完説明を加えてくれる。餅は杵など使わず手でこねて作るといった具合に教えてくれるのである。旅行者にとって、まことに有難い人たちである。
珍しい菓子を質問しながら買い食いをする。味の散策もまた楽しからずやだ。

市場入口の戻ると道路を挟んで正面に漁協の建物があった。漁協を抜けると漁港のドックへ出た。ドックは線を引いたように真っ直ぐ北に伸びていて、”ハーレー”のレース場になるのも頷けた。年一回の”ハーレー”は、海人(うみんちゅー)である糸満の人たちにとっては重要な神事の舟競漕で、この漁港がレースの会場になるのである。

だが今は風だけが水面をすべってゆく。陽が沈む寸前の東シナ海が朱色に染まってきた。平和祈念公園で始まった長い一日も終わりに近づいた。そろそろBTに向かおう。


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丸三冷し物専門店

住所 糸満市糸満967-27
電話 098-995-0418
営業時間 11:00〜20:00
        日曜定休
交通
 那覇空港より20分(国道331号線を南下−糸満ロータリーを右折−スグ左側
BUS 糸満ロータリー前から徒歩3分

前回の南部歩きは平和祈念公園から糸満市街まで西側を廻った。今度は東海岸から南下しようと安座真港(あざまこう)を目指した。那覇BTから志喜屋線38番バスで向かう。西から東へ中城湾(なかぐすくわん)のえぐられたような海岸道路を横断し、50分ほどで安座真サンサンビーチ入口に到着した。

安座真港

バス停のある国道から海辺へ入り込む道を進むと小さな港にぶつかった。安座真港だった。ビーチらしきものなど見当たらない。海と山に挟まれたのどかな港町だった。

右手に見える堤防へと歩いて行くと、堤防そばに船客待合所があった。この港に「久高島(くだかじま)」への定期航路があることを知る。

建物内にある乗船券売場の男性係員としばらく立ち話をして、久高島やサンサンビーチの情報を得た。久高島はかなり自然が残された島らしく魅力的な情報ばかりであった。後日必ずこの場所に戻ることを約して船客待合所を後にした。

係員の説明通り「あざまサンサンビーチ」は堤防を越えた南側に横たわっていた。空の青と海のやや緑がかった青が水平線でせめぎ合っている。今日も暑くなりそうだ。


あざまサンサンビーチ

460mもある白い浜辺には外海から渚を守るように丸みのある堤防でふたつの入り江が形成され、遊泳用とマリンスポーツ用とに使い分けている。水際を南へ歩いたが、かなり透明度のあるビーチだったが、ここ以上の透明度があるという久高島に一層の興味が湧く。

人工ビーチとして造成され2000年4月にオープンしたこの 「あざまサンサンビーチ」 は、日陰をつくる東屋ビーチハウスが連なり、設備は充実していた。結局このビーチの南端まで歩いたがかなり広い浜辺で、一日中遊んでも不自由のないビーチと云える。

                                    知念海洋レジャーセンター

南端からそのまま国道に出ようとしたら、小さな建物の裏に出てしまった。正面に廻り込むとグラスボート(海底鑑賞ガラス底ボート)が係留してある。手作りのような看板とマリン全般の値段表を掲げた知念海洋レジャーセンターという建物であった。

ダイビングから無人島コマカ島への航行まで、マリンアクティビティー全般を網羅するサービスショップだ。”海ぶどう狩り”、”珊瑚礁と熱帯魚の生態観察” など面白そうなメニューまである。機会があれば無人島に渡るのも悪くない。

ショップ前の坂道を上り国道に出ると、国道沿いに魚が泳ぐ「知念海洋レジャーセンター」の入口案内ポールが立っていた。まさに逆行してきたことになる。

さてこれからどっちに行くかだが、この国道331号線を北に向かえばサンサンビーチ入口のバス停に戻ることになる。南に進めば「知念岬」や「斎場御嶽(せーふぁうたき)」に行ける。当然南に進むことにしたのだが、徒歩かバスかで迷ってしまった。

清水義範の短編「バスがこない」が頭に浮かぶ。バス停でひとつかふたつくらいの距離なので倒れない程度にちょぼちょぼと歩くことにした。


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知念海洋レジャーセンター

住所 南城市知念字久手堅676
電話 098−948−3355
営業時間
9:00〜17:30(4〜9月)
9:00〜17:00(10〜3月)
無休
交通
 BUS 那覇BTより50分−バス停 「知念海洋レジャーセンター前」 下車1分
 車 那覇空港より 45分(国道329号線を与那原方面へ−与那原警察署前で国道331号線へ−知念海洋レジャーセンター前を左折)

なだらかで長い上り勾配が終わったところにコンビニがあった。そのそばにある道が「知念岬」に行く道路にちがいない。ファミマで買い求めた冷たいお茶を飲みながら、国道331号線から海側に曲がり込んでいるその道に入った。

その道がつきあたったのは海ではなく体育館の建物だった。しかし体育館の横まで回り込んだ時、いきなり視界がパノラマ状態になった。

前方180度がすべて海。現在立っている位置が相当な高所であることが一瞬にしてわかる。

岬なので海岸線の先端部が高台にあることは容易に想像できたが、今の場所からはその先端部を見下ろすかたちになり、突端までかなりの距離があることが見てとれる。

簡単に表現すると、海面が1階なら岬の突端が2階、今居る体育館横が3階ということだ。3階から2階にかけての一帯が、綺麗に整備され公園になっていた。公園の先は海、また海が広がっている。

階段を降り遊歩道を歩き、岬の先端広場に近づくにしたがい海にせりだしてゆく感覚になる。180度の視界が200度、250度と広がってゆく。


2000年にオープンしたばかりの新しい公園である。東海岸ならではの特徴になる朝日が昇る朝焼けは絶景との評判で、今では新年の”初日の出”を拝む来訪者が年をおって増えているらしい。敷地内には”陽迎の広場”と”オーシャンビューの広場”のふたつが造設されている。何を特徴とする広場か、一目で判るネーミングだ。

公園の造りもシンプルなオブジェと東屋休憩所を設置しただけのいたって素朴な施設に仕上げてあり、まだ知られていないせいか訪問者もなく、時間を忘れそうになるほど居心地は抜群。

オーシャンビューの広場からは、真東に神の島「久高島」が視認でき、南東には小さな無人島「コマカ島」もぽっかり浮かんで見えている。海の島々を眺めているうち、知念海洋センターで聞いた「ウカビ砂盛」を探していた。

季節によって移動する白い砂浜だけの島。珊瑚礁の上にできた500平方mほどの砂山。海面に浮かぶその白い砂浜は満潮時でも水没しないと云う。

この滞在中に、必ずひとつの島くらいは船で渡ってみよう。


公園内を歩いて気が付いたのだが、ここはかなりの高低差がある施設なのでビューポイントの変化が多く景観が変わるだけでなく海の色まで変わるという面白さがあった。もうひとつあった。照明設備がフットライト以外見当たらない。造りがシンプルなだけ誰の目にも明らかだろう。

夜間訪問者など無いからなのだろう程度に考え、出口への階段を上っていると公園関係者と思われる人とすれ違った。筆者の質問に快く答えてくれた。

やはり理由があった。星座鑑賞の障害にならないよう背の高い照明をひかえているとのこと。ここは星が綺麗に見える場所であるらしい。こういった表に現れない配慮が嬉しくなる公園だった。

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知念岬公園から国道331号線に戻り国道沿いの知念郵便局を右折した。単調な道だったが、時々道端に咲く南国の花が迎えてくれる。けっこうな上り勾配をダラダラ歩いて行くと老人ホームのちょっと先に斎場御嶽(せいふぁうたき)の文字を発見した。やっと到着したようだ。車なら数分の距離だが歩けばタフな距離だ。

右には駐車場、左手には斎場御嶽への入路になる建物 ”緑の館・セーファ” がある。建物への入館料を入口で支払うのだが、これが斎場御嶽への入場料に相当する。館内を通り抜けないと地域内へ入れないルートになっているからだ。

歩きで大汗をかいたのでその館内でしばしクールダウン。休憩室はそれほど大きくないが、自販機や壁には経路マップや説明書きが展示されている。

山間にある広大な聖域。琉球石灰岩を敷いた道を進むにしたがい、鬱蒼とした樹林や巨岩が霊威を感じさせる。

古代から中世初期にかけては、洋の東西に限らず神と政治は密接に結びついていた。琉球王府もその例にもれず、”祝女(のろ)”と呼ばれる巫女が活躍をしたようだ。なかでもその最高位とされていた”聞得大君(きこえおおきみ)”は強大な権力を有していたという。

そしてその職位は代々王族の女子が継承するが、継承式は国家的祭事として盛大に挙行されている。その舞台がここ斎場御嶽だった。

左:三庫理 右:三庫理の奥にある遥拝所で久高島が望める

国家的祭祀場であった斎場御嶽にはとくに霊威の強い神域がいくつかあり、そこが拝所になったとある。そのひとつ ”三庫理(さんぐーい)” は特に印象深い。

巨大な鍾乳石の石板が片側にもたれ、三角のアーチができている。そこをくぐり奥へ入ると1,2名しか座れない拝所があった。正面には岩陰を覆うような樹の枝が緑の窓をつくっていて、窓からは久高島の島影が見ることができた。

琉球を創った祖先神”アマミキヨ”ガ「久高島」に降臨し、後に本島南部に移動し七嶽(ななたき)を創ったと伝承されているが、その七嶽の最大なものがここ斎場御嶽と信じられてきた。

敷地内を歩くと空を塞ぐように伸びた樹木のせいで熱気も地上まで届かないのか、空気がひんやりとして聖域らしい空気が充満していた。短い訪問ではあったが、少し気を養うことができたように感じる。いや単に気のせいでそう感じただけかもしれない。

斎場御嶽を後にして国道331号線にもどるべく歩くうち急激に空腹を覚え、来る時見たこの道沿いのお店に入ることにした。ログキャビン風のお店の名は「Roaster Cafe Jyo Goo.」。焙煎コーヒーカフェ、ジョーグーと看板にあるが、もちろん食事もできる。

早速入店しパスタと食後のコーヒーをオーダー。メニューにはオムライスなどの洋食プレートもあり守備範囲は広い。表からは2階建に見えたが、実際は3層になっていた。店内も個性があり、雰囲気もかなり良く居心地は悪くない。

今日は朝の安座真港からずっと「久高島」の名がついてまわる1日だった。しかしたった1日で、このちょぼちょぼ旅が終わるまでに行かねばならない場所として心に居座ってしまったようだ。

運ばれてきたパスタを一口食べると、これがイケる。食後の焙煎コーヒーもさらにGOOD。テラスから海面を眺めながら閉店時間を尋ねると、日没という粋な答え。すっかり嬉しくなり、今日の旅は終わりにし看板まで居座ることにした。


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Roaster Cafe Jyo Goo.

住所 南城市知念久手堅311
電話 098-949-1080
営業時間 11:00〜日没
        月曜定休
交通
  那覇空港より60分(国道329号線を与那原方面へ−与那原警察署前で国道331号線へ−体育センター入口の郵便局を右折
BUS 那覇BTから60分−バス停 「体育センター入口」 徒歩2分

午前中に終わる予定だった所要が午後にまでこぼれてしまった。今日はターゲットにしていた南部への旅をあきらめよう。そこで近場の中で以前訪問できなかった首里城を訪ねることにした。

前回の首里訪問では石畳道に時間をかけすぎて、守礼門前のお店でかき氷を食べながら眺めるだけに終わってしまった首里城。今日は首里城でゆっくりしよう。

今回は首里駅から歩きでなくバスを利用し無事到着。TVや雑誌ですっかりお馴染みになっている守礼門をくぐり城郭の方へ歩いて行くと、沿道左側に世界遺産の案内が目にとまった。

園比屋武御嶽石門の門内

世界遺産に指定されたこの園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)の内側には茂み豊かな深い杜(もり)が横たわっているだけ。

御嶽は神への祈りを捧げる聖なる場所を指す。城に付きものと云ってしまえばそれまでだが、この杜には拝殿も本殿も無い。杜そのものを本殿となし、この石門を拝殿としていたと伝わっている。

石門の前を通り越すといよいよ城内への第1門となる”歓会門”が右手に見えてきた。と同時に左手には杜を分断するような石階段が人を誘うように下っている。

気持ちは首里城ながら、足は階段を降りて行く。単調な風景ならすぐにでも引き返そうと及び腰で降りはじめたのだが、下るにしたがい美しい視界が広がり結局のところ石階段を元気よく降りきってしまった。

                           立ち止まりこちらを観察するバリケン  

階段下の道はふたつの池に挟まれた白い道。左は濃い緑色を湛えた”龍譚池(りゅうたんいけ)”、右には陽の照り返しを水面に溜めた”円鑑池(えんかんち)”と仲良く並んでいる。

本当に素晴らしい眺めだった。人っ子ひとりいない。動くものは池のほとりをのんびり歩く水鳥のバリケン(鴨の一種)だけである。

このあたりのバリケンは近づいてもまるで怯えることもなく、とても人懐っこい動きをする。そのヨタヨタとした歩き方やひょうきんな表情は見ていて飽きない。龍譚池の方に多く棲みついているようだ。

”円鑑池”の中に浮島のように小さな御堂(弁財天)が建てられていた。浮島へ架けられた天女橋は琉球石灰岩を切石積みにした橋で、苔むした橋脚が時代の推移を伝えてくれる。


    円鑑池に浮かぶ弁財天堂

このふたつの池はいずれも人造池で、築造されたのが1502年というから、本土では室町時代後期のことである。首里城に近い円鑑地が少し高い地にあり、3mの深さをもつ円鑑池から溢れた水は隣の龍譚へ流れるように造られている。

今立っているふたつの池を分ける道が、実は小高い土手になっており”龍淵橋(りゅうえんきょう)”と呼ばれる橋だった。この橋から龍譚の水辺まで降りられるようになっている。降りて土手を見上げると、水位調整用の穴が穿たれた橋であることがあらためて判る。

あっちでウロウロ、こっちで何かを発見、そんな散策ができる場所だった。首里訪問の折にはこの場所へ立ち寄ることを強くお薦めしたい。

首里城正門になる ”歓会門”

寄り道から軌道修正し、首里城郭への第1門になる”歓会門(かんかいもん)”の前までたどり着いた。日頃見慣れた城門とは一線を画している。本土の城郭建築によく見られる渡り櫓門(わたりやぐらもん)ではなく、石造りの拱門(アーチ)上に木の櫓という重厚な門だ。両脇を堅牢な石像シーサーが固めている。

面白くなってきた。さっそく門をくぐり入城しよう。


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