宜野湾(ぎのわん)の町を歩く              〜沖縄ちょぼ旅 BLOG 57〜

沖縄へ来て1ヶ月が過ぎようとしていた。移住したわけでもないが、すっかり沖縄の空気に慣れてしまった。まだしばらくはここ那覇にいられそうなので、バスや歩きを中心にした ”ちょぼ旅” をつづける。

本島を巡るとき幹線道路となる国道58号線だが、何度バスで往復したことか。窓外に広がる沖縄の風景のなかで、前から気になっていた広大な敷地を占有している米軍基地。

Marine Corps Air Station (普天間海兵隊飛行場)

那覇から58号線を北へ向かうと浦添のキャンプキンザー、宜野湾の普天間飛行場、北谷(ちゃたん)のキャンプフォースター、嘉手納(かでな)の飛行場と延々とつづいている。

戦後65年も経つが、多くの米軍基地が本島のいたるところを占有している限り、県民にとって忘れたい戦争の記憶も薄まりようがないのではなかろうか。

本日は日本復帰前の町並みを想起させる宜野湾の町歩きを思い立ったので、58号線沿いの大山でバスを降りてみた。

まるで米国ロス郊外に見られるような町並みだった。

出入国を繰り返す米軍駐留のアメリカ人向けのためか、店頭の看板はほとんど英語で表記されている。家具やキッチンウェアから古着まで多種の店が軒を並べていた。

戦火で荒れた町をいち早く復旧するためには、駐留米人の消費は欠くことのできない絶対条件であったろうことは想像に難くない。長い風雪を刻みながら復旧し変遷してきた名残りのようなものをこの町から感じとれる。

このあたりは観光地区ではないが、軍から払い下げられた品や古着など面白いものが多く発見できるので旅行者にとっても気軽にショッピングができる通りである。またハーレーダビッドソンや美術彫像や大型置物の専門店なども点在しているのでお好きな向きにはけっこう楽しめる穴場ではなかろうか。

                            国道から海岸へ向かう静かな横道

58号線沿いに普天間飛行場への入口を示す案内があった。

移転問題ですっかり有名になったこの長大な敷地の米軍海兵隊施設は宜野湾市の中央部をほとんど占有している。

基地はいずれもセキュリティで固められており、せいぜい広大な敷地の外周をめぐるのみであった。

外周を歩いて想い起こされたのは、東京朝霞の米軍キャンプのことだ。今は東京都に返還され 「光が丘公園」 となり、都民の憩いの場として利用されている。

朝霞米軍キャンプの跡地を歩き、その広さに改めて驚いたことを鮮明に記憶している。一日でも早く普天間の米軍施設地が返還され、県民に活用されることを願うばかりだ。

しばらく国道58号線を歩いたが変化がなくなってきたので、宜野湾警察の先を西の海岸方面に曲がってみた。

その通りは国道58号線とはうって変わって、静かで緑たっぷりの道だった。ところどころに置かれた像がポーズをとっている。

その通りの右手に県立の宜野湾高校が現れた。道路沿いに飾られている生徒の絵がどこまでも長くつづいている。グラウンドでは生徒が放課後の活動に熱中しており、どこか のどかな風景で懐かしささえ感じとれる。

『この地域は太平洋戦争後 米国に接収され、キャンプマーシーが建設された。そして30年の歳月が過ぎた昭和51年3月31日にようやく返還され、市立真志喜中学校、市立総合グラウンド、県立宜野湾高校、宜野湾警察署など公共施設がいち早く建設された』と記念石碑に刻み込まれていた。


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