2009年12月アーカイブ

国道の右側に富着ビーチが見えてきた。飾り気のない素朴な海岸が300mくらいだろうか つづいている。波音に誘われるように浜辺に出て穏やかな波が寄せては引いてゆく波打ち際を歩いてゆくと、ところどころにもずくのような海藻が打ち寄せられていた。

この海岸の海も透明度が高く水質の良い村営ビーチとの評判である。施設はトイレと小さな駐車場だけの浜辺だが、遠浅の美しい海だ。きっと絶品のサンセットが演出されるに違いない。

素朴な表情をした富着ビーチ

国道58号線の富着ビーチの反対側、つまり山側沿いには「フチャクリゾート沖縄」と大書された大型リゾートホテルのような建物が建設中であった。

ちなみにこのブログをつづっている現在、この施設が完成したようだ。

正式名も「カフー リゾート フチャク コンド・ホテルズ」と改名していた。

この施設は通常のホテルではなく、別荘コンドミニアムとして売り出され、オーナーが使用しない期間のルームを委託されホテルとして活用するスタイルである。

この10月には東京でも読売新聞紙に全15段広告を展開し募集をしていた。

富着ビーチへの訪問者にとって、使い勝手の良い施設になってくれることを願うばかりである。


                      タイガービーチへの入口道路は封鎖中

さて、旅をつづけよう。

富着ビーチをあとにして次のタイガービーチを目指し、ほどなく到着したのだが残念ながらタイガービーチは休止中。

浜辺へのアクセスも関係者以外は禁止されていたので断念する。

58号線もこのあたりから、ビーチ近くの海岸通りにありがちな賑やかさが見られるようになってきた。

地図をチェックすると、400mほどで次のムーンビーチだ。

賑やかになってきた国道沿いの店をキョロキョロ覗きながら歩いていると、高い位置に掲げられた ”ムーンビーチ入口” の案内を見つける。さっそくその道にもぐり込んだ。

細いその道のつきあたりには青くHOTEL Moon Beeachと書かれた白い建物が物静かにたたずんでいた。そして「ムーンビーチ」はホテルの向こう側で待っていてくれた。

ホテルを通り抜けテラスからビーチを見下ろすと、浜辺にはビーチパラソルが7重(7列の意)になって咲いており、白い砂浜は名前の通り半月の形を海に向けていた。その半月状になった砂浜の両脇が岩場や樹木で閉じられており、まさにプライベートビーチと云える。

プライベートビーチだが施設利用料を払えばビジターも利用可能になっている。そのビーチに出て海岸を少しだけ散策した。透明感のある海も清楚で、傾き始めた陽を返す波間も表面ではなく海中から照り返しているように美しい。

ビーチにあったマリンクラブの案内に、このホテルが所有している無人島の「ナップ島」ツアーがあった。40分で行ける無人島ではをさまざまな楽しみ方ができる。いずれ機会があれば是非参加したいツアーだ。

またまた58号線まで戻り、本日の最終地点に決めている仲泊(なかどまり)へ向かって歩いていると、道がふたつに分かれた場所にさしかかった。ひとつは仲泊の町と海岸線に近い県道6号線、もうひとつは今まで歩いて来た国道58号線。

ここはあえて国道58号線を選んで進むことにした。なぜなら58号線がそこからかなりの高所を大橋のように横切り、仲泊の町と海を見下ろす絶景を創りだしていたからだ。

海へせり出した58号線にはヤシ並木が(左) 58号線から臨む仲泊の町並み(右)

展望台と見紛うばかりの眺望をもつ58号線が1500mもつづく。景色を愉しむために立ち止まる必要がないほど長い道のりなので歩きつづけるだけで堪能できる。

かなり傾いた陽が最後の輝きで海面に光の川を描き、静かな仲泊の町並みの影が一幅の絵のように浮かんでいた。

仲泊の町が終わるあたりから58号線は大きく海上へせり出すように曲がる。そしてヤシ並木となり南国らしい景観に変わる。

国道58号線沿いに行く恩納村リゾートビーチの旅もそろそろ終わりにしよう。ブセナリゾートから瀬良垣まで11キロ、万座ビーチから仲泊まで11キロ、2回に分けての全行程22キロの海岸歩きで、久しぶりに海とのよりが戻ったように感じられる旅になった。


富着ビーチ

住所 国頭郡恩納村字富着

電話 098-966-1280
   恩納村商工観光課

施設 トイレ/駐車場 5台(無料)

交通
 車 那覇空港より 65分(国道58号線を北上−富着まで)

 BUS 那覇BT 75分(名護西線20番)−バス停 「富着」 下車5分


ムーンビーチ

住所 国頭郡恩納村字前兼久1203

電話 098-965-1020
   ホテル ムーンビーチ

施設 施設完備(ホテル運営)宿泊者無料/ビジター有料(500円)

交通
 車 那覇空港より 60分(国道58号線を北上−ムーンビーチ前の信号を左折−ホテルムーンビーチまで)

 BUS 那覇BT 70分(名護西線20番)−バス停 「ムーンビーチ前」下車7分

バスが大きく左へ曲がり国道58号線から分かれた県道6号に入った。この県道は狭いが両側には店が立ち並び、賑やかに人が行きかっている。濃厚な生活臭のある風景だ。

今日は本島の中北部西端、残波岬を訪問すべくバスに乗り込んでいる。しかし、この残波岬までたどり着くバス便はまったく無いのである。以前は岬前まで路線があったようだが今は廃線となっていた。バス旅行ではかなり不便な目的地であることはすでに予習した時に判明したのだが、あえて挑戦することにしたのだ。

岬に一番近いバス停が終点の読谷BT(よみたんバスターミナル)だった。その終点ポイントから岬まで2.5キロも距離を残している。つまり急ぎ足で50分近く、ゆっくり歩けば1時間以上かかることを意味している。ネットのガイドページには徒歩30分とあるが、走ってでも計測したのかと云いたい。

いずれにせよ沖縄本島がアメリカのような車社会地域であることを再認識させられる一事ではあった。

米軍施設 トリイステーションの入口

アメリカと云えば、途中 楚辺というところにあった米軍キャンプのゲートに鳥居が立っている不思議な光景を見た。

ゲートに鳥居を建てるのはよいとして、入口と出口にそれぞれ建っているので二つ並列で並んでしまっている。

縦列に重なる鳥居はあっても横に並ぶ鳥居など聞いたこともない。

本来鳥居は神域と俗域の境を示すもの。米国人が神にでもなったと勘違いするとは思えないので、洒落たつもりなのだろうが滑稽と云うほかない。ちなみに後日調べるとこの米軍施設は「トリイステーション」と名付けられていた。

子供のように車窓に張り付いていたことに気付き、シートに深く座り直すと、前席のシートカバーに落書きを発見した。

叶わない恋もある あきらめてしまえ

            叶わない夢はない あきらめるな と書かれていた。

感情の高ぶりのまま書きなぐったような文字だった。薄くなりつつあるその文字を残そうとでもしたのか、上から濃いマジックで重ね書きがしてあった。重ね書きの人物は別の人物と判る。なぜなら筆跡が違うことと、恋と云う字を間違えて重ね書きをしているからだ。

なかなかの名句だ。古今東西、順風満帆な時に名言なぞ生まれたためしはない。とにかくこの人には目いっぱいの声援を贈ってあげたい。

ようやくバスが終点ポイントに到着した。去り行くバスを見送ったあとは、物音ひとつしない寂然とした風景が待っていた。なにか自分ひとりだけが取り残されたような感じだ。

さあ残波岬まで一気に歩いてしまおう!バス路線の無い県道6号線をそのまましばらく進んでいると、ところどころに建っている家から門前を守るシーサーが顔を見せてくれる。単調になりがちな行程に楽しい変化をもたらしてくれた。

途中、廃線になり今は使われていないバス停まで現れた。その BUS STOP を恨めしく横に見ながら先を急ぐ。

15分ほども歩いたろうか、残波入口という信号があった。そこから真北に向かって県道から分かれる細い道路が延びていた。路側帯には植物が植えられ綺麗に整備されたその細い道路に進路を変更し踏み入った。

草原のような緑の大地が広がるこのあたりは瀬名波と呼ばれる地域だ。

あたり一面を緑一色で埋め尽くされたその先に、かすかに抵抗するように青の色が遠望できた。

わずかに臨めるその青は東シナ海である。

これが曲者で周りに建物が無いから視認でき近くに感じるが、実はとんでもなく遠いのである。

すっかり沖縄の歩きに慣れてきたので目測でおおよその見当がつくようになっている。あと最低30分は歩くことになるだろう。

そんな時、i Pod からギターの名手であるメイソン・ウィリアムスの ”Sunflower” が流れてきた。草原地を歩くには最高のBGMだ。急く気持ちを抑え、速くなっていた歩くリズムを穏やかなテンポに変えてくれた。

その後の道沿いには陶芸工房の窯所があったり、誰が来るのか居酒屋のようなスナックがあったりとポツンポツンとわずかだが人の気配のするところがあったが、それ以外は野原とサトウキビ畑がつづくばかりの道のりだった。

途中からなんとなく道草をするような歩きになり、沖縄ではウージと呼ばれるサトウキビを観察したり、工房に寄り道したりと進度がかなりスローダウンしてしまった。それでもやっと風力発電の大きな風車や岬のそばにあるはずの「残波ロイヤルホテル」とおぼしき白い建物が確実に近づいてきた....あと少しだ。

陶芸工房の個性的な看板(左) 残波岬が近い瀬名波の風景(右)

ようやく残波ビーチのそばにあるという「残波ロイヤルホテル」に着いた。

右に隣接するゴルフクラブとホテルの間に立つ風力発電の風車が眠たくなるようにおっとりと回っていた。

1時間以上歩いてきたのでどこかでひと休みをとホテルに飛び込んだのだが、その場所を見つけられずプールサイドに出てしまった。

結局、誰もいないプールサイドも通り抜け、そのままビーチへ向かうことにする。

道一本隔てただけの反対側にある残波ビーチにはすぐに到着。


                   ゆったりとした残波ロイヤルホテルのプール

驚くほど珊瑚の白い砂が綺麗なビーチだった。そしてまた驚くほど混んでもいた。

おそらくホテルの宿泊者とビジターがこのビーチに集中したからだろう。

思わずビジターに向かってホテルの静かなプールを宣伝したい衝動に駆られる。

波のリズムに合わせて揺れる海が抜けるように澄んでいて、カメラで切り取りたかったが撮れなかった。


どのアングルにも人が近くに入ってしまうほど混んでいたからだ。恩納村のリゾートビーチを観て歩いた経験のなかでも一番の混み方をしているビーチだった。この残波ビーチでも小休止を取れず、やむなく岬に向かう。世の中、思うようになることは少ないのである。

駐車場を通り抜け残波岬公園に入るといきなり7メートルを超えそうな赤獅子のオブジェに迎えられた。周りを見回すとレストランや「岬の駅」と称するショップなどが並んでいた。なぜかこの場所で休みたいと思わず自販機で水を求め、岬へと急いだ。

やたらと大きな広場を突っ切り、岬先端にある灯台を目指した。

真っ青な空に向かって土筆(つくし)のように伸びた白い灯台が、眼に焼き付くほど鮮やかな情景を創っていた。

凹凸の激しい石灰岩の上を恐る恐る探りながら、岬の崖ぎりぎりにやっと小休止の場所を確保した。

20 m はありそうな絶壁のへりで素晴らしく贅沢な小休止をとることができた。

崖の下を見下ろすと、先ほどまでいた残波ビーチの緑がかった色とは一変し、濃紺の海が広がっていた。

絶壁からみはるかす東シナ海に身を置いていると、身体までどっぷりと空や海の青色に染まってゆくような感覚になる。

小休止の間、ずっと眺めているうちに灯台に昇りたくなってしまった。灯台まで行くのに遊歩道を使わず、崖沿いを行くことにした。足元はひどく悪いのだが、なんとなくそうしたくなったのだ。

崖沿いに移動したので、岸壁に張り付きながら大ぶりの竿を一心不乱にキャスティングする釣り人を発見した。

崖上から一段降りたあたりに陣取り、物静かに竿先を見つめている。

近くまで降りたのだが、後ろから声をかけるのがはばかられるほど無心に集中している。

邪魔にならない程度の距離をとり、背後に陣取り釣り見物と決め込んだ。

最後に磯釣りをしたのはいつ頃だったか記憶をゆっくりとたぐってみた。

伊豆半島の南端に妻良(めら)という有名な釣り場があるが、その奥に隠れるように子浦という小さな漁村がある。

数軒の民宿しかない自然が多く残された釣りの穴場だ。子浦での釣りがしだいに思い出されてきた。その結果、20年近く釣り竿に触れていないことが判明した。

獲物が揚がったら声をかけようと思っていたが、今日は不漁のようなのでそっと引き上げることにした。釣り見学のため崖を少し下ってしまったが、今度は崖よりもっと高いところへ上がってみよう。

灯台1階で参観寄付金なる200円を払うと誰でも見学できるようになっていた。早速内部に入ったのはよいが、階段を上がれども上がれども展望台に着かない。

らせん階段の円周が小さいのでグルグル回りながら昇るため、相当昇ったようでも高度距離を稼げていないのだ。階段途中に「まだまだ」、「やっと半分」とか「もう少し頑張ろう」といったニュアンスの貼り紙がしてあった。大きなお世話なのだ。「まだ半分なの?」「え〜!まだ頑張らねばならないの」...よけいに疲れるのである。

しかし外周展望デッキに着くと苦労が報われる眺望が展開する。(眺望写真はガイドページ参照)

昇り階段で噴き出した汗を一気に洗ってくれるような風にも出会え、最高に心地よいひとときがやってくる。ホテルから残波ビーチや崖っぷちなど自分の足跡を箱庭になったような景色から見て取れる。

このあと訪ねる予定にしている座喜味城跡(ざきみじょうあと)は見えるだろうか。でも今しばらくは眼前に広がる青の世界に浸っていよう。


「残波岬公園〜残波ビーチ」のガイドページへ

機嫌良く過ごせた残波岬から一路 「座喜味城跡(ざきみじょうあと)」を目指すため、県道6号線をてくてくと読谷BTまで戻り、バスで高志保まで乗り継ぎ座喜味城跡公園に到着。これに要した時間90分。とにかく歩きでの沖縄は広いのだ。


目の前に広がる公園のどこかに城跡があるはずだ。案内板を探したが周りには見当たらないので、公園奥につづくプロムナードに沿って歩くことにした。

歩くにつれ高度を増すがいっこうに城壁などは現れず、深い緑の胸に潜り込むように道がつづくばかりだ。

実は歴史が好きなので、昨夜はこのグスク(城)については予習をしてきた。

この城を造った”護佐丸”という男はこの一帯を領していた豪族(琉球では按司という)であった。

15世紀初頭の話である。やまと本土では南北朝が統一されたばかりの室町幕府時代の頃だ。

琉球では群雄割拠の時世であったが、初めて巴志(はし)と云う名の男が統一を果たすことになる。

この商才に長けた巴志を、右腕となって統一を助けたのがこの護佐丸で、琉球史にいきなりその名が登場することになった。


まるで信長亡き後、商才と人間学に長けた秀吉の天下取りを助けた福島正則や石田三成のようではないか。やはり彼ら福島や石田も名門の血統ではなく、護佐丸同様、忽然と歴史上に登場している。

そんな護佐丸の手ずから造った城がどんなものか見たくなるのが当然というもの。しかも予習で知ったのだが彼は城造りの名手らしい、いよいよ興味がつのる。

空にかぶるような緑の葉陰を抜けるといきなり右手に布積みの城壁が出現した。

かなり唐突な感で出会った城壁であったが、それは5mはありそうな、独特なカーブをもった石壁であった。

城壁の向こう側から城の説明をする大声が降ってくる。ガイドか誰かが解説しているようだ。

郭内に入る石門を見つけた。形の整った上品な風情の拱門(アーチ)である。


門をくぐり城壁内に入城すると正面にはもうひつの拱門が見えた。本丸へとつづく門だ。この城は小ぶりな二連郭構成つまり本丸と二の丸だけの山城なのである。

護佐丸は巴志を助け、統一の仕上げとなる北山の今帰仁城(なきじんじょう)を攻め落とした。この地よりかなり北部にある大城である。統一を果たした巴志の依頼で、しばらくの間その攻め取った北山の城に北山監守として駐在することになる。

護佐丸はこの時期に座喜味城の造成を始めたのである。座喜味に近い山田に父祖伝来の城があったがその城の石を再利用し、勢力下にあった喜界島や沖永良部島などの民にも手伝わせ築城している。

    座喜味城、一の郭(本丸)への出入り口となるアーチ門から見た二の郭の風景

最も高所となる「一の郭」内には記念石灯篭が残されており、中央部には建物跡の石印が置かれていて城の規模が判る。また一の郭城壁は登ることができるようになっていた。

先ほどの大声の主が城壁上にいた。学生と思しき若者6人が取り巻くように話に聴き入っている。ゼミナールの真っ最中といったところか。

壁の厚さがかなりたっぷりとあるので、城壁に上がると戦火の際には偉丈夫が走りながら楽にすれ違うことができそうなほどに広い。


何よりも特徴のある波うつカーブが美しい城壁は、敵が迫った時に横矢を射れるようにとの戦略から生まれた造形だという。

そして今なお健在なのは、眺望の素晴らしさだ。

南西には那覇方面、さらにその西には洋上にうっすらと慶良間諸島が遠望でき、北に展開する東シナ海には伊江島・伊是名島がくっきりと浮かぶ。

護佐丸の見た風景はどんなものであったのか。

標高120mのこのあたりは今でも鬱蒼とした濃い緑の樹林に囲まれているが、当時は原生林が覆う小高い台地に近い環境ではなかったろうか。

北山監守の任を解かれた護佐丸は造成されたばかりのこの座喜味城に戻り、読谷山の按司(あぢ)として18年間居住している。


しかしその後、首里王府の命という形で、王府のある首里に近い中城(なかぐすく)へ移封となり城代えをしている。琉球王の巴志と共に戦った護佐丸は王位をうかがうほどの実力者だったのだろう。

琉球王位を継承していた巴志の七男になる泰久はそれを恐れ、機先を制するように勝連城主を使って護佐丸のいる中城に夜襲をかける。そして....ついに護佐丸は自刃した。1458年のことだった。

城壁上からの景観、本丸に相当する”一の郭”

「夏草や兵どもが夢の跡」 芭蕉が源義経の終焉地となった高館(たかだて)の丘を訪れた時に、義経主従を儚み詠んだ有名な句だ。

南国の地にも、漢(おとこ)たちの夢やロマンの跡はさまざまなところに色濃く残っている。時には感傷過多になりながらの古跡訪問も興趣が変わり面白い。


「座喜味城跡」のガイドページへ



ガイドページ


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