県立博物館のある”おもろまち”には歴史があった  〜沖縄ちょぼ旅 BLOG 67〜

原稿の締切に追われ徹夜になってしまった。なんとか明け方に送付したが、すっかり午前中が台無しになってしまった。

淹れたばかりのコーヒーを抱え、バルコニーで意識を覚醒させていると、大きな音が耳に突き刺さった。バルコニーがら見下ろすと乗用車とバイクの接触であったようだ。でも大丈夫、幸いに両者とも無事なようだった。

                                博物館横の新都心公園へつづく道

我が宿舎にしている長期旅行者用マンションのある”おもろまち”はかなりの交通量がある。那覇の新都心として定着し最近では人の出入りが多いと聞く。

今日は午後しか自由時間がないので、今まで行けなかった近所にある博物館を訪ねることにした。

このあたりは戦後、米軍の住宅地として40年ものあいだ接収されていた地区であった。

昭和62年(1987)5月に全面返還されたが、那覇新都心開発整備事業は平成に入ってから実施されたものである。

博物館のまわりに配置された合同庁舎や新都心公園なども新しい町だけにゆとりのある区画整備がされており、道路も線を引いたように真っ直ぐ伸びている。

沖縄県立博物館は宿舎のマンションから徒歩で7、8分のところにある。今まで日々の買い物で何回通り過ぎたことか。今日初めて入館することになる。

軽い運動がてら新都心公園経由で博物館へ出発する。しっかり汗をかいたあと博物館に到着。ゲートをくぐると正面入口の手前がパティオのようになっており、そこは琉球民家や高倉を設置した屋外展示場になっていた。

琉球の古城(グスク)をイメージしてデザインされた大型建物で、左翼は博物館、右翼は美術館として使い分けていた。

前庭エリアの屋外展示場

内部展示は分野別に整理されているのは云うまでもないが、その網羅ぶりの豊かさには驚いた。

沖縄に関わる人文科学、自然科学、両系統を細大漏らさず封じ込めたように思えるほどだった。

お手軽なテーマパークもよいが、たまには真摯に博物館と向き合うのも深い。

どっぷりと沖縄の勉強をし博物館を出ると、太陽が傾き始めていた。


日が沈むまでにはもうしばらく時間がありそうなので、この近所で以前より気になっていた場所へと向かった。

博物館から”ゆいレール”のおもろまち駅方面へ歩くと6、7分で右手に小高い丘が見えてくる。丘の上には個性的な形状をしたタンクが遠目にも見てとれる。

このタンクには旅行第1日目に気付いていたので、すぐに調べて那覇市水道局の給水タンクであることを知っていた。しかしその後滞在中に調べていた沖縄戦争の資料に、この丘のことが記述されており重要な事実が浮かび上がっていた。

それからはこの丘のことが気になり、県庁前にある那覇市歴史博物館などをのぞきながら少しづつだが調べていた。

3ヶ月におよぶ沖縄戦の中盤に戦局を左右する極めて重要な戦いが、この丘で繰り広げられていたという事実である。昭和20年(1945)5月12日から1週間にわたって日米両軍がこの丘を取り合い激戦となった。

この丘を米軍は「シュガーローフ」と名付け、日本軍は「安里(あさと)52高地」とか「擂鉢山(すりばちやま)」と呼んでいた。ちなみに硫黄島で獲り合った小高い山も「擂鉢山」と云った。

  現在のシュガーローフ、頂上に造られた白い給水タンクが夕陽に赤く染まり始める

丘に着いたのでさっそく登り階段を上がってみた。下から見上げたときは小高いという表現をしたが、実際に登ってみると相当な高度があり視界域も広かった。戦時下では重要なポイントになったであろうことが理解できた。

米軍のノルマンディー上陸が世に云う ”D−デイ” だが、それをはるかに超える規模で沖縄進攻作戦の上陸 ”L−デイ” が敢行された。その沖縄戦で最も米軍がてこずり、多数の死傷者と心神耗弱者を出すほど恐怖したのがこのシュガーローフの戦いであったと米軍側の記録にある。

日本軍は硫黄島に匹敵するほどの戦いを展開し、米軍はこの小さな丘を制圧するのに1週間の時を費やし、初動に投入した中隊が小隊、分隊となり、ついには丘の土に消えていったと米軍人の手記も残されていた。

一方日本側も正確な記録こそ残されていないが多大な犠牲を払ったことは云うまでもない。

硫黄島は1949年にジョン・ウェイン主演による「硫黄島の砂」で映画化され、最近ではクリント・イーストウッドにより映画化されるほど有名だが、「シュガーローフの戦い」を知る人はほとんどいない。

シュガーローフが制圧された後、日本軍は首里を捨て南部への消耗戦へと展開し ”ひめゆり”を代表とする南部各地での悲惨な戦禍が現出してゆく。しかし実際のところ、ここシュガーローフでの決戦で事実上の決着がついていたと云えるだろう。

今は給水タンクで占められ、まわりには可愛い展望台と一握りほどの安里配水池公園があるばかり。両軍が多大な犠牲を払った丘は、今は何事も無かったように夕景のなかで静まりかえっていた。


参考文献:「沖縄シュガーローフの戦い−米海兵隊地獄の7日間」 J.H. ハラス著 光人社刊
       「新都心物語」 那覇新都心地主会発行
       「那覇市史 通史篇 第3巻 現代史」 那覇市歴史資料室 市史編集委員会


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