250年前の生活を刻んだ古民家、中村家住宅    〜沖縄ちょぼ旅 BLOG 83〜

重厚な石灰岩の石壁に囲まれた古民家があった。白い石壁の上からこぼれたフクギの緑色が鮮やかだ。470坪の敷地にゆるりと建つ姿は、風格もあるがそれ以上に確かな生活臭が浸み込んでいた。18世紀中頃に建築された豪農中村家の住宅である。

門から入り石壁に沿って並ぶ偉丈夫そうなフクギを見上げていると、いきなり空から大粒の雨が落ちてきた。沖縄に来て2カ月半が過ぎていたが、今まで雨に遭ったのは3回だけであった。

HARD RAINという言葉がぴったりなほど一気に激しく降るがスコール(豪雨)ほどではない。強烈な太陽にさらされ火照った顔には気持ちよかったが、ヒンプン横の中門を抜け内庭から母屋のひさしの下に隠れた。雨の音を聴きながらしばし内庭を眺める。

中庭に面して高倉が付設されていた

内庭を挟むようにしてアシャギと呼ばれる離れ座敷と穀物収蔵の高倉が向かい合って建っていた。高倉の上部が妙に大きくアンバランスに見える。上部の傾斜をつけることによってネズミの侵入を防ぐ工法 ”ネズミ返し” のため多少大きくなっていると案内があった。

沖縄特有のヒンプン(門と屋敷の間 つまり敷地の入り口に配置する魔除けの眼隠し塀)を右手に入ると母屋の一番座(客間)に出て、そこから左へ二番座(仏間)、三番座(居間)と部屋が並ぶ。ヒンプンを左に入ると台所のあるエリアへと向かう。そのためか男性は右から、女性は左から入ると云われている。

始まった時と同じように急速に雨足が細くなった。雨を浴びたフクギの緑や遠くに咲く花の赤が輝いていた。屋内の見学を始めるため母屋に入ることにした。

一番座の奥には裏座の2部屋が

ヒンプンを配置するような本土にない沖縄民家構造の特徴がもうひとつある。

普通に一見するだけでは気がつかないのだが、実は屋内には玄関に相当するものが見当たらないのである。

この滞在中にも何度か住居に訪問する機会があったが、いずれも客間とか居間などに直接あがり込むことになった。

ほとんどが戸を開け放ち光と風を取り込んでいるので、基本的にはどこからでもアプローチ可能な造りなのである。

ここ沖縄で玄関に相当するものをあえて挙げるとすれば、敷地内に入る門とヒンプンしか見当たらないのだ。

このことに気づいたとき、またひとつ沖縄を肌で理解でき近づけたような気になった。

沖縄の民家は平屋が基本なので敷地面積の割には部屋数も少なく以外にこぢんまりとしている。

そして一番座(客間)、二番座(仏間)、三番座(居間)と右から左へ並ぶ。そして台所や土間や板の間が付属する。この古民家も同様で玄関などは無く、典型的な沖縄民家を保存維持しているようだ。

母屋はこの他に裏座と呼ばれる寝室など2部屋が、勝手まわりとして台所や板の間がそれぞれ公開されていた。台所ではカマドや酒器などが鑑賞でき、屋根裏の様子も窺うことができた。

                                台所まわりにある備品の展示

この中村家住宅の由来は古く、500年以上も昔にまでさかのぼる。

1440年、読谷村の有力豪族の護佐丸が首里王府の命で、この地の中城城へと配置替えとなったことから始まる。

中村家の先祖がこの護佐丸に同行し移住したと記録にある。しかし1458年護佐丸が倒れたあと王府の手から逃れるように一家は離散している。

ところが中村家の血脈はしたたかにタフだったのか、250年も経った1720年頃 同地で地頭として復活するのである。

この古民家の建築が18世紀中頃というからちょうどその時代に建てられたのだろう。

実際にその当時の建築物は母屋だけらしく、爾後しだいに増やされていったと聞いた。

      井戸とその奥の建物はメーヌヤー(家畜舎)

勝手口から表に出ると、すっかり雨は上がり、陽が勢いを盛り返しつつあった。目の前には大きな井戸が見え、右側にはメーヌヤーとよばれる家畜舎が付設されていた。

その奥にはフール(養豚場)まであり、居住地内ですべてを自己完結する昔日の生活様式にただただ脱帽。生活をするという単純な行為が、どれほどすごみのあることなのかを改めて教えてもらったようだ。

シーサーの護る屋根では赤瓦に棲み着いた苔が雨露できらきら光り、むしょうに陽の逆光が眼に痛かった。

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