2010年1月アーカイブ

沖縄滞在中にある案内告知が目にとまった。サルバドール・ダリの彫刻作品が33年ぶりに沖縄へ戻るという。1975年に開催された沖縄国際海洋博のためにダリが制作した作品で、スペインから期間限定の里帰りになるらしい。

展示されている場所は北部の本部半島(もとぶはんとう)西海岸にある海洋博公園ということだった。どうしても一目見たくて、中北部探索の旅を一時ストップし急遽北部へ向かうことにした。

那覇から北部までのバス旅行はさすがに距離があり、まずは名護BTまで行き、そこで乗り換えて海洋博公園を目指す。片道3時間という南北縦断の気のなが〜い道のりである。

すっかり午前中の日課になってしまったバルコニーでの日光浴や読書を断念し、早起きし一路「名護」へと出発。今まで何日もかけて歩いた恩納村の海岸線を窓外に眺めながら約2時間、名護のバスターミナルに着いた。

山入端(左)と崎本部(右)の美しい海岸線

一服する間もなく、出発しかけていた本部半島線のバスにあたふたと乗り換えた。バスは国道58号線から国道449号線に進路を変え、本部半島の海岸線を西へと走る。途中に通り過ぎた「山入端(やまのは)」や「崎本部(さきもとぶ)」などはあまり知られていないが、恩納村の海岸線と比べても甲乙つけがたいほど美しかった。

乗り合わせた乗客が皆降りてしまい、車内が筆者ひとりになった。これ幸いに後部座席をルンバ(円盤型の自動掃除機)のごとく渡り歩き、写真を撮りまくっていると運転士から声をかけられた。

てっきり危ないから車内では動き回らないようにとの注意かと思っていたら、想像だにしていないことを質問されてしまった。 「海洋博公園の水族館へ行くんじゃないでしょうね?」と。

質問の真意がわからず、「いえ、そのつもりですが。何か問題でも?」と答えると、このバスはそこまで行かないという。乗った本部半島線という路線は正しかったのだが、ルートがふたつあると説明をしてくれた。

ひとつは本部半島西海岸沿いの外周を巡り海洋博公園経由で名護BTへ戻るルート。

もうひとつはずっと手前の内陸を循環し名護BTへ戻る今乗っているバスのルートである。

海洋博公園に一番近いバス停の浦崎で降りることになってしまった。よくよく歩くことに縁ができてしまったようだ。

しかし親切に声をかけてもらわなければバスターミナルへ戻っていた。


これこそコミュニケーションツールの原点 「人間言語」だと痛感。ツールなど無くても気持ちさえあれば会話は成立するのである。

東京の都バスなどでは味わうことのない経験で、少しだけ豊かになった気持ちを胸に海洋博公園を目指し歩きのスタートをした。バスを降りる際に聞いた話から40分ほどの歩きを覚悟していたのだが、15分ほどで南ゲートに到着してしまった。

おそらく彼の案内はバス停のある正面ゲートまでの距離だったのだろう。ダリを展示してある海洋文化館も正面ゲートに近いが、委細かまわず南ゲートから入園することにした。

公園内に入り最初に迎えてくれたのが熱帯・亜熱帯都市緑化植物園。都市建設や建設計画策定に大活躍していそうな堅いネーミングだが、園内はいたって柔らかで視界に優しい造園設計になっている。

                    動物型トピアリーのある ほのぼのとした装飾庭園

動物型に刈りこんだトピアリーや迷路のような生け垣は、まるでスタンリー・キューブリックの映画 「シャイニング」を想起させる。

が、そんなことを連想するのは一部のマニアックだけで、一般的にはファミリー向けの情景と云える。

この植物園の最大の特徴は台風や潮風などの害に耐性があり亜熱帯地域に最適な植物を、高木・低木・ヤシ・ツタ・芝などの地被類などに分け、見やすく判りやすく植栽展示していることだろう。

最初は樹木にあまり関心が無く、軽く見物がてら通り過ぎるつもりでいた。

しかし高木区域のアカギやガジュマル、ヤシ区域のアダンやココヤシと見学するうちにすっかり引き込まれてしまい、園内を歩き回ってしまった。

屋外の植栽展示のためか、敷地が広すぎて植物園の境界域がわかりにくい。あとで判明したのだが、この植物園の敷地は東京ドームをふたつ合わせた広さだった。

この広大な植物園を一通り見終わる頃には、見やすく判りやすいためか相当な知識が吸収できた気になる。ただ惜しむらくはせっかく仕入れた知識だが、一年も経たぬうちに記憶の彼方へと消えているに違いない。

1時間ほどで植物園をあとにしたのだが、強く印象に残っていたのは つる植物見本区にあったバーゴラの風景だった。バーゴラというのはブドウとか藤などのつる植物が生育できるように設置された棚のことである。

曲がりくねったプロムナード上に造られたバーゴラから下がる見慣れぬ植物のつる。逆光のもとで垂れ下がった”つる”が光る雨のように輝いていた。


「海洋博記念公園」のガイドページへ

ダリの彫刻展示の告知に誘われやって来た海洋博記念公園だったが、南ゲートから入園したため公園南部にあった熱帯・亜熱帯都市緑化植物園を見学するうちついつい夢中になってしまった。

そこから蘭の楽園と云われる熱帯ドリームセンターへ向かう途中に、汐見台という高台があったので何気なく上ってみると思いのほか大観だった。

汐見台からの眺望

15段ほどの階段を上ったにすぎない高台だが、東シナ海が180度展開しており、瀬底島(せぞこじま)まで遠望できた。

北部では最北端の辺戸岬(へどみさき)に次いで行きたいと思っている瀬底島だ。

橋の先に浮かぶ瀬底島の島影が、碧くけぶった水平線上で はかなげに見える。

彫刻展示をしている海洋文化館のある中央ゲート方面へ歩いていると、旧約聖書に登場する ”バベルの塔” のようなタワーが立ふさがるように中空に現れた。

灯台とか塔など高い建物を見ると、いつも足が勝手に動いてしまう。子供の頃から木登りが好きだったが、この性癖にも困りものだ。一生治らない気がする。

”バベルの塔” に登るためには、蘭の楽園らしい屋内植物園 「熱帯ドリームセンター」に入場しなければならないことが判明。 頭の中ではあまり関心のない蘭や速く逢いたいダリの彫刻のことが浮かんでいるのに、「塔の上にも登れますよ」 と聞くや手が勝手に入場券を買ってしまっている。

5つの温室に池やパティオなども有した巨大な花園であった。中でも蘭に関しては特に充実していると評判。

あまり関心のない蘭だったが、繚乱と咲いた色の洪水に驚いたと云うのが正直な感想だった。温室がむせ返るような空気の中で多種な色の蘭で彩色されている。

紫や黄色とひとことで云っても、直に見る色はそれぞれに複雑で深い色合いをしており、その微妙な美しい色の違いを表現するのに言葉を探さなければならないほど難しい。

紫色をひとつとっても、やや赤みを帯びた ”古代紫”、青が強い ”江戸紫”、そして薄い紫色をした ”若紫” と同系色でもさまざまな色の表情を見せてくれていた。

中でも驚いたのは、ひとつの茎からまったく違う2種の花をつけた蘭があった。背丈は2mを超える1本の太い茎の上部から数本の花茎が垂れ下がって花をつけている。上部にはオレンジ色の花が開き、下部には赤い色の花が数輪咲いている。

         2つの異種の花をつける神秘の蘭

最初は人の手による接ぎ木技術の蘭だろうと観賞していたら、葉影から案内説明板が見えた。早速読んでみると、まったくの自然の産物であることが判った。改めてじっくりと見学をする。

上部の花(花茎が垂れ下がっているので根元に近い花)はオレンジより黄色が立っている”黄丹色(おうにいろ)”に紅の斑点模様で強く甘い香りを放っており、下部の花(花茎の先端部に咲く花)は”薄紅梅”の地に紅のまだら模様で無香。

「ディモルフォキス・ローウィ」という名の蘭で、東南アジアのボルネオにしか自生しないとあった。ボルネオ以外では、なかなか開花しないワンダーフラワーだが、ラッキーなことに今回は開園以来2回目の開花とのことだった。

自然が生み出した2つの顔を持つ神秘の蘭と別れ、バベルの塔 「遠見台」 へと向かう。

水平線が丸く見えた「遠見台」からの眺望

到着すると塔の高さは36mもの高さがあった。まるで巻貝のように、らせん階段が外周のレンガにうがたれていた。

360度の外観を見渡しながら最上階へ。そして頂点で見る水平線は毬のように丸かった。


「海洋博記念公園」のガイドページへ


サルバドール・ダリの作品にやっと会うことができた。海洋博記念公園の中央ゲートからほど近い場所に建つ 「海洋文化館」 2階の一郭に展示されていた。

ダリの彫刻を収納したガラス・ケースが部屋の中央にたったひとつだけポツンと置かれ、作品のそばにはセキュリティーガードがひとり、静かに脇を固めている。

"Sun God Rising In Okinawa" と題されたダリの彫刻作品

銀色に輝く人魚の形をとった女神が、沖縄の珊瑚に彩られた波間から昇る姿が表現されていた。ダリが71歳の時の作品である。往年のシュールさは無いものの、銀材などを使用しての艶やかさは健在だった。

1975年、沖縄のこの地で開催された国際海洋博覧会に参加したスペインが、自国ブースに展示するため制作依頼したものである。ダリは沖縄が太平洋戦争の凄惨な舞台となったことを承知しており、恒久平和の願いを込めて制作にあたったとある。

今回の展示企画は海洋博以来というから30年以上ぶりの里帰りになる。そんな貴重な作品の出陳にもかかわらず、会場はひっそりとしていた。

本国スペインの彼の郷里フィゲレスにはダリ劇場美術館と隣接した宝飾館がある。

そこはフランス国境に近くバルセロナから電車で2時間もかかるところだが、世界各国からの訪問者が引きも切らず長蛇の列をつくると聞く。

ダリと云えば、あの柔らかくゼリーのようになった時計が枝にかけられた絵画 「記憶の固執」があまりにも有名だが、筆者はなぜか絵画よりもはるかに彫刻や宝飾工芸の方に惹かれる。

シュールなモチーフもさることながら彼の創出する微妙な曲線は観るものを強く引き込む。


建築家のアントニ・ガウディも空中に、えも言われぬ曲線を描き出す。それぞれ世界も個性もまったく別のものだが、曲線の持つ妖しい魅力はジャンルを凌駕する。スペインという地は曲線の天才が生まれる土壌なのだろうか。

驚くことに堪能するまでの40分ほどの時間のあいだ、ただの一人も来場しなかった。ひとりの余人も交えず、ひとつの作品と40分ほども対峙できた経験は初めてであった。しかもその作品は紛れもないダリの彫刻である。

このことを喜んでよいものか、残念に思うものなのか複雑な気持ちが交錯するなか会場を離れた。展示室を出るとき、一言も話さなかったセキュリティーと目が合った。お互いの表情にうっすらと笑顔が宿ったように感じた。

    展示会場になった海洋文化館

※なおこのサルバドール・ダリ企画展は無事終了し、作品も滞在期間を終えスペインに戻っている。現在沖縄関係者により、この作品の恒久的沖縄所蔵を実現するべく努力中とのことだった。

時間が止まったように静まりかえったダリの展示室から出ると、強い陽射しが眼にまぶしかった。展示室のあった海洋文化館から美ら海(ちゅらうみ)水族館の方へ歩くと、周りはしだいに人混みが加速してゆく。

入館するため売券場所まで来たがあまりの混みように気分が変わり、しばらく公園内を探訪することにした。一般の関心は ”ダリ” よりも、どうも ”ジンベエザメ” の方にあるようだ。

正面ゲートの近くにある噴水まで戻るとトピアリーのような動物型植物オブジェが目にとまった。

”ヤンバルテナガコガネ”(左)、”リュウキュウオオコノハズク”(右)

沖縄固有種の”ヤンバルクイナ”をはじめ”ノグチゲラ”など数体がある。

周りを注意して見回すとあちこちにあった。

”マンタ”、”ヤンバルテナガコガネ”など、まるでスタンプラリー状態に距離をとりながら設置されている。

そんなトピアリーを見ながら公園内を散策するうち、「おきなわ郷土村」に着いてしまった。


「熱帯ドリームセンター」を離れた後すぐにぶつかった場所だったが、ダリ作品の観賞を急ぐあまりパスをしてしまったところだ。

知らず知らずに、かなり南まで戻ってきてしまったようだ。ほとんど見学者もいないようだったので、この郷土村を見学することにした。

17世紀頃の琉球民家を再現したものだったが特に興味を引くものは見当たらなかった。郷土史や古民家建築に学殖なき身にはまさに猫に小判だ。

午後も少し深くなったのでそろそろ水族館が空く頃合と踏み、美ら海水族館方面へ向かってダラダラと歩いていると大きく長〜い階段に行きあたった。

階段を下った先はけぶるような青い海、そして水平線上に浮かぶ伊江島。階段を中心にしたシンメトリーが見事に構成されていた。島影まで計ったように対称をなしている。呼吸を忘れるほど異次元の世界だった。

正面ゲートからつづくメインロードの奥には海側へ降りる階段が

誰も来ないことを幸いに階段に陣をとり、i Podを取り出し自分だけの世界の短いブレークをとる。

「世界でどれほどの人が、夢を実現できるのだろう。
           世界でどれほどの人が、叶う夢を腕に抱けるのだろう。

世界中でいったいどれほどの人が、自分の心に正直に行動できるのだろう。
           ほとんどの人は、そんなことも経験しないで過ごすことになるのだろう....」

i Podから流れ出たのはマービン・ゲイの切々と唄いあげるボーカルだった。この曲 "If I Should Die Tonight" が発表されたのは1973年。それから11年後の1984年に、彼は実の父親から射殺され世を去っている。彼が45歳になる誕生日の前日のことだった。

この悲惨な事件からもう四半世紀も過ぎてしまった。眼前のブルーの世界と自動選曲(シャッフル)によるマービンの唄声ですっかり感傷的になってしまった。その時、いきなり7歳位の女の子が目の前に現れた。

音楽に塞がっていた耳には女の子の靴音はもちろんマービンの声以外何も聞こえず、その子の赤い靴が視界をよぎるまで気が付かなかった。

女の子につづいてひと家族がにぎやかに降りてくる。現実に引き戻されてしまった。じっと見ているその女の子に家族にも判らないほどかすかに手をあげ別れのサインを送った。サインを確認したその子は背中を見せるとまた家族の先頭を切るように海の方へ駆け降りて行った。


水族館入口は人の流れや混雑がようやく落ち着いたようだ。

一段と高い水族館前から眺める海面上には、まだまだ衰えを見せない太陽が中天に居座っていた。

入館するとそのフロアの先で、ひとかたまりの人の群れが水槽を取り囲み何やら熱中している。

近づいてみると浅い水槽内はヒトデばかりがまるで置物のように陳列されていた。

星形からほぼ円に近いものまで形は様々で、色は自然ならではの彩色で文章表現域を超え、写真撮影でも伝え切れない微妙な色合いだった。

このコーナーは触れあいの水槽 「タッチプール」 とあり、夜店の金魚すくいと同じような水槽である。いつまで見ていても生きて活動しているとはとても思えないほど沈黙している生物だ。

さっそく水の中に手を入れヒトデに接触。いやな感触ではなかった。触れてはじめて生きているように感じとれた。また上から見下ろすばかりではない違った姿も見れ、次から次へと接触。

気が付くと周りは子供だらけでバツの悪さを覚えたが、今さら気取っても完全に手遅れである。

海底回廊のアクアルーム

水族館は建築面積約10000平米もある4層構造の大きな建物である。

入口は3階より入館し下層へ見学しながら1階出口へと出る順路になっている。ちなみに4階部はレストランとイベントホールのみである。

前述の 「タッチプール」 の後、珊瑚の海・深海の海・黒潮の海と沖縄海域の特性をテーマ別に体感できるような展示がつづく。

そして大水槽上を歩けるようにしたり、深海で発色する生物をプラネタリウムのように観賞したりと工夫されている。

中でも黒潮の海は壮観な眺めであった。


この黒潮の海は高さ10m、幅35mという世界最大級のアクリル大水槽で、8m ものジンベエザメが悠長に泳ぐ。
ジンベエザメは他の水族館でも観ることができるが、複数のジンベエザメやマンタが泳ぐダイナミックな水槽はここだけである。

この水槽の底部に横たわるように透明の回廊が設けられている。アクアルームと名付けられたその回廊にしばらくいると、まるでダイバーになったような感覚に陥る。

館内が少々混雑していたということもあり、かなり早足で回ったが、いくつか印象に残る個性的な生物たちと出会うことができた。

その中でもひときわ心証の良かった魚をひとつご紹介しよう。名は”ねずみフグ”という魚で、表情がなんとも愛らしい”ハリセンボン”の仲間だ。

実はこの魚は那覇の公設市場内にある魚屋で見かけていた。可愛い表情なので憶えていたのだ。泳いでいるのは初めてだったが、生きている方が数倍おもしろい。興味心が強いのか人懐っこいのか水槽ガラスに近づくと寄ってくる。

”ジンベエザメ”よりこちらの”ねずみフグ”の方にたっぷり時間を使ってしまった「美ら海水族館」だった。

      すぐに寄って来てくれる愛嬌たっぷりの”ねずみフグ”


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