2010年3月アーカイブ

コンベンションセンターの展示棟

宜野湾の町歩きで「沖縄コンベンションセンター」に行きあたってしまった。

通常なら前日におおよその予習をしてから出掛けるのだが、今回はただ何となく宜野湾の町をブラつくつもりであったので予習をしてこなかったのである。

通り越しに見えていた面白い景観の建物につられてたどり着いたのが沖縄コンベンションセンターであった。

敷地内に入ると会議棟、展示棟、劇場などが寄り添うように建造されており、文字通り大規模な集会や会議を万全にサポートする施設のようだ。

しかし筆者のようにふらりと現われた旅行者にとっては、あまり関心を惹かれる施設ではない。

手入れの行き届いた庭内を通り抜けるとすぐに海岸に着いた。案内板には「ぎのわんトロピカルビーチ」とあった。

案内板のMAPを見ると、コンベンションセンターに隣接してこのビーチや海浜公園、野外劇場そしてそれらを取り囲むように「ラグナガーデンホテル」、「市立体育館」、「市立野球場」、「宜野湾港マリーナ」と、巨大な複合施設を形成していた。

                           遠浅で白い砂浜のトロピカルビーチ

ぎのわんトロピカルビーチは白い砂と遠浅の典型的な人工のリゾートビーチだ。

車社会の沖縄本島にあって幹線道路の国道58号線からすぐという願っても無いほどアクセスのよいビーチで、県民にとって人気のあるビーチパーティー・スポットであるらしい。

浜辺ではビーチバレーなどに興じる若者で活気に満ちているが、惜しむらくは海に自然さがなく、表情に乏しく生気が感じられなかったことだろうか。

ビーチから早々にマリーナへ向かった。400mもつづく港内にはおびただしいほどの船舶が係留されていた。ヨットをはじめ多種なプレジャーボートが行儀よく並んで休んでいた。

県下一と云われているだけに海上係留350以上、陸上ヤード保管270以上と相当数の船舶を保守している。

2枚の写真を合成し宜野湾港マリーナの全景を再現

ときどき聞こえる水鳥の声と防波堤に寄せる涼やかな波音。400m以上もある ふ頭を歩いていると、頭の中が瞑想でもしているかのように透明になってゆく。

女性よりも圧倒的に男性が、海に強く惹かれるものらしい。海から連想させるものは個人差はあるが、”ロマン”、”冒険”、”夢”、”郷愁”、”未知” などさまざまだ。


その人たちにとって海に乗り出す船は、それぞれの強い思い入れへ直行できる云わばプレミアムチケットも同然のもの。

つまりこのマリーナには620以上もの ”ロマン” や ”夢” や ”冒険” が眠っているということなのだ。

欧米諸国の多くでは「海」も「船」も女性名詞である。男が惹かれるのも無理からぬことなのかもしれない。

外部との意識接触を遮断していたためか時間経過がわからず、時計を見ると2時間近くも過ぎていた。そろそろ58号線に戻るとしよう。

国道58号線の通る東の方向へ、おおよその見当をつけながら歩いていると「大謝名(おおじゃな)」という地区に入った。

あたりは住宅地でひっそりと落ち着いている。あまり立て込んでもいない。

それまで歩いて来た道が突然終わり、道の終わりに工事中を示す黄色と黒の斜線を描いたブロックが一列に並べられていた。

しかし工事中の気配はまるで無く、道路上に残されたチョークで描かれた絵が出迎えてくれた。

途中で切れても影響のない細い道ではない。けっこうな幅員の道路なのに唐突に終わり、そのまま放置されている。

道路一面には青や白のチョークで可愛い絵がいっぱい。子供たちの遊び場になっているらしい。

現在の東京では下町に出かけても遭遇できない風景である。記憶の向こう側にある扉を少しだけ覗いたような心地になった。

行き止まりの道から少し回り込むとすぐに58号線に出た。国道58号線を那覇方面にしばらく歩くと「牧港(まきみなと)」が見えてきた。「牧港」は宜野湾市の隣りの浦添市に属しているので、宜野湾ウォークもそろそろお終いになってきたようだ。

宜野湾市と浦添市の境を流れる「宇地泊川(うちどまりがわ)」、そしてちょっと先を流れる「牧港川」が58号線の近くで合流し、牧港湾に流れ込んでいた。

             宇地泊川                 牧港川


「沖縄コンベンションセンター」のガイドページへ

沖縄本島に来て優に1か月が過ぎ、やっと北部への旅が始まった。可能な限りバスと歩きでと決めたちょぼちょぼ旅には、北部の地は 遠くて 広くて 決してお手軽ではなかった。いや旅行前の想像に反して現実の困難さを思い知ったと云う方が正直だろうか。

しかも北部への旅が始まったなどと大見得を切っても、本島の西海岸ばかりを追っかけているので、東側は手つかずなのである。筆者には昔から朝日より夕陽に引かれる性向があるためだ。

ぎらぎらするばかりの朝日より、寸刻で色を変える夕陽の方に身体や足が向くのは筆者ばかりではないだろう。

                           バス窓外に見えた名護海岸線のイルカ像

さて北部への旅だが、まず北の入口にあたる名護市街を歩くことにした。

名護市街は那覇から60kmの街だ。東京なら中央高速で八王子をはるかに超える位置である。

荒井(松任谷)由美の「中央フリーウェイ」なんて軽いものではないのだ。

名護BTに着くとにわかに空腹を覚えた。北部という身構えもあり早朝から動き始めたからだ。

バスターミナルで尋ねると近くの「ヤンバル食堂」という名の飲食店を教えてくれた。

名前の響きが心地よい。ここから先は北のヤンバルだぞと宣言しているようではないか。早速BTを出て探すと通りをへだてた向かい側にあった。

食堂に入るとガラスケースに並べられている料理をトレイに乗せキャッシャーで清算するカフェテリア・スタイルの食堂であった。

本土とは微妙に違う沖縄食を1か月も食べている筆者には好もしくも懐かしくさえある料理の数々が並んでいる。

塩サバ、肉じゃが、焼き海苔、納豆、ポテサラ、アジフライ、冷奴、玉子焼き....

看板にうたっているオフクロの味を充分に味わうことができた。


食堂を出て市街地の探索を始める。まずは目の前の名護バイパス(国道58号線)を、名護湾のある南へと向かった。

ほどなく鐘楼のような尖塔にクロスをいただいた「宮里キリストの教会」の前を過ぎると、58号線の大きくカーブしたところに野球場が現れた。名護球場だった。

名護球場のあるところは他にサッカー・ラグビー場なども合わせ持つ広大な敷地の「21世紀の森公園」で、北海道日本ハムファイターズが例年キャンプインするところとしても有名なところ。

宮里キリストの教会              名護球場

この広々とした緑を敷きつめた公園を横断してゆくと、左手に大きなサッカー場が居座りその周りの芝では三々五々人がくつろいでいた。皆のびやかな表情をしている。

なおも歩くと右手海岸側に石積みのアーチ門が見えてきた。門をくぐるとそこはサンセットビーチという浜辺であった。そこそこの広さをもつ遠浅のきれいなビーチだが、人口のためかやや生気に欠け無機質な感じがする。

波打ちぎわで遊んでいるのは2、3組のカップルだけ。

空いているビーチならどこでも気持ちがいいのだ。 少しだけ、このビーチで海を見ていよう。

しかしサンセットビーチと云ってもここの浜辺はほとんど南を向いている。

身体を西に向けてみると、本部(もとぶ)半島の山並みにさえぎられていたが、ぎりぎり海に沈む夕陽は見られるといったところか。

しばらく海を眺めたあと市街地散策を再開。58号線に出ると通りの向こうに風変わりな建物がそびえるように建っていた。

近づくに従い益々その威容の不思議さが目立ってきた。正面まで来て、その建物が名護市役所の庁舎であることが判明。テラスをいくつも積み木のごとく組み上げたような風貌をしている。

そして外壁などにシーサーが鎮座し、その数なんと30以上におよぶ。東京新宿に建つ都庁をはじめ今まで多くの庁舎を見たが、これほど個性的な建物はなかった。

三層ながら20mを超す建築で、何よりも驚くのはその開口部の多さであった。おそらく風通しは抜群で、猛暑でもエアコン要らずではなかろうか。

竣工から30年近く経っているという。外壁は白とピンクのストライプだが、30年という色彩の風化で上品な風合いに包まれている。

正面スロープのスコープ造形、ルーフやバルコニーからこぼれる緑、行儀よく並ぶシーサーたち....つい見学に夢中になり、思わぬ時が過ぎていた。


「名護市街」のガイドページへ

名護市役所から市街地の中心と云われる名護十字路の交差点へ向かった。落ち着いた町並みを歩いていると 「港川」 という細い川にぶつかった。何のへんてつもない普通の川なのだが、どこかで聞いたことのある名だ。

                           名護市内を縦断する港川

思い出せないのがもどかしく、つい川に沿って河口方面へ歩いてしまった。川沿いの道は妙に静かで せせらぎの音ひとつしない。

川巾が広くなった河口近くでルアーをキャスティングする釣り人がいた。遠目でも視認できるほどの獲物を挙げている。

こんな小さな川でも釣れるから沖縄は面白い。釣りを眺めているうちに、ようやく 「港川」 のことを思い出した。

南部の玉泉洞を訪れる途中で散策した雄樋川の流れている地区を港川と云っていた。

なんでも縄文以前の古代人の骨が発見された場所で、その古代人が港川人と呼ばれていることもあわせて思い出された。


これですっきりとし再び繁華な名護十字路を目指す。10分も歩くと かなり商店街の通りらしくなったのだが、シャッターを下ろしたままの店が目立つ。

シャッターには売店舗の紙が貼られていた。、また貼り紙も無くシャッターが閉じられている店も、定休日ではなさそうな気配である。なにやらこの通り全体が開店休業に近いムードであった。


賑やかで混んでるところはあまり好みではないが、本来人混みが想定される商店街通りが空いていると、どこか寂しげなのである。

ちょうど飲食店に飛び込みで入店したら客がひとりもいなかったときの空気感に似ている。

それでもしぶとく名護十字路の交差点を中心に商店街歩きを敢行。


すっかり汗を出し切り、のどがカラカラに干上がってしまった。涼をとるため開いている喫茶店を捜し飛び込んだ。喫茶店というよりは甘党のお店といった感じだったがそこで小休止をとることにした。

充分に冷えた水とジュースで生き返り、次の目標地選定のため地図を引っ張り出す。テーブルに広げた地図をにらみながら、店主に相談すると強力に推薦されたのが名護城跡。

一も二も無く名護城跡に決めた。人間、ときには子供のように素直になれるときがある。長く大人を演じている身には貴重な瞬間だ。

城跡は名護岳という山の中腹に設けられた中央公園の一画にあるという。早速、その登り階段のある東江(あがりえ)中学校の裏手を目指して出発した。距離にして1km弱の道程だから10分ほどで行けるだろう。

中学校の脇を抜けると川沿いの道と合流した。港川と同様に市内を縦断する「幸地川」だった。

その川沿い道を上流に少し歩くと、登り口の階段を発見した。

階段にかぶさる樹林のおかげで石段には葉陰のまだら模様が映り、強い直射日光を和らげてくれていた。

途中に車道を横切ったりしながら果てしのないような階段を登りつづけた。


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さすがに登りの連続であごを出してしまったが、ほどなく石造りの鳥居と拝所のような建物が視界に入ってきた。鳥居をくぐると神社のように御堂と思しき祠とその前部には参詣人の奉納を受ける賽銭箱が置かれた建物があったが、屋根だけは琉球赤瓦が葺かれていた。

そしてそこから参道のように石燈籠が並ぶ脇道が伸び、先にはさらに上部へと つながる階段が待っていた。両脇を石灯籠で固めたこの階段が名護城跡へ登る最後の石段であった。

やっと最上部に位置する名護城の跡地に登り着く。しかしそこには何も無かった。城壁の石積みはもちろん遺構すら残っていなかった。(ガイドページに写真)

隅にあった案内板によると、琉球でも珍しく城壁を有せず二重の掘り切りだけを防御ラインにした土塁グスクで、城跡にはいくつかの拝所のみが存在するとあった。

実際のところ その主郭となる敷地もそれほど広くもなく、山の傾斜や樹林などの自然要害を利用した城塞であったのか。こういう時こそ人類に備わった特殊能力、つまり想像力をフル活動させなくてはと変に張り切ってしまった。

唯一の防御線であった掘割の位置を見学しようと、ハブが出そうな原生林のような中を探訪したり、他に攻略ルートは無いのかと道なき道を繰り返し歩いたりと夕刻近くまで居てしまったのである。

山を下りた頃には名護の街なかにネオンが点り、こころなしか活気が戻っていた。そしてこころ残りはただひとつ、サンセットビーチでのサンセットを見逃してしまったことだった。


「名護市街」のガイドページへ



名護バスターミナルから乗り継いだバスに揺られ40分ほど経ったろうか、ようやく今帰仁村(なきじんそん)に入ったようだ。北岸沿いに走る循環バスから見えた羽地内海にすっかり気をとられ、村役場前の案内でやっと気がついたのだ。

それから10分くらいで今帰仁城跡入口の停留所に到着した。降り立った国道505号線から城跡のある県道へ入ると、ゆるやかだが登りの坂道がえんえんとつづいている。


県道入口にあった北山病院の建物を見たあとは、行けども行けども家ひとつ見当たらない。

しだいに緑が濃くなり、気がつくと道以外見渡すかぎり緑一色に埋められていた。(写真右)

かなり歩いてやっと一軒の建物に出会えた。入口には小さな可愛い看板があり、Cafe イングリッシュローズとあった。

国道から歩いてゆうに20分をこえる道のりにポツンと建つ白い一軒家の Cafe 。 興味がわくだけでなく、散々歩いたあとだけに一杯のアイスコーヒーにも惹かれた。

しかし今帰仁城へのはやる気持ちに押されて、カフェを通り過ぎ先を急ぐことにした。なおも歩くと遂に分かれ道のところに今帰仁城跡の文字を見つけた。城壁のように石を積み上げた大きな案内石碑だった。

まわりは山並みがくっきりと空に浮かび、ほとんど山中にいる感覚である。

なだらかではあるが30分近く上ってきたので、それなりの高度に達しているのだろう。

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分かれ道を城跡の方へ曲がると、閉じられたままのお店が数軒、そしてその前には今帰仁城跡の模型が屋外展示してあった。

城郭へ入る前にはすごく役立つ案内模型だった。模型の城郭構造を十分頭におさめ入口へ向かう。遠目にも城壁の曲線がとても美しい。

今帰仁城の正門にあたる「平郎門(へいろうもん)」そばのショップで入城料を支払っていると、足元で猫の声がする。見ると子猫がジャレつき、まわりには5、6匹の猫一家が陣取り休憩中だった。

入城前に城郭全域がわかる 1/100 の案内模型(左) 足元で機嫌よく遊ぶ子猫(右)

今帰仁グスクの大手門にあたる「平郎門」をくぐり抜けると、真っ直ぐ伸びた石畳道が奥へつづいている。城内はいくつかのエリアを石積みで区切った郭に分かれており、その石畳道を挟むように郭が並ぶ。

「平郎門」を入って最初の郭が「大隅(うーすみ)」と呼ばれる兵馬など軍事調練をした場所だった。そして最終的に一番気に入った郭にもなった。

この郭の入路がやや草木が繁り岩肌もあったりで多くの観光客がパスして行くのを尻目に奥まで潜りこんでみた。そこは平坦でなく高低差の大きい郭で、ところどころ岩が顔を出している。

原風景を思わせる野趣に富んだ風景が心地良かった。岩棚でゴロリと寝ころぶと、空からこぼれそうな大きな大きな白い雲が浮かんでいた。

    大隅の斜面から岩棚が突き出た西側部分

次の場所は石畳道のぶつかった階段を昇りきったところにあった「大庭(うーみゃー)」だ。この場所は、首里城に例えて云うなら正殿前のあの広場に相当するものである。

そして「大庭」の北側に隣接する「御内原(うーちばる)」へとつづく。女官たちが起居し生活したところで男子禁制の郭であった。城内屈指の眺望が愉しめる高台で、眼下の東シナ海には伊是名島などの島影まで遠望できる。また古生代石灰岩を野面(のづら)積みにしたという外壁の全景も見渡せた。

                「御内原」からの眺望

「大庭」、「御内原」の奥に本丸になる主郭が現れた。

居館の正殿跡を示す礎石が残されているが、思いのほか小規模な正殿であった。

しかしグスク内全域を巡ってみると、北部最大と云われているだけに広大な領域をその城壁に囲い込んでいるのが判る。

また幾度かの戦火をくぐり抜けてきた古豪の城でもある。三山時代の終焉となる攻防戦を経験し、江戸に徳川幕府が開かれた頃1609年に薩摩軍から侵攻され一度炎上もしている。

その後1665年には長く駐在していた北山監守が琉球王府の命で首里に引き上げ、ここは無人の城となった。それをしおに城郭内に「火神の祠(ひのかんのほこら)」が造られ、以降神域として地域住民から手厚く守られ現在にいたっているという。

 今帰仁城跡から200mの位置にある Cafe イングリッシュ ローズ

帰路、来る途中に発見したカフェに立ち寄ってみた。ここはお茶も食事もできるので、今帰仁城跡を訪問する際のよい休憩ポイントなので最後にご紹介しておこう。

白い一軒家のカフェ、一歩室内にはいるとそこはまるで映画のセットのようだった。間違いなく女性客が喜ぶインテリアだろう。窓から見えるパティオも申し分のないほど手入れがゆきとどいている。

メニューを少しご紹介する。お茶はディカフェ(カフェインレス)からハーブティーまであり、食事はナスのトマトソースパスタ、色どり鮮やかな野菜カレー、ポテトグラタンなど体に良い料理が並ぶ。お奨めはアフターヌーンティーセットで、お茶にサラダ、サンドイッチ、ケーキなどで充分ランチになる。

表の看板にこうあった。閉店時間....SUNSET。


「今帰仁城跡」のガイドページへ


Cafe イングリッシュローズ

住所 国頭郡今帰仁村今泊1609-1
電話 0980-56-2350
営業時間 11:00〜SUNSET
        金曜土曜定休
駐車場 15台 
交通
 那覇空港より 160分(国道58号線を北上−名護宮里3丁目の信号左折し国道449号線に入る−屋部の信号を右折し県道72号線を北上−国道505号線にぶつかり左折−今帰仁城跡入口の県道115号線を左折スグ右手)

BUS 那覇BT 120分(名護西線20番)−名護BT 40分(66番系統循環線に乗り継ぎ)−今帰仁城跡入口下車徒歩20分




ガイドページ


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