バスの中に残された傷心のあと             〜沖縄ちょぼ旅 BLOG 47〜

バスが大きく左へ曲がり国道58号線から分かれた県道6号に入った。この県道は狭いが両側には店が立ち並び、賑やかに人が行きかっている。濃厚な生活臭のある風景だ。

今日は本島の中北部西端、残波岬を訪問すべくバスに乗り込んでいる。しかし、この残波岬までたどり着くバス便はまったく無いのである。以前は岬前まで路線があったようだが今は廃線となっていた。バス旅行ではかなり不便な目的地であることはすでに予習した時に判明したのだが、あえて挑戦することにしたのだ。

岬に一番近いバス停が終点の読谷BT(よみたんバスターミナル)だった。その終点ポイントから岬まで2.5キロも距離を残している。つまり急ぎ足で50分近く、ゆっくり歩けば1時間以上かかることを意味している。ネットのガイドページには徒歩30分とあるが、走ってでも計測したのかと云いたい。

いずれにせよ沖縄本島がアメリカのような車社会地域であることを再認識させられる一事ではあった。

米軍施設 トリイステーションの入口

アメリカと云えば、途中 楚辺というところにあった米軍キャンプのゲートに鳥居が立っている不思議な光景を見た。

ゲートに鳥居を建てるのはよいとして、入口と出口にそれぞれ建っているので二つ並列で並んでしまっている。

縦列に重なる鳥居はあっても横に並ぶ鳥居など聞いたこともない。

本来鳥居は神域と俗域の境を示すもの。米国人が神にでもなったと勘違いするとは思えないので、洒落たつもりなのだろうが滑稽と云うほかない。ちなみに後日調べるとこの米軍施設は「トリイステーション」と名付けられていた。

子供のように車窓に張り付いていたことに気付き、シートに深く座り直すと、前席のシートカバーに落書きを発見した。

叶わない恋もある あきらめてしまえ

            叶わない夢はない あきらめるな と書かれていた。

感情の高ぶりのまま書きなぐったような文字だった。薄くなりつつあるその文字を残そうとでもしたのか、上から濃いマジックで重ね書きがしてあった。重ね書きの人物は別の人物と判る。なぜなら筆跡が違うことと、恋と云う字を間違えて重ね書きをしているからだ。

なかなかの名句だ。古今東西、順風満帆な時に名言なぞ生まれたためしはない。とにかくこの人には目いっぱいの声援を贈ってあげたい。

ようやくバスが終点ポイントに到着した。去り行くバスを見送ったあとは、物音ひとつしない寂然とした風景が待っていた。なにか自分ひとりだけが取り残されたような感じだ。

さあ残波岬まで一気に歩いてしまおう!バス路線の無い県道6号線をそのまましばらく進んでいると、ところどころに建っている家から門前を守るシーサーが顔を見せてくれる。単調になりがちな行程に楽しい変化をもたらしてくれた。

途中、廃線になり今は使われていないバス停まで現れた。その BUS STOP を恨めしく横に見ながら先を急ぐ。

15分ほども歩いたろうか、残波入口という信号があった。そこから真北に向かって県道から分かれる細い道路が延びていた。路側帯には植物が植えられ綺麗に整備されたその細い道路に進路を変更し踏み入った。

草原のような緑の大地が広がるこのあたりは瀬名波と呼ばれる地域だ。

あたり一面を緑一色で埋め尽くされたその先に、かすかに抵抗するように青の色が遠望できた。

わずかに臨めるその青は東シナ海である。

これが曲者で周りに建物が無いから視認でき近くに感じるが、実はとんでもなく遠いのである。

すっかり沖縄の歩きに慣れてきたので目測でおおよその見当がつくようになっている。あと最低30分は歩くことになるだろう。

そんな時、i Pod からギターの名手であるメイソン・ウィリアムスの ”Sunflower” が流れてきた。草原地を歩くには最高のBGMだ。急く気持ちを抑え、速くなっていた歩くリズムを穏やかなテンポに変えてくれた。

その後の道沿いには陶芸工房の窯所があったり、誰が来るのか居酒屋のようなスナックがあったりとポツンポツンとわずかだが人の気配のするところがあったが、それ以外は野原とサトウキビ畑がつづくばかりの道のりだった。

途中からなんとなく道草をするような歩きになり、沖縄ではウージと呼ばれるサトウキビを観察したり、工房に寄り道したりと進度がかなりスローダウンしてしまった。それでもやっと風力発電の大きな風車や岬のそばにあるはずの「残波ロイヤルホテル」とおぼしき白い建物が確実に近づいてきた....あと少しだ。

陶芸工房の個性的な看板(左) 残波岬が近い瀬名波の風景(右)

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