2011年2月アーカイブ

海岸沿いのロマンスロードは本島南部の知念半島を一望に収めるなど眺望の素晴らしい道だった。

全身で風を切りながら風景を楽しむサイクリングロードとして最適なコースといえる。

ロマンスロードに入って300mも走ったろうか、道の端に東屋が見えてきた。海を望む小さな休憩所だった。

島を訪問して初めて遭遇する観光者用施設だ。そこから海岸線を眺めると面白いものを発見。

東屋から少し北へ戻ったところに、海岸へと降りるハシゴが2連設置されているのが見える。

舗装された道路とこの東屋以外 人工的なものは何ひとつ見当たらない。立てかけたハシゴだけが乗降手段という、つまり自然をまるごと残した海岸なのである。

今朝からこの久高島を時計まわりに廻っているのだが、東からこの西側の海岸域まで、基本的に観光用施設は設けられていないのである。

船で渡る離島はこれが初体験なので、他の離島と比較のしようもないが、予想をはるかに超える自然度の高さには驚くばかりだ。おそらく沖縄の原風景を色濃く残しているのだろう。

戦前までまったくの自給自足の島であったと聞いている。島の周辺には珊瑚の岩礁がぐるりと取り巻き、外海から護られたイノーと呼ばれる礁池を形づくっている。

干潮ともなるとかなり広いイノーを沖の方まで歩けるようになる。女性たちは海の畑とも呼ばれるそのイノーで海からの恵みを得て生活の糧にしていたという。

ロマンスロード下のウディ浜は透明度抜群の海

ひとつ目のハシゴを降りた。ハシゴなので海に対して後ろ向きに降りるわけだが、振り返って見た海の美しさは写真や ましてや言葉などではとうてい表現できないほどだった。「ウディ浜」と名付けられている小さな浜。

砂浜に降り立つと穏やかに寄せる波が磯を洗っている。裸足になった足をなでてゆく海水がこのうえなく心地よかった。白い砂浜は猫のひたいほどしかなく、小高い岩礁が後ろに立ち塞がっている。

今は引き潮なので満潮時にはこの砂浜は海に沈んでしまうに違いない。浅い底の白い砂地から はね返った陽光が水の中で踊り、ため息がもれ出るほど透明な青色を見せてくれている。

                      満潮時には海の中に没するウディ浜

しばし大自然の海を全身に感じながら岩陰で過ごした。止まったように感じられた時間だったが現実にはとても速く過ぎていた。

ふたたびハシゴを登り東屋で水を補給。もちろんこのペットボトルは買い置きのもので、久高島サイクリングツアーには必需品である。

前述のとおり自然のままが信条の久高島。自販機などはお目にかかれないのだ。

レンタサイクルなどの店か集落近くのお店で準備することをお奨めする。

ロマンスロードの終わるあたりにまたひとつの海岸に出会えた。先の「ウディ浜」よりはるかに大きく湾状の浜辺が広がっている。「ウグヮン浜と」呼ばれるこの浜辺は、おそらく西海岸で一番大きな海岸になるのだろう。

自転車を置き、「ウグヮン浜」を見下ろす岩礁づたいに散策していると思いがけなく釣り人に遭遇をした。岩肌にどっしりと腰を据え、のんびりと釣り糸の先を見つめているのは島の住人のようであった。

湾曲した浜辺に深い青を湛えた「ウグヮン浜」

この磯での釣果を聞きたくて、餌のつけかえの機会を待ち声をかけた。

しかし何ひとつ返事を聞くことはできなかった。

最初は聞こえていないのではと思い何度も話しかけたのだが、残念ながら どうやら黙殺されていただけのようであった。

声かけには十二分の配慮をしたつもりなので失礼は無かったと思う。


人間であるかぎり虫のいどころの悪いときもある。きっとその釣り人さんにとって、気分を害する何かがあったに違いない...などと自分にいい聞かせながら、のどかな空気が一変してしまったその場所をあとにした。

自転車旅を再開したがすぐそばに「フボー御嶽(うたき)」と書かれた案内板が立てられていた。ここが久高島でもっとも神聖な場所であることはすでに予習していた。

ここが琉球開闢神”アマミキヨ”の七御嶽の第一の聖地にあたり、12年毎に挙行される大祭祀”イザイホー”の舞台となる聖域である。

立入禁止の看板が置かれた沖縄屈指の聖域をそっと眺めたあと、自転車のハンドルを南西の集落方面へと向けた。

琉球開闢伝説は神話として捉えるとしても、時の琉球王が毎年2月にはここを訪れ重要な神事を行なってきたと伝わる。

長きにわたり王府から尊重されてきたという歴史事実も合わせ持つ”神の島 久高島”。

神話から有史へと連綿とつながる年輪の重さは確かなものなのだろう。

昔より琉球では祖霊崇拝と同様に太陽神を遥拝してきた。東より昇るティダ(太陽)を 《生》 の象徴としてとらえ祈願する。逆に西に落ち入る太陽を 《死》 ととらえ、決して手を合わせることをしないという。

そのことから沖縄では東を ”アガリ”、西を ”イリ” と読む。ちなみに雑学までにご案内すると、北を ”ニシ” と呼び、南を”フェー” もしくは ”ハエ” と発音する。

沖縄本島の首里城から朝日を臨むと、ちょうど久高島のこのフボー御嶽から昇ると云われている。たしかに朝日はみなぎってゆく精気にあふれ、夕陽からは穏やかではあるがそこはかとない物悲しさが感じとれる。

ひっそりと静まりかえった集落のはずれ

なるほどそう考えると、太陽の一日の軌跡はまるで人間の一生を示しているようにもとれる。

毎日中天に輝きながら太陽は我々に知らせてくれているのかも知れない。生を思いきり謳歌するようにと。

毎日の生活や忙しい仕事に追われていては、そんな悠揚な思いに届くはずもないのだが。

自転車をこぐ前方に集落を知らせるように石垣が見えてきた。

人の気配がまるで感じられないほど静まりかえっていた。民家の中を通りぬけレンタサイクルの店まで戻ったのだが、何とただのひとりの住民とも出会わなかった。外塀に打ちかけられた漁猟網など かすかな生活の臭いは感じたが、とにもかくにも清閑とした静けさがあたりを支配していた。

徳仁港からエンジン音を響かせフェリーが動き出す。水面に逆波を残しながら走り始めたフェリーの船尾にぼんやりとたたずんでいた。遠ざかる島はどこか凛として侵しがたい表情を浮かべているように見える。この気高い神の離島は、近くにあって実はもっとも遠い島かもしれない。


久高島 ウディ浜

住所 南城市字久高

宿泊関連問合せ
 久高島宿泊交流館

 098-835-8919

交通
 那覇空港より 40分(国道329号線を与那原方面へ−与那原警察署前で国道331号線へ−安座真港入口の信号を左折
BUS 那覇BTから50分−バス停 「安座真サンサンビーチ入口」 徒歩5分
定期船 安座真港から15~25分−久高島船待合所 自転車25分


駐車場に停めていた車に戻ると、太陽に焙られつづけた車のドアは火傷をするほど熱くなっていた。午前中にパークし、久高島を一周して戻るまでに要した時間が6時間だった。あまりの熱さに窓を開けたまま車に涼をとらせるため、近くの食堂でひと休みすることにした。

安座真港前の食堂

幸い車を冷やすには、いい風が吹いていた。駐車場近くの安座真港前にあったお店に飛び込み ”ぜんざい” を注文。

本土の ”氷あずき” に相当するのだが、沖縄で ”ぜんざい” と云えば、金時豆を黒糖で煮て薄くかいた氷を乗せたものを指す。

小豆(あずき)ほど甘くなく氷の解け具合で何とも絶妙な氷菓となる。


本当に沖縄のぜんざいは美味い。この3ヶ月食べまくっている。そのかき氷を頬張りながら地図を眺め、日暮れまでのスケジュールを組み立ててみた。

以前バスで百名ビーチまで訪れたことがあったが、その先にあったのが橋づたいに行ける「奥武島(おうじま)」だった。その時はバス便が悪く 「奥武島」まで足を伸ばすことができず引き返した。

今日の残り時間は「奥武島」の訪問に決め、ルートはバス旅行では通らなかった二ライカナイ橋を通るドライブルートで目的地を目指すことにした。

エアコンですっかり涼しくなった車内に風を入れるため窓を全開にする。自転車よりも はるかに乗り心地の良いレンタカーで国道331号線を南下した。

太平洋に面した東海岸を一望に見下ろす二ライカナイ橋

海岸線を走っていた331号線の吉富交差点から県道86号線に入った。登り勾配のあるその県道は大きなヘアピンカーブを描いており、高度のある橋脚のような柱に支えられたドライブウェイが伸びている。

つまり今走っているのが「二ライカナイ橋」と呼ばれている沖縄南部の新名所なのだ。トンネルをくぐったあたりに駐車するスペースがあったのでパークさせた。トンネルの真上にあった展望スペースで改めて眺望の素晴らしさを知った。

二ライカナイという伝説の理想郷から名をとったこの道は太陽の昇る久高島やクマカ島などを見下ろす高台に優雅な曲線を描いている。上りでは眺望を楽しめず、下りにこそ最高のドライブウェイになるだろう。

さっそく車に乗り直し下ってみた。トンネルを出たときに目に飛び込んでくる大海原はなるほど絶景で、たった数分のドライブだがインパクトのある印象をしっかりと刻んでくれる。

                           ほんのひととき寄り道した沖縄刑務所

ニライカナイ橋を往復したあと先へと進んでいたら、左手に「沖縄刑務所」があった。つい寄り道をしたくなりワンストップをする。

建物の正面玄関には「沖縄刑務所」と「月代技能訓練所」と書かれた2枚の木製プレートが掲げられていた。

月代(つきしろ)とは地区名のことで、刑務作業として紅型の染め技法から、鯉のぼりの縫製まで多種多様の訓練をしているという。

建物からは物音ひとつ無くひっそりとして静寂に包まれていた。

正面ゲート近くにあったのは《見返りのシーサー》という獅子像。出所者の新しい旅立ちの道標になるようにとの願いをこめて職員一同が名づけて設置されたとあった。

以前、東京の府中市にある刑務所を訪れたことがあった。物々しいほどに高くそびえる外周壁が厳然とあたりを払っていた。

しかしここの空気は違っている。刑務所という名には ほど遠い幽寂の感が取り巻いていた。

同じ県道86号線沿いには航空自衛隊の駐屯基地もあったりする。南へ向かう137号線にレーンチェンジするとすぐに国道331号線に再会できた。

このまま南西方面へ進めば沖縄祈念公園へと至るが、その途中に目的の奥武島があるはずだ。


1週間ほど前に訪問した屋我地島〜古宇利島のとき、最初に通り過ぎた小島がやはり「奥武島」と云った。沖縄には喜屋武(きやん)もそうだが、この奥武島のように同じ名前の場所があるので注意する必要がある。

名護市にある方の屋我地島へとつづく「奥武島」には墓があるだけの無人島だったが、こちら南城市の「奥武島」には小さな漁村が形成されているようだ。

「奥武入口」の信号が現れ国道331号線から左へ針路を変える。すぐに「奥武橋」が出現したので一気に渡ったのだが、正面には小ぶりなビーチと軒を並べる店が目に飛び込んできた。

橋を渡りきるとT字路にぶつかり右か左を、運転しながらの瞬時判断を迫られるポイントになる。左は観光地然とした店が並び、右は地味ながら海岸沿いの外周道路だった。

奥武島の西側の海岸線は礁池(イノー)のような石灰岩礁が水上に顔を出していた

頭のどこかで簡素な漁港と思い込んでいたためか、人通りが多く雑然とした左の道筋を避け、ハンドルを右の西側に切っていた。

数分走ると海側へと降りる道があった。当然その道へと入ったのだがその先は凹凸の激しい岩場が広がっている。レンタカーで走れば間違いなくボロボロになってしまうので入口近くに駐車した。

                        あちこちにできた水溜まりは小さな水族館

徒歩でその岩礁域へと降りると、引き潮で現れたのか石灰岩礁があたり一面にとんでもなく大きく広がっていた。

あちこちにできた水溜まりには海の小動物が精一杯の活動をしている。

小魚や蟹を見ているうちに男どもは童心に戻るものらしい。

夢中に遊んでいた筆者が我に返って あわてて まわりを見回すと、子連れの父親たちが子供そっちのけで夢中になっている。

西に傾きはじめる太陽は心なしか速いような気がする。影の背がみるみる長くなってゆく。車のところまで戻ったが、車は置いたまま徒歩で散策するべく、西側から民家のある路地へと踏み入ってみた。

住宅地の道幅は広からず狭からずの、実にほどのよい幅だった。島の通りは車上で感じたほど観光地化はしていなかった。

住宅地のど真ん中にポツンと寺社があった。なだらかに本堂につづく段を登ると小綺麗なお堂が建っている。中央にに祀られていたのは彩色された観音像だった。このお堂、分かりやすく観音堂と呼ばれていた。

境内にあった説明を読むと、今から400年近く前に遭難した中国の唐船を救助し、その返礼に贈られた黄金色の観音が祀られているとのこと。ただしこの黄金観音は今は無く彩色観音に替っている。この観音堂で開催される祭は、先祖の善行を祝い敬う祭となっているという。沖縄らしい祖霊崇拝の祭なのだろう。

このあとは買い食いをしたり かき氷を食べたりと、暮れなずむ奥武島で、いつまでも ぐずぐずと遊んでしまった。

           観音堂に祀られている彩色観音像


奥武島 −おうじま−

住所 南城市玉城字奥武

交通
  那覇空港より45分(国場から国道507号線を南下−東風平南の信号を左折し県道131号線に入る−県道17号線へ乗り換えさらに南下−国道331号線左折−奥武入口の信号を右折スグ)
BUS 那覇BTから70分(百名線50番) バス停「奥武入口」 徒歩15分




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