北谷町のアメリカ村 〜沖縄ちょぼ旅 BLOG 69〜

早いもので沖縄に来て1ヶ月半も経ってしまった。これくらい滞在するとそれなりに知り合いができるものである。そして些少ながら知識も増えてゆく。

やはり年配の方から教えていただくことが多く、質問の連射にも根気よくお付き合いを頂いている。ときどき困るのは”ウチナーグチ”と呼ばれる沖縄方言にぶつかり何度も聞き返してしまうことだった。そして未だに沖縄方言だけは頭の中で整理はおろか脈絡すら ついていない。

本日の訪問地は北谷(ちゃたん)の町にした。その北谷町にあるアメリカンビレッジやサンセットビーチなどを訪ねてみるつもりでバスに乗った。

フェンスで固くガードされた米軍キャンプ内には軍用車両が

本島をあちこち廻りながら不思議に感じていたのが、本島における米軍施設の多さである。各米軍敷地の広さも半端ではない。

戦後65年もの歳月が流れているにもかかわらず、国道58号線沿いだけでもその占有ぶりは旅行者の目には異常に映るほどだ。

これが日米条約による防衛戦略上のものだと理解しているが、現実の沖縄を見ると占領下にあった沖縄の風景にダブってしまう。

もっとも実際の占領統治下の沖縄はこんなものではなかったと思うが、イメージが同盟というより統治下の占有に近い。

58号線ルートにも占領下の名残りなのか、「航空隊入口」とか「軍病院前」という名のバス停がある。今日訪問しようとしている”アメリカンビレッジ”はこの「軍病院前」が近いが、少し米軍キャンプの周辺を歩きたかったのでひとつ手前の「北谷(ちゃたん)」で降りた。

国道58号線沿いには切れ目なく米軍キャンプが連なっていた。”キャンプフォースター”、”キャンプレスター”、”嘉手納エアベース”と北へつづく米軍キャンプは、いずれも広大な敷地を有していた。フェンス越しに見ただけでも、かくも広き土地が必要なのかと思えるほどだ。

                               バス停 「軍病院前」

軍病院前のバス停に着くと大きな観覧車が見えてきた。観覧車が複合施設アメリカンビレッジの目印だ。

観覧車のある方へ向かうと、小さな川が流れており両側にはショップやシネコンなどの建物が密集している。フードコートにボウリング場まであった。

ショップはアンティークジーンズから輸入雑貨まで幅広く、ウィンドウショッピングだけでも楽しめるだろう。

食事も方もかなりの種類を網羅したフードコートになっており、ガイドページでもすこしふれたがデポズ・ガーデンというレストランでは典型的なアメリカンプレートも体験できる。

ちょうどお昼どきだったのでメキシコ料理のタコスをテイクアウトし、川のそばに設置されている屋外テーブルで楽しんだ。

食後軽く一周したが米国都市にあるショッピングモールと同種の匂いであった。

アメリカンビレッジは2004年に完成した施設だ。1981年に返還された米軍施設”ハンビー飛行場”の跡地が再開発され、このアメリカンビレッジと南部の北谷公園が造成されたのである。

ちなみにこの北谷町の半分以上がまだ米軍施設によって占有されている。文字通り、このあたりはアメリカ村なのである。

アメリカンビレッジに隣接してサンセットビーチがあるので、そちらの海岸線へ向かった。

こぢんまりとした人工ビーチが出迎えてくれた。町なかにある利便性の高いビーチらしく機能を重視した造りである。

足まわりが良いので簡単に夕景を楽しんだり、ビーチでバーベキューパーティーを開いたりと手軽に利用できる施設になっていた。


ビーチそばには あたりを睥睨するようにひとつの高層ビルが建っている。ザ・ビーチタワー沖縄というホテルだった。周辺は都市型リゾートの環境が整っているので短期滞在には手頃の宿舎になるだろう。

 清潔で可愛らしいサンセットビーチ

今日は格別に暑かった。湿度をたっぷりと含んだ空気が陽にあぶられて一気に温度を上げているようだ。ビーチぎわにちょうどよい木陰を見つけたのでしばらく涼をとることにした。

夏を誇示する入道雲を眺めているうちに、セミの声を追いかけていた遠い日に戻っていた。気がつくと空いていたビーチがしだいに混み始めている。沖縄駐留の米人家族と思しき客の多いこと。

このサンセットビーチやアメリカンビレッジを中心にした北谷町は北に浜川漁港、南には北谷公園を有している。どちらに向かうか迷いながら、騒がしい英語が飛び交うビーチを後にした。


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