2010年4月アーカイブ

出発点と目的地を直線で結ぶような車旅行では味わえない旅をしたくて、バスと徒歩による「ちょぼちょぼと行く旅」が今回の沖縄長期旅行だった。ついに滞在1か月を超えたところで、そのスタイルの旅も破綻をきたしそうになってきた。

沖縄北部への旅が始まったためである。まず沖縄本島の最北端にある辺戸岬にはバスが行かないのだ。現行のバス路線の最北がオクマ(奥間)までで、そこから北端の辺戸岬まで優に20kmを超える区間はまったく交通手段が無いのである。

歩くとなると片道に最低でも6〜7時間はかかる道程で、しかも ご丁寧にも宿泊施設が一軒も無い。そこで辺戸岬を後回しにし、次に行きたかった瀬底島(せそこじま)に照準を合わせた。

瀬底島は地図を眺めるかぎり、すでに訪ねていた海洋博記念公園の近くになるので楽に考えていた。ところがこの瀬底島もバスと徒歩で訪問しようとすると一筋縄では行かないのである。

瀬底島まで行くバス便が1日4本のみ、うち瀬底島で日中ゆっくりと過ごせるように到着する便は一本しかない。名護BTを午前に出発するその便に乗るためには、那覇を早朝に出発する必要があった。

瀬底島も後回しにしようかと瞬間頭をよぎったが、どんな事態になっても前述の20km以上といったとんでもない距離ではなく、歩こうと思えば歩ける範囲なので決行することにした。


メゾネットタイプのベッドから飛び起き、一杯のコーヒーを流し込んだあと早々に那覇を出発した。

出発からおおよそ3時間弱、やっと瀬底島に架かる真っ白な橋が近づいてきた。

瀬底大橋を渡るバスから眺める海峡の景観はまぶしいほどに美しかった。

この景色の前には3時間の手間など何ほどのことでもない。

あっという間に橋を渡り、島の中央にある瀬底公民館前のバス停に到着した。


Uターンして戻るバスを見送り、瀬底ビーチのある方へと横道へ入る。この島の入口にあたる瀬底大橋が東側に対して瀬底ビーチは反対側の西海岸に位置している。

ビーチが近づくと工事現場のような様子のところが目立ってきた。瀬底ビーチ駐車場と大書された看板のところまで来ると、係員が飛んできて車はどこかと尋ねられた。歩いてきたと答えると、しばし沈黙....しみじみ不思議そうな顔をされてしまった。

バス便で歩いて来る訪問者などほとんど皆無だという。また工事中なのはリゾートホテルであるとの情報も得た。

白い砂浜が700mもつづく瀬底ビーチ

砂浜への入口は小さいがビーチに出ると、白砂が南へ向けて700mも延びている大型のビーチだった。砂はきめ細かくパウダーのようにさらさらしており、遠浅になった海岸線では海の青色と混ざり艶やかなエメラルドグリーンを生成していた。

波打ちぎわで見る海はどこのビーチで見た水より透明度が高い。海面を注視すればすぐに魚影を発見できるほどだ。やはり天然ビーチにはどこか生命力が感じられ、自然と調和しているせいか落ち着いた環境をつくってくれる。

その居心地のよい海岸をしばらく遊び歩いたが、さすがに泳ぎもせず暑く灼けた砂上でうろつき回ったおかげですっかり干上がってしまった。

ビーチ入口近くにあったサンデッキCAFEに戻り、涼をとるこにした。運ばれてきたメロンのかき氷が、数口も食べないうちから溶けてゆく。淡雪のように消えゆく かき氷、見ているだけでも涼がとれるのである。

真正面の洋上には水納島(みんなじま)が浮かんでいた。泳いで行けそうなほど近くに見えた。

周囲4.5 kmというからこの瀬底島より一段と小さな島になる。その形状が似ているところからクロワッサン島と親しみを込めて呼ばれていることを知った。


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おかいものスヌーピー

ビーチではシュノーケルで遊ぶ人たちが目立っていた。小魚が寄ってくるらしく、子供たちは大喜びで、親御さんたちも完全にハイ状態。

こちらは相も変わらず着の身着のままで出掛けてきているので、シュノーケリングはおろか泳ぎもままならず指をくわえて観ているばかりであった。

建設途中のホテルが景観上ジャマであることは事実だが、浜辺は何ひとつ人工の手は加えられていないので、天然のままの自然環境は健在だ。

もう少しビーチで遊びたかったが、これから歩いて瀬底大橋を渡り本島に戻るつもりだったのでそろそろビーチを引き上げることにした。本島に戻るバス便は夕刻の一便を残すのみであることはすでに承知していたからである。

さあ、島の中央を横切って反対側の東海岸へ、バスの窓外で白く輝いていた瀬底大橋を目指して出発をしよう !


「瀬底島」のガイドページへ


周囲8kmの瀬底島(せそこじま)、その人口は1000人という。

島の中央に向かって歩いてみると、住宅と住宅の間がきわめてゆったりとしている。また戸外なのに物音ひとつ無く静まりかえっている。

風防のため植樹されたフクギが空に向かって勢いよく伸び、敷地に沿って背の高い緑の壁をつくっていた。

瀬底ビーチをあとにして、島の出入り口となる瀬底大橋のある東海岸を目指しているのだが、フクギ並木が視界を塞ぐため角を曲がるたびに方向感覚を失ってゆく。



フクギ道を縫うように県道172号に出て、県道に沿って歩くうち廃屋になった家の前を過ぎた。門柱にX字型に板がくくり付けられ、内庭は雑草の天下となっている。打ち捨てられたその廃屋は風化したなかにも島の歴史が刻まれているようで、しばらく佇んでしまった。

ある役割りを終えたものが無駄なものと映るか、文化や歴史を体現するものと捉えるかは意見の分かれるところだ。

住宅など古い建築物などは、旧跡や名所の謂われでもない限りすぐに姿を消してしまうのが相場。狭いニッポンなのだからそれが現代条理にかなうのだろう。

とにかく大都会では古建築住宅以外はすぐに整地されるので、廃屋が風化にまかせるなどの風景にはまずお目にかかれない。

廃屋が忘れられたように残されている瀬底島には、揺れ漂うように穏やかな時が流れていた。

なおも県道を10分ほど歩くと、ようやく瀬底大橋がチラリと視界に入ってきた。


なぜか島から離れがたく、橋へ直行するのを変更して少し道草をすることにした。東側の海岸線をぶらつくため横道に入ると、きれいに整備された公園を発見。そしてその公園からの展望がなんとも素晴らしかった。

海峡のエメラルドグリーンを背景に白く浮き上がる橋。島に入るとき通ったのたが、バスからではその全景を見ることがかなわなかった瀬底大橋が公園の眼下に広がっていた。

招かれたルーフデッキでの眺望

下り坂になった道沿いに大きなログハウスが建っていた。

その建物の前庭が東シナ海の海峡に面し素晴らしく眺望のよい場所だった。

海面を滑るように吹きあがる風をうけながら海を眺めていると、突然建物の屋上から声がかかった。

「いい景色でしょ!」の声につられて振り返ると、2階のサンデッキから男性の笑顔が覗いている。

入り込んだこの場所、実は個人宅であったのだ。ログハウス風の建物を見て頭から飲食店か何かの建物と思い込んでしまったためだ。

失礼を詫びると、「2階のサンデッキの方が見やすいのでどうぞ」 と気さくに招いて下さった。よく冷えたお茶を頂きお話をうかがうと、ご主人は沖縄ではなく北海道の人であった。

キャンピングカーで訪れたとき、この地に一目惚れをしたという。その病がこうじて瀬底島に移り住むことを決心。ログハウスの家まで自ら造り上げたというから、やることが半端じゃない。


旅先で遭遇できた親切にすっかり気持ちも温まり、早々に辞し大橋へ向かう。

長さ762m、高さ25mの瀬底大橋は昭和60年(1985)2月13日に完成している。それまでは渡しの連絡船が往復していた。

目の当たりにした大橋は大きく遠かった。700mを超す一直線の道、足の下25mにはエメラルドグリーンの海峡が横たわっている。

瀬底島側の橋脚下は通称「アンチ浜」と呼ばれ、遊泳やマリンアクティビティーを楽しめるビーチとして人気が高い。漢字は安置と書くらしい。

瀬底大橋は歩いて渡るだけの価値を持つ橋であった。車では絶対に味わうことはできない。どんな味かと問われたら、「極上の爽快感」とだけお伝えしておこう。

アンチ浜の遠浅で一心に貝殻を探す女性の風景がまるで外国のように見えた。橋の半ばで見下ろす海峡は圧倒的でめまいがするほど美しい。洋上の散歩を可能にする瀬底大橋だった。

アンチ浜で遊ぶ女性がひとり、まるで絵画のような情景


「瀬底島」のガイドページへ


渡久地(とぐち)港。変わり映えのしない港だった。しかしどこか懐かしさを感じさせてくれる場所でもあった。

港から洋上を眺めると左手に国道449号線の通る本部(もとぶ)大橋が見える。その沖合 7 kmほどのところには水納島(みんなじま)が浮かぶ。

渡久地港、右に見えるのがフェリーの発着する浮き桟橋

本島から橋でつながる瀬底島の右手に位置するこの小島は形状がパンのクロワッサンに似ているところからクロワッサンアイランドとも呼ばれる。

渡久地港は遊泳ビーチを備えたこの可愛い水納島へ渡る連絡フェリーの発着港でも知られ、夏場のシーズンには混み合うという。

フェリーの券売場に行くと、水納島までフェリーで15分だとわかった。

連絡さえ良ければとその気になり、早速タイムテーブルをチェック。


ちょうど高速フェリー 「ニューウィング・みんな」が出発したばかりで、あと2時間も待たねばならない。そこで得た情報によると、水納島には50人ほどの住人が生活しており、学校と灯台と小さな牧場のほかはコンビニひとつ無い人間の手が加えられていない自然のままの小島だという。

かなり惹かれたが、2時間も待ち島に渡ればすっかり陽が傾いて、すぐに戻りの船に乗らねばならなくなってしまう。今回は見送るしかなかった。


このあとは渡久地の町に出て、そこからバスで本部半島の山間部を横断するつもりだ。

港から県道219号へ向かう途中に本部漁業協同組合の建物のそばを通り抜けた。

年輪を重ねた風貌の建物にしばしワンストップ。ここの港が沖縄の ”かつお”漁の漁業拠点であることをはじめて知った。

県道に出て道沿いにのんびり歩いていると目に飛び込んできた文字があった。「山羊(やぎ)専門料理」とある。

沖縄には個性豊かな食材や料理がずらりと並ぶ。「海ぶどう」、「島らっきょう」、「あぐー(島豚)」、「へちま」、「もずく」、「シークァーサー」、「マンゴー(青いマンゴー)」「島豆腐」....など。

本土でお馴染みになっている「もずく」だが、実は国内消費量の95%が沖縄産である。この山羊料理も沖縄特有のもの。歴史がある分、それはそれはディープなのである。

山羊はまだ未体験ゾーンだ。試食をするチャンスが無かったというよりは腰が引けていたと云う方が正直なところか。

悠々閑々といった風情の渡久地の町

琉球銀行の前にバス停留所を発見。海岸線回りではなく、名護から渡久地の半島中央部をつらぬく瀬底線に乗りたかった。

時刻表を見ると20分ほどで連絡する。お茶をするほどの時間は無いので、そのまま待つことにした。

本部半島には八重岳という山麓があり、いくつかの山塊と連山をなしている。

その連山のふもとに名護、今帰仁(なきじん)、本部などの街が形成されているのである。

だから本部半島の市街地は、こぼれるような緑の山並みを背景に前面はエメラルドグリーンの海という夢のような環境が生み出されている。

これから乗るバスはその八重岳を通り抜け名護へと向かう県道84号をひた走るのである。本部半島の高度のある道を揺られ、バスから山間風景を眺めようというのが今回の”もくろみ”なのだ。

またこの県道84号線沿いにはいくつかのテーマパークや名所があるというから楽しみだ。しかしバス旅行を基本ルールに決め込んだ身には、バスを一度降りると次はいつ乗れるか運まかせ。運に恵まれず連絡が悪ければ名護まで歩くことにもなりかねない。

したがって慎重に選定しなければならないが、今日は気の向くまま動いているので下準備などしていない。降りるポイントは直感にしたがいアドリブで決めるしかないのである。不確かな旅ほどスリリングなものはない。

バスがまだこない。20分はゆうに過ぎている。すでに不確かな旅は始まっているのだ。


渡久地港

住所 国頭郡本部町渡久地
施設 駐車場・トイレ

フェリー関連問合せ
0980−47−5179(水納海運)

交通
 那覇空港より 180分(国道58号線を北上−名護宮里3丁目の信号左折し国道449号線に入り北西へ−大浜の信号を右折し県道219号線に 入る−谷茶のバス停を左折し渡久地港へ)

BUS 那覇BT 120分(名護西線20番)−名護BT 60分(66・67番系統瀬底経由循環線に乗り継ぎ)−谷茶(たんちゃ)下車徒歩5分


遅れていたバスが渡久地(とぐち)のバス停にようやく到着してくれた。乗り込むと最後部の席に着き、広い窓外視野を確保する。

バスはこれから八重岳の山間を縫いながら名護へと戻ってゆく。渡久地を出発したバスは山並みへとしだいに高度をあげ濃い緑の風景へともぐり込む。

八重岳入口というバス停が近づいてきた。琉球寒緋桜の名所で日本一早い桜まつり(1月下旬)を開催する名所で、ふもとから山頂にかけての4kmほどの間に7000本もの寒緋桜があるという。今は季節ではないのでパス。

伊豆味パイン園

バスの窓から年代物の建物が見え、壁中に目一杯の文字が躍っている。

「一九二三年 沖縄パインの発祥地」とあり、指がバスの降車ボタンを押していた。

ハワイから苗を輸入し沖縄でのパイン栽培が始まったとされる伊豆味パイン園だった。

古い建物の横に観光客用のショップがあり、そこがパイン園への出入り口になっていた。

小さなショップモールのような一角ではハブとマングースのプログラムまでやっていた。

ただし現在では動物を戦わせるショウは禁止されているのでそれに近いプログラムなのだろう。しかしこのショウにはまるで食指が動かず見送った。

パイン園へ通じる建物に入ると、中はエコ活動中なのかと思うほど薄暗い。パインに絡むジュースから菓子までの商品がところ狭しと陳列されている。そのまま通り抜け建物の裏にあるというパイン園へ出てみた。

山間の一画にある野原のような場所だった。

背の高い樹木が無いので見晴らしはよく、囲われたところにパイナップルがなっている。

以前アメリカにいた頃、知り合いのアメリカ人に聞いたことがある。

「なぜ英語では”PINE−APPLE/パイナップル”って云うの? PINE(松)は形が松ぼっくりに似ているので理解できるが、なぜAPPLE(りんご)なの?」

彼の答は5歳の幼児ほどの説明でしかなく、味がリンゴに似ているとか、リンゴがフルーツの代表的なものだからだと云う。

味など似ているわけがない。たたみかけるように質問をした。

「味も違うし、果肉の食感も違う。果実の繊維質から考えればむしろオレンジの方に近い。なぜ”PINE−ORANGE/パイノレンジ”じゃいけないの?」

返事に困り果てた彼の顔を想い出し、自然に顔がほころんでいたのだろう、横から気さくに声がかかった。「パイナップル、お好きなのですか?」

真黒に日焼けした顔に優しく笑う眼がこちらを見ていた。

最初はパイン園の人かと思っていたら、彼も訪問者のひとりで、どこかで果樹園の仕事をやっているようだった。

彼は今は咲いていないが、パイナップルも花をつけることを伝えたくて声をかけて下さったようだ。

幸いなことに筆者はハワイで観たことがあった。

松かさのような花序に、円筒形で先の方が青紫に染まった花をびっしりとつけていたことを鮮明に憶えている。

私がパイナップルの花を観ていたことを、彼は我が事のように喜んでくれた。


日頃あまり馴染みのないドラゴンフルーツやパッションフルーツのことを質問すると、何でも教えてくれた。

熱心に全身で答えてくれる彼はトロピカルフルーツのプロだった。

彼にお礼とお別れを告げ表に出ると、県道84号線を挟んだ向かい側に面白いものを発見した。

個人宅なのか公的建物なのか判然としない家の周りには神様の像が張り付いていた。家の守りはシーサーと相場の決まっている沖縄に布袋さま? 何とも奇妙な風景に立ち止まり、スナップショットまで撮ってしまった。

県道84号を名護方面へ向かって歩くことにした。むせ返るような緑の山道をしばらく歩きたかったので、バス停のタイムテーブルはあえて無視した。バスが来る時間を知ってしまうと、その時間に縛られてしまうからだ。

強烈な直射日光は射すが、高地のせいか空気はカラッとしている。県道沿いには一定間隔でショップが並ぶ。ちょうど車での観光客が止まりやすい間隔である。

パイナップルはもちろんビニール紐にぶら下げられたまだ青いバナナの大房、とんでもないほど巨木になるガジュマルの苗木、カブトやクワガタなどの虫とショップごとに特徴があった。

機嫌よく歩いていると頭上に名護市の境を示す標識が現れた。伊豆味パイン園から15分くらいしか経っていないのに本部と名護の境界まで来てしまった。

名護市に入ると右手に黄色い建物が見えてきた。「やんばる亜熱帯園」と大書された看板が上がっていたが、やはり入園するほどの気にならずそのまま通り過ぎる。

名護市に入ったことで益々調子が出てきた歩きを止めたのは大きな石燈籠だった。


県道から少し奥まったところにあった石屋さんの作品が偶然目に飛び込んできたのだ。3m以上もあろうかという石灯籠には龍が絡み獅子(シーサー)が伏臥する。

見事な造りの石灯籠がこともなげに敷地の隅に放り出されているから、ことさら目立ったのかもしれない。石灯籠の近くには、これまた何の気取りも無く ”ハナチョウジ” が滝のような花をつけていた。

こぼれ落ちるような花をつける ”ハナチョウジ ”(左) 精密な細工の石灯籠(右)


伊豆味パイン園
(いこいの駅 いずみ)
  2009年リニューアル

住所 国頭郡本部町伊豆味2821-2
電話 0980-47-3601
パイン園 9:00~18:00 無料
駐車場 30台無料
交通
 那覇空港より 160分(国道58号線を北上−名護バイパス(58号線)の白銀橋東の信号を左折し県道84号線に入り北上−中山交差点を直進−右手)

BUS 那覇BT 120分(名護西線20番)−名護BT 30分(70・76番系統備瀬線・瀬底線に乗り継ぎ)−第一ウジュン原下車スグ




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