名護市街のそぞろ歩きはつづく             〜沖縄ちょぼ旅 BLOG 60〜

名護市役所から市街地の中心と云われる名護十字路の交差点へ向かった。落ち着いた町並みを歩いていると 「港川」 という細い川にぶつかった。何のへんてつもない普通の川なのだが、どこかで聞いたことのある名だ。

                           名護市内を縦断する港川

思い出せないのがもどかしく、つい川に沿って河口方面へ歩いてしまった。川沿いの道は妙に静かで せせらぎの音ひとつしない。

川巾が広くなった河口近くでルアーをキャスティングする釣り人がいた。遠目でも視認できるほどの獲物を挙げている。

こんな小さな川でも釣れるから沖縄は面白い。釣りを眺めているうちに、ようやく 「港川」 のことを思い出した。

南部の玉泉洞を訪れる途中で散策した雄樋川の流れている地区を港川と云っていた。

なんでも縄文以前の古代人の骨が発見された場所で、その古代人が港川人と呼ばれていることもあわせて思い出された。


これですっきりとし再び繁華な名護十字路を目指す。10分も歩くと かなり商店街の通りらしくなったのだが、シャッターを下ろしたままの店が目立つ。

シャッターには売店舗の紙が貼られていた。、また貼り紙も無くシャッターが閉じられている店も、定休日ではなさそうな気配である。なにやらこの通り全体が開店休業に近いムードであった。


賑やかで混んでるところはあまり好みではないが、本来人混みが想定される商店街通りが空いていると、どこか寂しげなのである。

ちょうど飲食店に飛び込みで入店したら客がひとりもいなかったときの空気感に似ている。

それでもしぶとく名護十字路の交差点を中心に商店街歩きを敢行。


すっかり汗を出し切り、のどがカラカラに干上がってしまった。涼をとるため開いている喫茶店を捜し飛び込んだ。喫茶店というよりは甘党のお店といった感じだったがそこで小休止をとることにした。

充分に冷えた水とジュースで生き返り、次の目標地選定のため地図を引っ張り出す。テーブルに広げた地図をにらみながら、店主に相談すると強力に推薦されたのが名護城跡。

一も二も無く名護城跡に決めた。人間、ときには子供のように素直になれるときがある。長く大人を演じている身には貴重な瞬間だ。

城跡は名護岳という山の中腹に設けられた中央公園の一画にあるという。早速、その登り階段のある東江(あがりえ)中学校の裏手を目指して出発した。距離にして1km弱の道程だから10分ほどで行けるだろう。

中学校の脇を抜けると川沿いの道と合流した。港川と同様に市内を縦断する「幸地川」だった。

その川沿い道を上流に少し歩くと、登り口の階段を発見した。

階段にかぶさる樹林のおかげで石段には葉陰のまだら模様が映り、強い直射日光を和らげてくれていた。

途中に車道を横切ったりしながら果てしのないような階段を登りつづけた。


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さすがに登りの連続であごを出してしまったが、ほどなく石造りの鳥居と拝所のような建物が視界に入ってきた。鳥居をくぐると神社のように御堂と思しき祠とその前部には参詣人の奉納を受ける賽銭箱が置かれた建物があったが、屋根だけは琉球赤瓦が葺かれていた。

そしてそこから参道のように石燈籠が並ぶ脇道が伸び、先にはさらに上部へと つながる階段が待っていた。両脇を石灯籠で固めたこの階段が名護城跡へ登る最後の石段であった。

やっと最上部に位置する名護城の跡地に登り着く。しかしそこには何も無かった。城壁の石積みはもちろん遺構すら残っていなかった。(ガイドページに写真)

隅にあった案内板によると、琉球でも珍しく城壁を有せず二重の掘り切りだけを防御ラインにした土塁グスクで、城跡にはいくつかの拝所のみが存在するとあった。

実際のところ その主郭となる敷地もそれほど広くもなく、山の傾斜や樹林などの自然要害を利用した城塞であったのか。こういう時こそ人類に備わった特殊能力、つまり想像力をフル活動させなくてはと変に張り切ってしまった。

唯一の防御線であった掘割の位置を見学しようと、ハブが出そうな原生林のような中を探訪したり、他に攻略ルートは無いのかと道なき道を繰り返し歩いたりと夕刻近くまで居てしまったのである。

山を下りた頃には名護の街なかにネオンが点り、こころなしか活気が戻っていた。そしてこころ残りはただひとつ、サンセットビーチでのサンセットを見逃してしまったことだった。


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