戦後再生の拠点になった”やちむん通り”       〜沖縄ちょぼ旅 BLOG 35〜

牧志公設市場でレイトランチをとったあと、さらに南の奥へと探索の足を伸ばした。細い抜け道や裏道がアリの巣のように走っている。公設市場というと食材だけと思っていたが、奥には雑貨部や衣料部まであることを発見。そしてその奥には新天地市場、農連市場とまだ市場がひかえていた。

小路をめぐるうち”やちむん通り”に出た。

公設市場からほど近いところにあるのだが雰囲気は一変している。あわただしさなど毛ほどもなく、ゆるりとした空気が流れている。

沖縄では陶器焼物を親しみをこめ「やちむん」と呼ぶ。

道の両側にはやちむんの直売所や製陶工房が点々と個性的な看板を掲げている。

軒を連ねるような混んだ建て方ではなく、十分の距離を取って店を構えているので、客も落ち着いて鑑賞できる間がある。


やちむん通りに入ってすぐのところに壺屋焼物博物館がある。細長くひょろっと高い建物なのですぐに見つかる。壺屋焼をはじめ陶器焼物のことが短時間で簡潔に理解できる。

筆者のように焼物に門外漢なら格好の簡易学習センターになってくれる。知識を少し仕入れてからお店を回ると、お店からの説明まで面白くなるから不思議なものだ。

日差しの中に白く浮き上がる東ヌ窯のある建物

焼物もさることながら、製陶工房などの建物も実に個性的。新旧がうまく折り合いをつけたような独特の風情がある。

中でもひときわ年輪を重ねた外観の建物がある。「東ヌ窯(あがりぬかま)」と呼ばれる数多くの名品を生んだ製陶の窯がある建物で、私有地のため外観鑑賞のみとなっていた。

300年以上もつづいたこの焼物の町も太平洋戦争で一面焼け野原となったが、奇跡的に被災を免れたのがこの「東ヌ窯」だった。

ここに陶工が戻り、焼け残った窯で生活道具を焼き始めたのが戦後復興の端緒になったという。

1974年の廃窯になるまで活躍をつづけたこの名窯は、枯淡の瓦が美しい建物のなかで休息をとっている。

周りをぐるりと囲う石垣があるが、その中に組み入れられたシーサーが今ではすっかり風化してしまい獅子のレリーフをとどめていない。

じっくり観察すると、石灰岩の中にかすかに他と違う石が見つかり、うっすらとシーサーの姿が見えてくる...

瓦屋根のシーサーは時代がかなり下った後期に飾られたもので、それでも100年以上は経っているとか。


ひめゆり通りに接するところでやちむん通りが終わるのだが、その端に300年前に掘られたという共同井戸があった。沖縄は昔から渇水傾向にあり、ライフラインである飲料水など用水の確保は最重要事であった。そして水のあるところ必ずあるのが拝所という沖縄の風土。

今まで歩いてきた首里や南部でも、そしてここにもあった。水を享受する素直な感謝が”かたち”になっている。ここの「東ヌカー(あがりぬかー)」は本土と同じ汲み上げポンプの水場になっており、沖縄に来て初めて見たポンプ井戸だった。

今日の午後半日は国際通り、市場、やちむん街と歩き廻ってしまった。観光が前面に出された地域だが、一歩路地に入り込むと街角や路地裏にはしがみつくように生活臭が満ちていた。生活という2文字の漢字はそれぞれに「いきる」と書く。「いきる」ために費やされたエネルギーの跡がたしかにあった。

やちむん通りの案内(拡大)

写真左:ポンプ式共同井戸と拝所         右:焼物の案内板(クリックすると拡大)


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