海岸線ポイントの最近のブログ記事

いよいよ今日から那覇から離れた旅を始める。しかもバスで行くのんびり旅だ。今回は南部方面に決め、本島で一番南のポイントをたずねることにした。ガイドブックによると喜屋武岬(きゃんみさき)とあるが、地図を見るとこの喜屋武岬よりやや東の荒崎という地域が最南端であることが判る。しかしその最南端ポイントまでの道が無いことも判った。やはり喜屋武岬を目指そう。

那覇バスターミナルから糸満BT(バスターミナル)行きのバスに飛び乗り小一時間ほどで終点に着いた。この糸満BTで乗り継ぎ、喜屋武まで一気に足を伸ばす。糸満BTを出発したバスは糸満ロータリーで国道331号線に乗り入れ南下して行く。しだいに鄙びた景色に変化し、ゆるゆる走るバスをその飾り気のない地色が 包み込んでゆく。

地元とおぼしき乗客を入れ替えながら走り続けたバスもようやく喜屋武のバス停に着いた。糸満BTから30分ほどの時間距離になる。降りたバス停は小さな広場にあり、幾筋もの道が町中へと繋がっている。その中から案内のあった岬へと続く道に踏み入った。ものの数分で町を通り抜けてしまい、あとはどこまでも連なる白い舗装道路。

15分歩き続けているが風景は変わらず、真っ青な空と大地の緑、そして長く引かれた一本道。ガイドブックには徒歩15分と記されているが、見渡すかぎり海岸線の気配など微塵も無い。時々観光と思われる車が何台も追い越して喜屋武岬方面に走り去る。

舗装された道は一本なのだが、いくつかの細い未舗装道路を通り過ぎてきたので間違えたかと思い始めた頃、手書きの案内板を発見(左写真)。意を強くし再び歩き続けるが、太陽のきつい照り返しが舗装道路から這い上がってくる。吐く息も熱く、まるでゴジラだ。

人家もまばらになるが、やはりあたりには、いっこうに岬に着く気配が無い。無意識に自販機を探す目。こんな人家もまばらな野中の一本道に自販機などあるはずもない。

飲み物を携行しなかった自分を呪いながら歩いていると、前に追い越して行った車が戻ってきた。岬の観光を終えての帰り道なのだろう。こちらに近づくにしたがいスピードを落としてきた。車を止め何かを尋ねるかと思いきや、そのまま走り去ってしまった。車中はカップルの観光客のようだった。

大量の発汗で体力も消耗し、いまだ目的地に到着しないため、那覇の金城石畳坂道でのひどい有様が再現されつつある。2台目の車が戻ってきたが、やはりスピードを極端に落としてすれ違って行く。決して徐行などではない。

やっと事態が理解できた。観察されていたのだ。こんな長い一本道を歩いている観光客など普通いないのである。筆者は外見からも地元ではなく訪問者であることは一目瞭然で、炎天下をただひたすらに歩いている酔狂な旅人に映ったのだろう。 車中の旅行者が行きにテクテク歩く変人を追い越し、帰りにもまだちょぼちょぼ歩いていたら顔のひとつも見たくなるのが人情というもの、何の不思議もない。 よし! カッコつけて元気に歩こう。

前方に何やら作業をしている集団が視角に入った。道路を塞ぐように伸びた樹木の剪定作業だった。早速尋ねると目的地は目と鼻の距離...遂に到着だ。これだけ苦労すると到着の嬉しさもひとしおである。

そこは断崖の上の小さな広場といった印象だった。片側には休憩所のかわいい東屋がある。その前で一台のワゴン車が旅行者のために飲料やスナックを臨時販売している。飛びつくように買い求めた水を一息に飲んだ。冷たい水が干上がった身体に沁みわたってゆく。

 喜屋武岬の崖上からの眺望

太平洋戦争末期にはこの崖上から軍人のみならず住民の多くも投身し玉砕したという。今その場所には”平和の塔”碑が建てられている。記念碑の先には東シナ海と太平洋がぶつかる大海原がどこまでも静かに広がっている。

苦労した分眺望を楽しみ充分に休憩したあと、近くの具志川城跡に向かった。もちろん帰路用の飲料は確保済みである。


喜屋武岬のガイドページへ

なだらかで長い上り勾配が終わったところにコンビニがあった。そのそばにある道が「知念岬」に行く道路にちがいない。ファミマで買い求めた冷たいお茶を飲みながら、国道331号線から海側に曲がり込んでいるその道に入った。

その道がつきあたったのは海ではなく体育館の建物だった。しかし体育館の横まで回り込んだ時、いきなり視界がパノラマ状態になった。

前方180度がすべて海。現在立っている位置が相当な高所であることが一瞬にしてわかる。

岬なので海岸線の先端部が高台にあることは容易に想像できたが、今の場所からはその先端部を見下ろすかたちになり、突端までかなりの距離があることが見てとれる。

簡単に表現すると、海面が1階なら岬の突端が2階、今居る体育館横が3階ということだ。3階から2階にかけての一帯が、綺麗に整備され公園になっていた。公園の先は海、また海が広がっている。

階段を降り遊歩道を歩き、岬の先端広場に近づくにしたがい海にせりだしてゆく感覚になる。180度の視界が200度、250度と広がってゆく。


2000年にオープンしたばかりの新しい公園である。東海岸ならではの特徴になる朝日が昇る朝焼けは絶景との評判で、今では新年の”初日の出”を拝む来訪者が年をおって増えているらしい。敷地内には”陽迎の広場”と”オーシャンビューの広場”のふたつが造設されている。何を特徴とする広場か、一目で判るネーミングだ。

公園の造りもシンプルなオブジェと東屋休憩所を設置しただけのいたって素朴な施設に仕上げてあり、まだ知られていないせいか訪問者もなく、時間を忘れそうになるほど居心地は抜群。

オーシャンビューの広場からは、真東に神の島「久高島」が視認でき、南東には小さな無人島「コマカ島」もぽっかり浮かんで見えている。海の島々を眺めているうち、知念海洋センターで聞いた「ウカビ砂盛」を探していた。

季節によって移動する白い砂浜だけの島。珊瑚礁の上にできた500平方mほどの砂山。海面に浮かぶその白い砂浜は満潮時でも水没しないと云う。

この滞在中に、必ずひとつの島くらいは船で渡ってみよう。


公園内を歩いて気が付いたのだが、ここはかなりの高低差がある施設なのでビューポイントの変化が多く景観が変わるだけでなく海の色まで変わるという面白さがあった。もうひとつあった。照明設備がフットライト以外見当たらない。造りがシンプルなだけ誰の目にも明らかだろう。

夜間訪問者など無いからなのだろう程度に考え、出口への階段を上っていると公園関係者と思われる人とすれ違った。筆者の質問に快く答えてくれた。

やはり理由があった。星座鑑賞の障害にならないよう背の高い照明をひかえているとのこと。ここは星が綺麗に見える場所であるらしい。こういった表に現れない配慮が嬉しくなる公園だった。

「知念岬公園」のガイドページへ

ホテル万座ビーチリゾートを早々に退散し、ビーチ沿いに次の目的地「万座毛」へと出発した。万座ビーチの砂浜が桟橋までつづき、その先は岩場があちこちにある浜辺に変わる。そのあたりが恩納漁港海浜公園と呼ばれている。

58号線に近くなったところに恩納漁港があった。港には漁船よりもマリンクラブの船があちこちに係留してあり、この時も珊瑚礁シュノーケリングのグループがまさに出航するところであった。

恩納漁港で出航準備中の珊瑚礁シュノーケリンググループ

国道58号線に出るとすぐ橋にぶつかった。

橋むこうのたもとには沖縄特有の墓石が川に沿うようにたくさん並んでいた。

今ではすっかり見慣れた可愛いミニチュアハウスのようなお墓だ。

お墓の密集地区を横目に橋を渡ると、やっと万座毛入口の信号にたどり着いた。


信号から北へまっすぐに伸びた一本の道は、ず〜〜〜っとなだらかな上り道。

海がまったく見えない細いなだらかな上り道をただひたすら歩きつづけて15分。やっと坂道の上まで到着すると、そこは駐車場とおみやげショップが混然一体となった広場だった。

この広場の先には風光明媚な万座毛があるはずだが、静けさなぞ微塵も感じられないほど観光地然としたその軽すぎる雰囲気にすっかり出鼻をくじかれてしまった。

しかし雑然と軒を並べる おみやげ屋を抜けると、一面に緑の絨毯を敷き詰めたような草原台地に出ることができた。

隆起した石灰岩礁に自然群生するというコウライシバが、岬先端の台地を眩しいほどの緑色で塗りつぶしていた。

この草原の整備された遊歩道に沿ってそぞろ歩くと岸壁の淵へと向かう。

淵から覗き込むと海上から20mはありそうな眺望で、海が見せてくれる青というひと言では表現できない複雑で深みのある色は何にも代えがたいものであった。

自然だけが創れるアートである。


沖縄へ来て一ヶ月近くになるが、のんびりと行くちょぼちょぼ旅を心がけていると一定のパターンが生じてくる。一日の行程で一番時間をかけてしまう場所が必ず一か所はあるということ。

そしてその場所を本能的に嗅ぎ分けることができてくる。訪問時間をバランスよく振り分けることがどれほど無意味なことかが解ってくるのである。

この万座毛はそのウエイトをかけるべき訪問場所のひとつであった。

万座毛から臨む東シナ海の眺望

岬の先端域は狭くて凹凸の変化が多いというのが通常だが、この万座毛はその名が示すように万人でも坐すことができそうなほど平坦で広々としている。東シナ海の眺望が素晴らしく、逍遥を可能とするこの草原台地は中空のテラスと云える。

遊歩道を歩くだけでも様々な角度からの眺望が楽しめ、海の表情が大きく変化する。さきほどまでいた万座毛のビーチやホテルが対岸に遠望でき、全景が掌にのるほど小さくなっている。また緑の台地もコウライシバだけではなく、見たこともない植物を発見できる..らしい。

白い花弁が可憐な野菊があちこちに咲いていた。熱心に植物を観察していた初老の紳士に尋ねると、海岸崖地にだけ咲く ”イソノギク” だと教えてもらった。またこの草原地にしか群生しない花も鑑賞できると詳しく説明を加えてくれる。聞き慣れない名前をたくさん教えてもらったのだが、覚えられたのは ”イソノギク” だけだった。

たっぷり2時間以上、この青と緑が充満する中空テラスで過ごしたあと、再び南下の旅を始動させた。


「万座毛」のガイドページへ

ようやく残波ビーチのそばにあるという「残波ロイヤルホテル」に着いた。

右に隣接するゴルフクラブとホテルの間に立つ風力発電の風車が眠たくなるようにおっとりと回っていた。

1時間以上歩いてきたのでどこかでひと休みをとホテルに飛び込んだのだが、その場所を見つけられずプールサイドに出てしまった。

結局、誰もいないプールサイドも通り抜け、そのままビーチへ向かうことにする。

道一本隔てただけの反対側にある残波ビーチにはすぐに到着。


                   ゆったりとした残波ロイヤルホテルのプール

驚くほど珊瑚の白い砂が綺麗なビーチだった。そしてまた驚くほど混んでもいた。

おそらくホテルの宿泊者とビジターがこのビーチに集中したからだろう。

思わずビジターに向かってホテルの静かなプールを宣伝したい衝動に駆られる。

波のリズムに合わせて揺れる海が抜けるように澄んでいて、カメラで切り取りたかったが撮れなかった。


どのアングルにも人が近くに入ってしまうほど混んでいたからだ。恩納村のリゾートビーチを観て歩いた経験のなかでも一番の混み方をしているビーチだった。この残波ビーチでも小休止を取れず、やむなく岬に向かう。世の中、思うようになることは少ないのである。

駐車場を通り抜け残波岬公園に入るといきなり7メートルを超えそうな赤獅子のオブジェに迎えられた。周りを見回すとレストランや「岬の駅」と称するショップなどが並んでいた。なぜかこの場所で休みたいと思わず自販機で水を求め、岬へと急いだ。

やたらと大きな広場を突っ切り、岬先端にある灯台を目指した。

真っ青な空に向かって土筆(つくし)のように伸びた白い灯台が、眼に焼き付くほど鮮やかな情景を創っていた。

凹凸の激しい石灰岩の上を恐る恐る探りながら、岬の崖ぎりぎりにやっと小休止の場所を確保した。

20 m はありそうな絶壁のへりで素晴らしく贅沢な小休止をとることができた。

崖の下を見下ろすと、先ほどまでいた残波ビーチの緑がかった色とは一変し、濃紺の海が広がっていた。

絶壁からみはるかす東シナ海に身を置いていると、身体までどっぷりと空や海の青色に染まってゆくような感覚になる。

小休止の間、ずっと眺めているうちに灯台に昇りたくなってしまった。灯台まで行くのに遊歩道を使わず、崖沿いを行くことにした。足元はひどく悪いのだが、なんとなくそうしたくなったのだ。

崖沿いに移動したので、岸壁に張り付きながら大ぶりの竿を一心不乱にキャスティングする釣り人を発見した。

崖上から一段降りたあたりに陣取り、物静かに竿先を見つめている。

近くまで降りたのだが、後ろから声をかけるのがはばかられるほど無心に集中している。

邪魔にならない程度の距離をとり、背後に陣取り釣り見物と決め込んだ。

最後に磯釣りをしたのはいつ頃だったか記憶をゆっくりとたぐってみた。

伊豆半島の南端に妻良(めら)という有名な釣り場があるが、その奥に隠れるように子浦という小さな漁村がある。

数軒の民宿しかない自然が多く残された釣りの穴場だ。子浦での釣りがしだいに思い出されてきた。その結果、20年近く釣り竿に触れていないことが判明した。

獲物が揚がったら声をかけようと思っていたが、今日は不漁のようなのでそっと引き上げることにした。釣り見学のため崖を少し下ってしまったが、今度は崖よりもっと高いところへ上がってみよう。

灯台1階で参観寄付金なる200円を払うと誰でも見学できるようになっていた。早速内部に入ったのはよいが、階段を上がれども上がれども展望台に着かない。

らせん階段の円周が小さいのでグルグル回りながら昇るため、相当昇ったようでも高度距離を稼げていないのだ。階段途中に「まだまだ」、「やっと半分」とか「もう少し頑張ろう」といったニュアンスの貼り紙がしてあった。大きなお世話なのだ。「まだ半分なの?」「え〜!まだ頑張らねばならないの」...よけいに疲れるのである。

しかし外周展望デッキに着くと苦労が報われる眺望が展開する。(眺望写真はガイドページ参照)

昇り階段で噴き出した汗を一気に洗ってくれるような風にも出会え、最高に心地よいひとときがやってくる。ホテルから残波ビーチや崖っぷちなど自分の足跡を箱庭になったような景色から見て取れる。

このあと訪ねる予定にしている座喜味城跡(ざきみじょうあと)は見えるだろうか。でも今しばらくは眼前に広がる青の世界に浸っていよう。


「残波岬公園〜残波ビーチ」のガイドページへ

本日の訪問地は恩納村(おんなそん)で唯一訪れていなかった真栄田岬(まえだみさき)。

本島中北部の東シナ海に面した恩納村はリゾートビーチを数多く有していることで名高い。

しかし断崖がそびえ立つ絶景の岬となると、名勝「万座毛」 と今日ターゲットにしているこの「真栄田岬」のふたつくらいのものである。

少し前に恩納村のビーチ巡りを敢行した時は、北部の「かりゆしビーチ」から何日もかけ南部の「ルネッサンスリゾート」まで歩き通したが、最後の南地区にある「真栄田岬」だけを残してしまっていた。

バス停 「久良波」で降り 岬へ強行アクセスすると、まもなく岬へとつづく遊歩道が見つかった。

綺麗に整備された遊歩道は深閑と静まり、葉陰を焼き付けた路はどこまでも長く伸びている。

途中に東屋風の休憩所もあり、とても歩き心地のよいプロムナードだ。


ところどころ東シナ海を見下ろす絶景の場所に出たり、再び樹林の繁るドーム路になったり、また時には”キバナランタナ”や”テイキンザクラ”の花が色づいていたりと、まことに飽きさせない道程(みちのり)である。

         キバナランタナ               テイキンザクラ

路にかぶさるように繁っている木々の向こうから、うっすらと笑い声が聞こえてきた。遊歩道に入ってから初めて聞く人声だった。

広く開かれた場所に出ると、崖上から100段近い階段が一気に海まで下っている光景が目に入ってきた。シュノーケルやダイビングスーツを身に付けた人たちが元気よく階段を降りている。階段先の海に接するところがダイバーたちのエントリーポイントになっているようだ。

階段を通り越しそのまま進むと「真栄田岬」と刻まれた石標が置かれ、その向こうには建物がひとつ現れた。まだ建って間がないのか太陽のもと白い壁がまぶしいほど輝いていた。

中ではダイビング用品がズラリと並べられたショップや軽食が取れるテーブル席のあるコーナーが設けられており、オープン・フリー・スペースではダイビング講習がグループごとに展開されていた。この施設は恩納村の村営であるらしい。

                           小屋掛けの簡易食堂から撮った村営施設

ふと見ると建物のそばに よしず張りの小屋掛けが仮設されている。東京の祭礼時に見かけるくらいの微笑ましい簡易食堂だった。

そのつましいたたずまいに親近感を覚え、小休止を取ることにする。

休憩しながら近くにあるという「青の洞窟」の場所などの情報を店主に尋ねてみた。「青の洞窟」というのは、真栄田岬に多くのダイバーが集まる大きな理由のひとつだ。

海に半没した洞窟で、上部に開いたところから射し込む太陽光が白砂の海底に反射し海面が青く光り、とても幻想的だという。沖縄有数の人気スポットらしい。

先ほど通り越してきた階段から80mほど北にあるとのこと。つまり今まで歩いてきた遊歩道の崖下にあったというわけだ。もっとも崖上からはアクセスできないのだが。


その洞窟へは船かダイビングでアクセスするが、干潮時にはあの階段下から崖下の岩場沿いに行くことができるので、気軽にシュノーケリングで楽しむ人も多いとか。

また洞窟に限らずこのあたりには多種の海洋生物が生息するらしく初級・ベテランを問わず多くダイバーが集まる大人気のマリンスポットになっている。

休憩後は岬の遊歩道散歩を再開。崖上の展望台からは南西に読谷村の残波岬、北東には万座毛、海上には伊江島が臨める。崖下では底まで透き通るような海で魚と遊ぶ人たちの風景が展開していた。

この真下に青の洞窟が             ただ今、シュノーケリングに熱中

途中遊歩道からはずれ、海面に近いところまで降りてみた。凹凸の激しい岩肌が先端まで続いており、ところどころに海水溜まりができている。海からとり残された魚たちがひなた水で機嫌よく泳いでいた。

足元さえ注意すれば、ダイバーでなくとも充分海を楽しめる岬海岸である。およそ3時間にわたり楽しんだ真栄田岬に別れを告げるべく遊歩道を戻っていると崖上を舞うパラグライダーに出会った。崖上ぎりぎりを風にのり滑空してゆく。頭上を過ぎる瞬間、空中と地上で暗黙のHELLOが交叉する。

崖の上や下で気持ち良く舞っている人たちが、とても似合う真栄田岬だった。


「真栄田岬」のガイドページへ


出発点と目的地を直線で結ぶような車旅行では味わえない旅をしたくて、バスと徒歩による「ちょぼちょぼと行く旅」が今回の沖縄長期旅行だった。ついに滞在1か月を超えたところで、そのスタイルの旅も破綻をきたしそうになってきた。

沖縄北部への旅が始まったためである。まず沖縄本島の最北端にある辺戸岬にはバスが行かないのだ。現行のバス路線の最北がオクマ(奥間)までで、そこから北端の辺戸岬まで優に20kmを超える区間はまったく交通手段が無いのである。

歩くとなると片道に最低でも6〜7時間はかかる道程で、しかも ご丁寧にも宿泊施設が一軒も無い。そこで辺戸岬を後回しにし、次に行きたかった瀬底島(せそこじま)に照準を合わせた。

瀬底島は地図を眺めるかぎり、すでに訪ねていた海洋博記念公園の近くになるので楽に考えていた。ところがこの瀬底島もバスと徒歩で訪問しようとすると一筋縄では行かないのである。

瀬底島まで行くバス便が1日4本のみ、うち瀬底島で日中ゆっくりと過ごせるように到着する便は一本しかない。名護BTを午前に出発するその便に乗るためには、那覇を早朝に出発する必要があった。

瀬底島も後回しにしようかと瞬間頭をよぎったが、どんな事態になっても前述の20km以上といったとんでもない距離ではなく、歩こうと思えば歩ける範囲なので決行することにした。


メゾネットタイプのベッドから飛び起き、一杯のコーヒーを流し込んだあと早々に那覇を出発した。

出発からおおよそ3時間弱、やっと瀬底島に架かる真っ白な橋が近づいてきた。

瀬底大橋を渡るバスから眺める海峡の景観はまぶしいほどに美しかった。

この景色の前には3時間の手間など何ほどのことでもない。

あっという間に橋を渡り、島の中央にある瀬底公民館前のバス停に到着した。


Uターンして戻るバスを見送り、瀬底ビーチのある方へと横道へ入る。この島の入口にあたる瀬底大橋が東側に対して瀬底ビーチは反対側の西海岸に位置している。

ビーチが近づくと工事現場のような様子のところが目立ってきた。瀬底ビーチ駐車場と大書された看板のところまで来ると、係員が飛んできて車はどこかと尋ねられた。歩いてきたと答えると、しばし沈黙....しみじみ不思議そうな顔をされてしまった。

バス便で歩いて来る訪問者などほとんど皆無だという。また工事中なのはリゾートホテルであるとの情報も得た。

白い砂浜が700mもつづく瀬底ビーチ

砂浜への入口は小さいがビーチに出ると、白砂が南へ向けて700mも延びている大型のビーチだった。砂はきめ細かくパウダーのようにさらさらしており、遠浅になった海岸線では海の青色と混ざり艶やかなエメラルドグリーンを生成していた。

波打ちぎわで見る海はどこのビーチで見た水より透明度が高い。海面を注視すればすぐに魚影を発見できるほどだ。やはり天然ビーチにはどこか生命力が感じられ、自然と調和しているせいか落ち着いた環境をつくってくれる。

その居心地のよい海岸をしばらく遊び歩いたが、さすがに泳ぎもせず暑く灼けた砂上でうろつき回ったおかげですっかり干上がってしまった。

ビーチ入口近くにあったサンデッキCAFEに戻り、涼をとるこにした。運ばれてきたメロンのかき氷が、数口も食べないうちから溶けてゆく。淡雪のように消えゆく かき氷、見ているだけでも涼がとれるのである。

真正面の洋上には水納島(みんなじま)が浮かんでいた。泳いで行けそうなほど近くに見えた。

周囲4.5 kmというからこの瀬底島より一段と小さな島になる。その形状が似ているところからクロワッサン島と親しみを込めて呼ばれていることを知った。


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ビーチではシュノーケルで遊ぶ人たちが目立っていた。小魚が寄ってくるらしく、子供たちは大喜びで、親御さんたちも完全にハイ状態。

こちらは相も変わらず着の身着のままで出掛けてきているので、シュノーケリングはおろか泳ぎもままならず指をくわえて観ているばかりであった。

建設途中のホテルが景観上ジャマであることは事実だが、浜辺は何ひとつ人工の手は加えられていないので、天然のままの自然環境は健在だ。

もう少しビーチで遊びたかったが、これから歩いて瀬底大橋を渡り本島に戻るつもりだったのでそろそろビーチを引き上げることにした。本島に戻るバス便は夕刻の一便を残すのみであることはすでに承知していたからである。

さあ、島の中央を横切って反対側の東海岸へ、バスの窓外で白く輝いていた瀬底大橋を目指して出発をしよう !


「瀬底島」のガイドページへ


周囲8kmの瀬底島(せそこじま)、その人口は1000人という。

島の中央に向かって歩いてみると、住宅と住宅の間がきわめてゆったりとしている。また戸外なのに物音ひとつ無く静まりかえっている。

風防のため植樹されたフクギが空に向かって勢いよく伸び、敷地に沿って背の高い緑の壁をつくっていた。

瀬底ビーチをあとにして、島の出入り口となる瀬底大橋のある東海岸を目指しているのだが、フクギ並木が視界を塞ぐため角を曲がるたびに方向感覚を失ってゆく。



フクギ道を縫うように県道172号に出て、県道に沿って歩くうち廃屋になった家の前を過ぎた。門柱にX字型に板がくくり付けられ、内庭は雑草の天下となっている。打ち捨てられたその廃屋は風化したなかにも島の歴史が刻まれているようで、しばらく佇んでしまった。

ある役割りを終えたものが無駄なものと映るか、文化や歴史を体現するものと捉えるかは意見の分かれるところだ。

住宅など古い建築物などは、旧跡や名所の謂われでもない限りすぐに姿を消してしまうのが相場。狭いニッポンなのだからそれが現代条理にかなうのだろう。

とにかく大都会では古建築住宅以外はすぐに整地されるので、廃屋が風化にまかせるなどの風景にはまずお目にかかれない。

廃屋が忘れられたように残されている瀬底島には、揺れ漂うように穏やかな時が流れていた。

なおも県道を10分ほど歩くと、ようやく瀬底大橋がチラリと視界に入ってきた。


なぜか島から離れがたく、橋へ直行するのを変更して少し道草をすることにした。東側の海岸線をぶらつくため横道に入ると、きれいに整備された公園を発見。そしてその公園からの展望がなんとも素晴らしかった。

海峡のエメラルドグリーンを背景に白く浮き上がる橋。島に入るとき通ったのたが、バスからではその全景を見ることがかなわなかった瀬底大橋が公園の眼下に広がっていた。

招かれたルーフデッキでの眺望

下り坂になった道沿いに大きなログハウスが建っていた。

その建物の前庭が東シナ海の海峡に面し素晴らしく眺望のよい場所だった。

海面を滑るように吹きあがる風をうけながら海を眺めていると、突然建物の屋上から声がかかった。

「いい景色でしょ!」の声につられて振り返ると、2階のサンデッキから男性の笑顔が覗いている。

入り込んだこの場所、実は個人宅であったのだ。ログハウス風の建物を見て頭から飲食店か何かの建物と思い込んでしまったためだ。

失礼を詫びると、「2階のサンデッキの方が見やすいのでどうぞ」 と気さくに招いて下さった。よく冷えたお茶を頂きお話をうかがうと、ご主人は沖縄ではなく北海道の人であった。

キャンピングカーで訪れたとき、この地に一目惚れをしたという。その病がこうじて瀬底島に移り住むことを決心。ログハウスの家まで自ら造り上げたというから、やることが半端じゃない。


旅先で遭遇できた親切にすっかり気持ちも温まり、早々に辞し大橋へ向かう。

長さ762m、高さ25mの瀬底大橋は昭和60年(1985)2月13日に完成している。それまでは渡しの連絡船が往復していた。

目の当たりにした大橋は大きく遠かった。700mを超す一直線の道、足の下25mにはエメラルドグリーンの海峡が横たわっている。

瀬底島側の橋脚下は通称「アンチ浜」と呼ばれ、遊泳やマリンアクティビティーを楽しめるビーチとして人気が高い。漢字は安置と書くらしい。

瀬底大橋は歩いて渡るだけの価値を持つ橋であった。車では絶対に味わうことはできない。どんな味かと問われたら、「極上の爽快感」とだけお伝えしておこう。

アンチ浜の遠浅で一心に貝殻を探す女性の風景がまるで外国のように見えた。橋の半ばで見下ろす海峡は圧倒的でめまいがするほど美しい。洋上の散歩を可能にする瀬底大橋だった。

アンチ浜で遊ぶ女性がひとり、まるで絵画のような情景


「瀬底島」のガイドページへ


人気ビーチのほとんどが東シナ海に面した西海岸に集中する沖縄本島。

本島中南部の東海岸、中城湾(なかぐすくわん)に新しく開発中の海浜緑地があるというので、さっそく出掛けてみた。

すでに西原町には完成した「西原マリンパーク」が2007年春にスタートしており、地元住民に人気のスポットとなっていた。

那覇から東へ10 km ほどの距離にあり、車でもバスでも30分位で行く。

ただし、目の前までゆくバスは本数が少ないので事前に確認したほうが賢明である。

筆者の場合、思いつきと物の弾みで動いているので「西原マリンパーク」前までのバスに乗れず、国道329号のバス停 我謝(がじゃ)入口から歩くことになってしまった。

バス停からちょうど1kmの距離をのんびりと20分歩きマリンパークに到着。中央正面の丸い建物に入ると、そこはサービス棟の機能を持つビーチハウスだった。

シャワールームからフードコートまで完備されており、遊泳客には過不足のない施設になっている。ビーチハウスを通り抜け、ビーチに出ると全長550mのゆったりとした広い砂浜が広がっていた。

          透明感のある海水に陽光が躍る「西原きらきらビーチ」

「西原きらきらビーチ」と名付けられたこの人工ビーチは想像以上に透明度の高い水質だった。

真正面には遊歩道を備えた突堤が海に突き出し、ビーチを右翼と左翼に分けていた。左翼は遊泳、右翼はマリンスポーツ専用と浜辺を使い分けている。

右翼ビーチに設置されたゴールネットの前で若者数名がビーチサッカーに夢中だ。彼らの邪魔にならないよう迂回し、水辺に出てみると揺れる波間で乱反射する陽光が眩しいほどきらめいている。


遠浅なので素足になり裾をまくりあげ水ぎわを歩いてみた。

心地よい水の感触を愉しみながら南へと歩いてゆくと右翼ビーチが終わり、テトラポッドを積み上げた護岸ラインへとつながる。

なおも南へ進むと芝を敷きつめた緑の多目的広場に。野球場が2面できている。

その先の東浜(あがりはま)にはマリーナのような港が遠望できたが、きらきらビーチへ引き返すことにした。

ビーチを中心にこの多目的広場や公園などの複合施設を「西原マリンパーク」と称しているが、実はこのマリンパークを包み込むようにまだ開発が進行中である。

西原町と与那原町にかけて一大「マリンタウン」を形成する開発事業が17年間にわたりつづけられてきたという。観光事業を視野に置くだけでなく、地元住民が住める新しい町づくりでもある。

完成したものから順次オープンしており、すでに”うちなーんちゅ(沖縄県人)”の人気エリアとして多くの地元客を集めている。

きらきらビーチ と あがりティーダ公園をつなぐ雄飛橋

強い日射しと照り返しで上下からこんがり焼かれ、ビーチまで戻ると思いっきり干上がってしまった。

ビーチハウスのフードコートでかき氷をほお張りながら小休止。

汗が退くのを待って、今度は左翼ビーチを海岸沿いに北東方面へと探索を開始した。

左翼ビーチの端には右翼と対をなすようにやや小型の軽運動広場が隣接している。

広場をパスし、その左に見えている橋に向かう。


「雄飛橋」という橋はまだ新しく、埋め立てによりできたと思われる運河のような川をまたいで海岸べりに見えている公園へと道をつくっている。

とても小さくて細長いその公園をすっかり気に入ってしまった。特別なものは何もない。少しの南国風緑地と300mほどのプロムナード、そして海岸にできた磯だまりの岩場だけ。

「あがりティーダ公園」というのがその公園に付けられた名前だった。沖縄方言で《あがり》は《東》を、《ティーダ》は《太陽》を意味する。さしずめ”太陽の昇る公園”という意か。

                 公園から護岸階段を降りるとそこには磯が広がっている

人工ビーチも悪くないが、見る分には綺麗だが何も語りかけてはこない。

自然なままの海岸ほど雄弁なものはない。

白砂が敷かれた人工リゾートビーチに海藻や木枝が流れ着くとまるで異邦人のように目立つのである。

岸に流れ着いた貝殻や木片が風景の中に違和感なく溶け込むのはやはり自然のままの浜辺だ。

季節や時の移ろいを表情にして語りかけてくれる。

その言葉を聴きながら岩場を動き回ったり、休んだりで、時計を見るとアッという間に2時間が過ぎていた。

ここの海岸はそんな海岸だった。

さらに北東へと歩を進めると「西原船だまり」という係船港に行きあたった。つまりマリーナのことだ。きらきらビーチの南側に遠望した東浜にもマリーナがあったと記憶しているが、ここにもマリーナが?

どちらの土地も埋立て地で新しいはずだから、新旧の交代ではなさそうだ。少し散策したがやはりこの船だまりは新しかった。那覇で夕食がてらにゆく飲み屋で知り会った人の顔が頭をよぎった。

「マリーナの経営は年毎に厳しくなっているんです!」と話していた顔が。彼はその関連の仕事をしており、人柄も言葉のように何の飾り気もない好青年だ。

落ち着きを取りもどした陽だまりでそんなことを考えていた。陸揚げされたボートのスクリューから眺める海はどこまでも穏やかだった。


「西原マリンパーク」のガイドページへ


「遠〜いッ!」 バス停「慶佐次(げさし)」を降りた時の偽らざる感想である。

那覇BTを出発して3時間半もかかってたどり着いたのだ。往復だけで1日の3分の1を費やしてしまうのである。新幹線なら東京から大阪まで行ってお釣りがきてしまう。

バス移動もそれなりに楽しいのだが、目的地での行動時間を一挙に削られてしまうこと、それがとても大きなロスと感じてしまった。

この2ヶ月ものあいだバス旅行にこだわって廻ってきたが、本島北部をバスで回るにはそろそろ限界になってきたのだろうか。そんなことを考えながら国道331号線を歩いていると大きな河とそこに架かる橋が見えてきた。

橋の名は「慶佐次大橋」、河の名は「慶佐次川」。とてもシンプルで覚えやすいネーミングだ。

橋の下ではカヤックの集団が漕ぎ方の実習中で、楽しげな笑い声が水面を滑ってゆく。その先にはマングローブが群生していた。初めて見るマングローブだった。

                     河の両側を覆うように広がるヒルギのマングローブ林

緑色の絵具をあたり一面にぶちまけたようにマングローブが広がっている。

昨夜予習した情報によると、10ヘクタールとあった。東京ドーム2個分の広さである。

3時間半のモヤモヤがどこかへ消え、とたんに楽しくなってきた。

アイポッドから流れてきた音もちょうどいいBGM になった。アル・ジャロウがゆるく "This Time" と唄っている。

さっそくマングローブへと向かうと「ふれあいヒルギ公園」というところを通り抜けることになった。

公園の一角で、カヤックに使用するダブルパドルを持ちながら講習を受けている一団に遭遇。しばらく眺めていたがまったく面白くないので先へと急いだ。

マングローブの目の前まで到着すると、群生するそのヒルギ林の中へと遊歩道が設置されていた。しかもウッドデッキスタイルのプロムナードである。アイポッドのスイッチをオフにして木製通路へと踏みこんだ。

デッキを奥へ奥へと進み緑一色の中へ埋没してゆく。あたりは静かで人っ子ひとりいない。遠くに講習会の一団が騒ぐざわめきがわずかに聞こえるだけだった。

自然の中の沈黙に包まれると、世界に絶対無音というものが無いことを改めて知る。

ヒルギの根元を洗う水、風でこすれ合うヒルギの葉、ときどき唄う虫の声、かすかな音量だが雄弁に語りかけてくる。

ここのヒルギ林は3種だった。”オヒルギ”は身にいっぱいの花をつけている。下方を向いた筒状で3cmほどの花弁が赤く色づいていた。

一方 ”メヒルギ”は白い清楚な花をつけている。ヒルギは夏に花を咲かせる。

ちなみに名の[オ]と[メ]は雌雄の別ではなく、まったく別種のヒルギである。(写真はガイドページに)

そして3つ目は”ヤエヤマヒルギ”という種で、やはり白い花をつけるが3種ともに形状は違う。

水位を見るとかなり低くなっている。干潮が始まったのだ。

ウッドデッキの遊歩道の端まで行き、ヒルギ林を眺めているうちにもっと奥へ入ってみたくなった。手段はカヤックしかない。干潮が進みすぎるとカヤックに乗れなくなるので、急いで公園まで戻ることにした。

最初こそバランスの取り方や両側に水かきのついたダブルパドルの漕ぎ方にとまどうが、水辺に出ればなんとかなってしまうのだ。

水辺から見るヒルギ林は見下ろしの風景よりも素顔に近い表情をしている。

汽水域(河口の淡水と海水の混じり合う水域)ながら水面下で塩分に抗しながら成長をつづける幹がタコの足のように交叉する。

上部からは緑多く花まで見せるヒルギだが、水面まで視点を下げると逞しい姿を見せてくれる。

ヒルギは他の植物に比べ二酸化炭素をはるかに多く吸収し、人類に必要な酸素を多く生成してくれるまことにありがたい樹木なのだ。

今まで東南アジアなどの亜熱帯地域に群生して、地球環境の保全に貢献してくれていたのだが、最近では海老の養殖場のため伐採され急激に減少しているという。

日本ではあまり馴染みがないため外国でのニュース出来事として知る程度だったが、しだいに国単位のレベルではなく地球規模の危機として意識されるようになってきた。

しかしマングローブ保護の意識が低いと云うだけで安易に責めることはできない。人間は頭で理解できても、身体で実感しないと本気にならない習性がある。自国にないものが危機に瀕していても実感の持ちようが無い。

郷里の自然が消失して初めてその価値を知る。ここ東村のヒルギ林は今話題になっている普天間基地の代替え案になっている名護市辺野古とは10kmほどの距離。いつ何時、人間の身勝手な理由で消失の危機に見舞われないとも限らないのである。

人間は忘れることも速いが、順応性も速い。こうして自然のマングローブ林に触れることでその危機感や保護意識の向上は確実に増すことになるだろう。

水上遊覧を愉しんでいたのだが、干潮が進み やむなく陸上に引き上げる。干潮の様子を観察するため再度プロムナードを歩くことにした。途中階段が設けてあり下に降りられる箇所があった。

もちろん階段最下段には柵止めがされており外にまで出ることはかなわないが、干潟地を観察するには十分だ。早くも干潟になった泥地から顔を出した小動物が活動を始めていた。

”シオマネキ”、”ミナミトビハゼ”に加え、鳥や昆虫まで発見できる。けっこうな種類の生物が生息しているようだ。もうしばらく彼らとつきあっていこう。


「慶佐次湾のマングローブ林」のガイドページへ


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沖縄本島北部の東海岸を巡りはじめたのだが、慶佐次(げさし)のマングローブ観賞ですっかり限界を感じた。那覇を宿舎にしているため移動だけの往復で6〜7時間もかかるバス旅行のタイムロスを痛感してしまったのだ。

しかし「ちょぼ旅」という ”のんびり旅”をテーマにした旅行。バスと歩きの旅ができる場所がある限りその方針を変える気はさらさら無い。 まだ少しバス旅行のできる場所が残っているハズ。

県下最大の闘牛場である名護市の「ゆかり牧場」も観たかったが、やはりバス便では遠すぎたのでターゲットを中北部へとさらに南下させる。

今 報道でたびたび登場するキャンプシュワーブの少し南にある漢那ビーチを訪れることにした。


那覇からバスで揺られて2時間、漢那バス停に到着。

海岸へと歩いて行くと砂浜の周りを青いフェンスが取り囲むように設置されている。

フェンスの出入り口を見つけ漢那ビーチの砂浜へと出ると、先客の一団が自ら張ったテントの日陰で涼をとっていた。

その光景を見たとたん、汗が一気に吹き出してきた。冷房の効いたバスに2時間もいたので、暑さ加減が遅れてやってきた。

ビーチには他に2組だけという静かなビーチだった。とても落ち着く素朴な海だ。

しばらく水辺で遊んだが、とにかく凄い暑さで、砂や海面からの強い照り返しが身体に張りついてくる。

紺碧の太平洋が広がる正面には、4.7kmもある海中道路で本島とつながる伊計島と平安座島(へんざじま)が遠望できた。晴れ上がった空と海の青が濃淡で競い合っている。島々の影がその青に上下から挟まれ薄く平たく見える。

水辺の日陰を探したが、それらしいものが見当たらず、青いフェンスの外側に出なければ木陰に逃げ込むことができないようだ。


どちらかと云えば小ぶりなビーチの東端に赤瓦の目立つ建物があった。

もちろん青いフェンスの外側ではあるがほぼ砂浜に接するほどの近さだ。

日陰が恋しくて探しまわっていたので、躊躇なくこの建物に潜り込むことにした。

浜辺から見えていたのは建物の裏手にあたっていたので、正面アプローチ側へと急ぐ。

入口には「かんなタラソ沖縄」とあった。

まだこの時点では100%、テラススタイルの小ホテルと思い込んでおり、冷たいドリンクで小休止を取るべく入館した。

高い天井の1階ホールに入ると、ホテルフロントの光景には見えるが、どこか雰囲気が違うのだ。

細部にわたり観察すると美容とセラピーをテーマにした県下有数の施設であることが判った。

少し館内を見学しながら、係員にも少し質問などをしてみた。沖縄の方言と思っていた”タラソ”がギリシャ語で”海”を意味し、健康と美容にも海水の持つ浮力など海の特性を生かしていることを知った。

以前漢那ビーチにあった遊泳客用施設が今は無く、代わりにこの施設が利用できることも判った。

大変親切な係員が、3層からなる施設には屋外ジェットバスから25m級の室内プール、海水を利用した特別プールなど相当数のバスとプールを完備していることなどを丁寧に解説してくれた。

男性美容の話が始まってしまった。しかし健康にも いわんや美容などというものにも、まるで関心はなく、そろそろ退散の潮時になったようだ。早く冷房バスに乗り込み、次の目的地「金武(きん)」へ向かうとしよう。

    「かんなタラソ沖縄」の正面玄関


「漢那」のガイドページへ


4750メートルもあるという海中道路の中ほどにあるロードパークでは、ボランティアによるゴミ拾いが実施されていた。

本島の与勝半島と離島を結ぶ海中道路だが、海に潜ったドームのような道路ではなく、大海原へと伸びた海上を行く道路である。

海中道路両側に広がる長大なロードパークで、黙々と手際よくゴミを処理してゆく静かな集団。一段落した頃合いに、スタッフのおひとりに労をねぎらうため あいさつをする。

護岸階段でゴミ拾いに専念するボランティアスタッフ

一緒に中央方面に戻りながら、のんびりと話をした。

この道路の無かった頃は、干潮時になると同じ位置にうっすらと道ができたという話をしてくれた。

島民は干潮時に歩いて往復をしていたのだ。

四季により微妙に変化する干満の潮も生活の一部にしていたのだろう。

引き潮になると、蜃気楼のように海上に浮かんでくる数千メートルの道。何と幻想的ではないか。


叶うならそんな道を歩きたかった..などと、肩を並べて歩く彼には云いだせなかった。

5キロに近い道程を限られた時間に歩かねばならない島民の生活は、そんな軽い思いでは計れないだろう。しかし、今ではその干潮時も地元住民の潮干狩りを楽しむ風物情景に変わったようだ。

ボランティアの一団に合流した彼と別れ、ロードパーク中央部にある「あやはし館」で ”かき氷ブレーク”を取った。

今日は橋づたいとは云え離島めぐりと決めたので、朝も早くから行動を開始した。橋つながりでも4つもの島めぐりなのである。レンタカーを利用すれば簡単なのだが、島内専用のバスがあるのだから、利用しない手はない。

この地域である「うるま市」の物産販売の「あやはし館」をさらりと見学し、2Fの「海の文化資料館」のあるウッドデッキに上がった。入場しようとしたが撮影禁止とのことで急に興が失せてしまった。

           海中道路に架かる歩道橋から望む本島の与勝半島

筆者も音楽業界に籍を置いていたこともあり、著作権や肖像権、個人情報にいたるまでその保護と防衛に関しては人一倍苦労したことがある。その反面、過剰なまでの保護があることも知った。

保護の程度は実に難しく、少なからず興味を持ち接触してきた未来の才能たちの芽を育てることも つんでしまうことも、このさじ加減ひとつなのである。

東京に「江戸東京博物館」という施設があるが撮影自由である。ただし特別展示などは厳しく撮影禁止を励行し展示作品を守るなど、そのメリハリは来館者にも分かりやすく実に見事な運営である。沖縄では首里城がそれに匹敵している。

美術館と博物館の差異やパブリックドメイン(公共)への転化なども言及したいが、ここは自制し旅をつづけることにしよう。

「海の文化資料館」前のウッドデッキから見えた歩道橋へ行きたくなり、そちらに向ってしまった。そして歩道橋からの景色は、一直線に引かれた海中道路が両側にひろがる金武湾(きんわん)と太平洋を分断し、なかなか壮観な一幅であった。

                 宮城島のトンナハビーチ

4島内だけ運行する“平安座総合バス”は旅館の送迎に利用されるようなマイクロバスだ。

このかわいいバスに乗り、「平安座(へんざ)島」へと向かった。

バスは島に入ったが、巨大な石油タンクを縫って北上してゆく。

ほとんど川幅しかない島と島の海峡を超え、次の「宮城(みやぎ)島」に入ってしまった。


あらかじめ予習していた「トンナハビーチ」がこの島だったはずなので、乗客が少ないことを幸いに運転士に尋ねると次で降りるようアドバイスを受ける。

「池味」というバス停で降り、そのビーチへと足を向けた。

海岸というよりは入り江と表現した方が正確なほど、こぢんまりとしたビーチだった。湾曲した砂浜の両端はしたたるほどの緑を溜めた樹林。とても居心地の良い浜であった。

この方面への来訪者のほとんどが、次の有名な伊計ビーチへ行ってしまうので、あまり混み合うことのない穴場的ビーチだという。

バス旅行というのは多少不便ながら、レンタカーでは得られない経験や発見をポケットに放り込んでくれる。しかし時間管理がやや窮屈になってしまうことも事実である。世の中、いいとこ取りばかりはできない仕組みなのだ。

今もそのジレンマの狭間で揺れている。心は 『飽きるまでここにいようよ』 と囁いているのだが、バス便を考えると先へと はやる気持ちになったりもするのである。

重い腰をあげ 県道10号線に戻ったが、やはり次のバスはしばらく来ない。当然歩くことは想定内だったので歩きはじめたのだが、すぐに赤いアーチの大きな橋が見えてきた。

「伊計(いけい)島」への架け橋、「伊計大橋」だった。

    周囲の奇岩が印象的な伊計大橋


「海中道路〜トンナハビーチ」のガイドページへ


 伊計島へとつづく伊計大橋

朱に塗られたアーチの「伊計大橋」で、しばらく海を眺めていた。橋下の海面からは隆起した琉球石灰岩がいくつも奇相を見せている。

全長198メートルの下路式アーチ橋を歩き伊計島に渡った。県道10号線を7、8分も歩いたろうか、「伊計ビーチ」に着いてしまった。静かなビーチを想像していたが、思いのほかの賑わいであった。

浜への入口近くに配した施設のディスプレイは、やや雑然として観光地の匂いがプンプンしている。

こちらのビーチでは駐車は無料なのだが、遊泳料を徴収されるシステム。

大人400円、小人300円という人数で料金が必要になる。まことに商業的である。

敷地内の浜辺へ出ると200メートルほどの湾曲したビーチが広がっていた。

正面沖には小島のような岩礁がいくつも屹立し、グラスボート(ガラス底)用の小さな桟橋のある箱庭のように個性的なビーチだった。

                        伊計ビーチ

地形が単純な遠浅ではなく変化があるためか、潮の干満に影響されない水遊びができるという。

日陰でひと休みをと周りを物色すると、けっこうな数のテントが浜辺沿いに並んでいる。

有料でもほとんど空いているので小休止くらいなら利用してもよさそうだったが、落ち着かないのでやめにした。

この少し先に「大泊(おおどまり)ビーチ」があるので、そちらを訪問するべく県道に戻る。すると「伊計ビーチ」の反対側にも海が見えてきた。

つい横道にそれて東に入り込むとすぐに海に出会えた。このあたりは島の中でもちょうど人間の首のように細くなっており、県道を挟んで両岸へ行き来できる距離だった。

そこは何もない静かな入り江だった。左へカーブした陸影には密集した民家が海越しに霞んでいる。

聞こえるのは風に押されて浜に寄せる波音だけだった。残念なことにこの入り江には、厳しい陽射しを避ける日陰がひとつも無い。干物になる前に「大泊ビーチ」へ急ぐことにした。

大汗かきながらも15分ほどで、「大泊ビーチ」に到着した。入口には来訪する車を誘導するためか若いスタッフが2人いた。歩きで来訪した筆者を不思議そうに出迎えてくれた。

ここでも駐車時もしくは入場時に、やはり人数単位で支払うシステムであった。駐車、施設利用料込みの料金だ。

海上には琉球石灰岩の岩礁など何もなく、「伊計ビーチ」よりひと回り広い海岸であった。自然のビーチなのだが、まるで人工ビーチのように白い砂浜が綺麗なカーブをつくっていた。

  大泊ビーチ

水平線の彼方には絵にかいたように白い陸影が 仄見えている。この海岸線は金武(きん)湾に面しているので、その陸影は金武湾港の町並みだろう。

地図を見ると、このビーチは西に面しているようだ。沖縄本島の東海岸に位置する伊計島だが、離島なので「大泊ビーチ」が西方を向いていても何の不思議もないのだ。きっとサンセットは美しいに違いない。

このあと現地スタッフと話す機会があり、いくつか情報を得た。美しい光景は赤く染まりゆく夕景ばかりではなく、夜景も素晴らしいと教えてもらった。対岸に見える街の灯が海面に映る情景をすぐに想像したのだが、実は違っていた。

この地域周辺にはほとんど電気の灯が点らないので、逆に夜空の星が圧倒的な多さで迫ってくるという。しかも季節によって海亀が産卵のため、夜陰この浜を訪れるらしい。

昔ながらのそんな自然を残すビーチだった。レンタカーで来ていれば星降る夜空も観賞できるのだが、バス旅行では野宿覚悟を意味するのである。

サトウキビ畑の中を北へ伸びる道

伊計島のさらに北を目指し歩いてみた。

見渡すかぎりのサトウキビ畑の中を30分以上も歩き、やっとそれ以外の風景にめぐり会った。

灯台である。島の北西端に近い場所にある伊計島灯台は昭和52年(1977)3月28日に業務を開始している。

白くスラリとした12メートルの小さな灯台。まわりを背の高い樹木が取り囲んでおり、入塔はできない。


灯台のそばには、本土で見られるお墓のような石碑がポツンとあった。”御地 子宝之神”と刻まれていた。

子宝を授かる聖地であるらしい。隅には白い箱に安置された観音像までたっている。おまけにここが設けられたのも灯台の完成と同時であるらしい。

普通なら航海の安全を願い龍神あたりが相場なのだが、不思議なパワースポットではある。丈の高い樹木が壁をつくり、昼でもなお薄暗い独特の空気が漂っていた。

灯台から東へ進むと、すぐに 「ビッグタイムリゾート伊計島」の敷地内に入った。リゾートホテルというよりはファミリー向けの観光ホテルといった印象である。

敷地は広くサーキット場あり、プールあり、ガーデンレストランありと一応そろってはいるのだが、どこにも落ち着ける場所がない。好みの問題もあろうが、プールサイドに一列にぶら下がる提灯を見せられて、リゾートと思えと云われても、その気になるにはかなりの努力がいるのだ。

ホテル前庭を横切り敷地内北端の海岸線まで行ってみると、すでに干潮が進み石灰岩のゴツゴツした岩礁がむき出しになり荒々しい表情をしていた。

最後の浜比嘉(はまひが)島を目指すため、急いで伊計ビーチのバス停まで戻ることにしよう。

「ビッグタイムリゾート伊計島」(中央)、北端の海岸の表情(左・右)


「伊計島」のガイドページへ


大泊ビーチ

住所 うるま市与那城伊計1012
電話 098-977-8027
ビーチ利用料 大人 500円 小人 300円 (施設利用+駐車料)
施設 シャワー/更衣室/軽食/トイレ
駐車場(注:駐車場は2ヶ所あり奥の方が大泊ビーチの駐車場、施設利用と駐車料がセットなので駐車時に確認のこと)

交通
    車
 那覇空港より 75分(那覇ICより高速道を利用−沖縄北ICを出て国道330号線を左折−栄比野の信号を右折し県道8号線を南下−金武湾入口の信号を県道37号線に乗りかえ−海中道路経由−平安座島−宮城島−大泊ビーチまで)

    BUS 那覇BT 110分(与勝線52番)−バス停 「JA与那城支所」で下車−「JA与那城支所」 で平安座総合バスの伊計島行きに乗り換え−バス停「伊計ビーチ前」から徒歩15分


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浜漁港には行楽地にあるようなプレジャーボートのたぐいの姿は無く、係留されているのは漁船ばかりであった。半農半漁の島、「浜比嘉(はまひが)島」 らしく質実な表情の港である。

この島は「浜」と「比嘉」というふたつの村落で構成されているので「浜比嘉島」と称している。両地区とも漁港を有しているので、今度は比嘉地区の漁港を散策すべく東へ向かってみた。

静かな時間が流れる比嘉漁港

比嘉漁港も魚網が干されているありふれた漁港だったが、確かな生活臭が実感できる港でもあった。

地元では釣りのスポットだらけの島としてかなり有名らしいが、今のところ釣り人は見当たらなかった。

東への道の終わりには分かれ道が待っていた。

直進「ムルク浜」、右折「ホテル浜比嘉島リゾート」と記されている。

筆者の性向からして99% 「ムルク浜」へ向かうところなのだが、足は右の坂道へと動きだしてしまっていた。


坂道を登りながらも、我ながら頭の中には?マークが点るほど不可解な行動だった。記述している今にして思えば、単純に高所から島を見たいと潜在的に念じ行動したのだろう。

坂道を登るうちに建物が見えてきた。低層のテラスハウスのようなホテルだった。登りきってホテルの正面に立ち、しばらく呼吸を整えながら眺めていた。 まことに目立たない3層からなる普通の顔をしたホテルだった。

しかし、「それ以上でもなく、それ以下でもない」と主張する風情にとても好感が持てた。すぐに入館した。入口のアプローチもロビーも小さなつくりでさっぱりとしていた。同じフロアに設けられている喫茶ラウンジも小ざっぱりとしたディスプレイだ。

室内の照明をダウン気味にし、外光の加減でほどの良い明るさをつくっている。不思議なくらい温かく居心地が良い。

窓側の席をひとりで占有しアイスティーをオーダーしてみた。待つほどもなくチリチリに冷えたグラスがやってきた。

最初のひとくちが乾いた喉に快く、空間も時間も瞬間で豊かなものに変えてくれた。

席に荷物を置き少し館内を巡ってみた。展望台風呂まであるようだった。全体的にどこのセクション域も静かで落ち着いている。

従業員スタッフにもいくつかの質問をしたが、その応対は丁寧で、しかも必要以上の愛想を押しつけてはこない。

建物を見た時の印象通り、それ以上でもなく、それ以下でもないという絶妙な距離感を保っているように感じた。


ラウンジで涼をとったあとプールサイドに出ると、青い水を湛えた半月型のプールの向こう側にはさらに濃い青の世界が広がっていた。

見渡すかぎりの水平線が空に溶けてしまっていた。プールのそばに立っているだけで頭の中まで青色に染められてゆく。自然を多く残すこの島で、ひとときでも豊かでアーバンな空間が持てたことを素直に感謝した。

プールそばから 「ムルク浜ビーチ」 へと降りる階段があった。直感的な行動でホテルに来てしまったが結果的には大正解だったようだ。

このホテルから「ムルク浜ビーチ」を経由して「浜比嘉大橋」へ向かえばちょうどひと巡りできることになる。前面に展開する大海原を眺めながら、さっそく急勾配のその階段を降りる。

白砂のビーチに小型のきのこ岩がいくつも顔をのぞかせる変化に富んだ浜辺だった。沖合に見えるふたつの島はいずれも無人島で、左が 「浮原島」、右が 「南浮原島」であると教えられた。この浜から 「南浮原島」へと渡るツアー船があるという。

このビーチには訪問者の要望に対応できるようマリンハウスが設営されており、ほとんどの希望を満たしてくれる。マリンハウスでかき氷を食べたかったのだが、まだ「平安座島」を歩いていないので小休止はパスし、ちょっとだけピッチを上げる。

歩いて渡る浜比嘉大橋は最高だった。平安座島までの全長1430 mを飽きることなく歩き通すことができた。緑と青が混じり合う水面を滑りながら吹きあがってくる海風。反射する陽光が砕けたり、踊ったりしていた。

平安座島漁港

「浜比嘉大橋」は平成9年(1997)に完成したばかりの綺麗な橋。これでこの周辺で橋の架かっていない離島は、無人島を除いて津堅(つけん)島ひとつになっている。

平安座島に着くと橋のたもとには緑地公園があり、その向こうには漁港が見える。

港には魚網が干され、漁師は漁具の手入れに没頭している。見るからに自然体の漁港だった。

民家のある住宅地はこの漁港近くまでで、あとは巨大な石油タンクが島全体に広がっている。

この広大な石油基地を平安座島に造るにあたって、米国ガルフ社は見返りとして4.7k もの長大な「海中道路」を造設したという。

         平安座島の端までつづく石油タンク


林立する石油タンクの森を歩いていたら、隣りの島「宮城島」まで来てしまった。

ふたつの島をつなぐ橋は「桃原(とうばる)橋」という名だった。

島と島の海峡を結ぶ橋なので大きな長い橋をイメージするが、実際は町中に見られる程度の橋だ。

石油基地造成のため埋め立て整地をしたためか、島間の海峡は川幅くらいしかない。

橋のたもとに駐車した車があり、”おにぎり”の幟が風にはためいていた。


本日の予定していたコースはすべて歩くことができた。海中道路からの離島めぐりも終了に近づいてきたようだ。

軽食キャラバンのメニューに かき氷があったので一服することにした。キャラバンの主は大阪から移住してきた女性であった。関西弁はまったく影をひそめ、生気あふれる表情はすっかり島人になっている。

かき氷をかき込みながら眺める川のような海峡は、深い緑を湛えて湖のように静まりかえっていた。

   「桃原橋」から見る平安座島・宮城島間の海峡


「浜比嘉島〜ホテル浜比嘉島リゾート」のガイドページへ


やんばる ロード 1

沖縄滞在も70日が過ぎようとしていた。沖縄にいられるのもあと2週間ほどとなってしまった。

また東京の友人から筆者がいるうちに遊びに来たいという電話も入ってきた。外国を飛び回っているその友人は、香港から東京経由で那覇に飛んでくるため、合流できるのはほとんど最後の1週間になるだろう。

友人は鑑賞ターゲットを世界遺産にしぼって希望しているので、レンタカーで走り回ることが想定される。つまり筆者の単独旅行はあと1週間になることも意味していた。少しだけ焦らなければならなくなってきた。

こちらの単独行動も車で回らなければならないところばかりが残ってしまっている。どうせ借りる車ならとすぐに予約した。そしてさっそく車で向かったのは、もちろん最北端の「辺戸岬(へどみさき)」である。

やんばる路への入口、「津波」の海岸

レンタカー初日のドライブ計画は本島最北端の辺戸岬を目指すこと。往路は西海岸を北上し、復路は東海岸を南下という「やんばる」の海岸ロードを一周するシンプルなプランだ。

この2カ月間バスと徒歩による旅を敢行していたので、バスの都合(ダイヤ)に関係なく出発できるのが とてもありがたくもあり新鮮でもあった。

また車なら比較にならないほど多くの場所と風景に出会えることも確かだろう。その代わり今までの”バス歩き旅”で味わえた温度感や手触り感は希薄になり遠のいてしまうのも確かだ。

ということで始まった車旅だが、この日は早朝より起き出してひたすら北へと走った。

その甲斐あって名護市を過ぎ、やんばる路の入口とも云える津波の町に入った時刻がまだ午前中だった。

この日、最初の休憩がこの津波の海岸。岩場のある磯遊びができそうな浜だった。


広義では名護市以北が「やんばる」と呼ばれるが、筆者はやはり400m以上の山麓が連なり、裾野には大自然の残る原生林が横たわる地域を「やんばる」としたい。つまり今いる大宜味村(おおぎみそん)、東隣りの東村(ひがしそん)、そして最北の国頭村(くにがみそん)の3つである。

ドライブを再開し国道58号線を北上する。視界は良好で、右は山並みと民家が、左は東シナ海が後ろへと流れてゆく。

前方に小さな橋が見えてきた。その橋の向こうには飛び島のような小島があり、その島をまたぐように長い橋が架かり道はふたたび本島沿岸沿いを北へとつづいている。

長い橋を渡ると足が自然にブレーキにかかり、道沿いにある駐車スペースへと車を進入させていた。

塩屋橋の向こうは塩屋湾(左上)、橋のたもとの洒落た休憩所(左下)、塩屋の浜辺(右)

飛び島は「宮城島」という小島であった。短い橋が宮城橋、長い橋が塩屋橋という。陸地に食い込んだところが塩屋湾だが、湾をショートカットするため飛び島「宮城島」を利用したというわけである。

海中道路でつながれた平安座島と伊計島に挟まれた島も宮城島であった。沖縄では同名の場所が複数あるので留意しなければならない。塩屋橋を渡った先には塩屋の澄んだ浜辺が漁港の方まで伸びており、遊泳ビーチにしたいくらい透明な海だった。

クーラーを止め窓を全開にして運転を再開、身体をすべる風がとても心地よかった。イヤーホンから流れてきたのは、ホール&オーツの 《After The Dance》。さすがの青い眼をしたソウル・デュオでも、やはりマービン・ゲイには かなうわけがない。フロントに注意しながらアイポッドのシャッフルボタンを押した。

ここまで北部に来ると本島の大動脈58号線といえどもガラガラである。すれ違う車も追いかけてくる車もほとんどない。たまにすれ違えば地元車ばかりだった。

                       波よけの石組がきれいな大宜味の海辺

右側に ”おおぎみ道の駅” と書かれた売店があらわれたので、涼をとることにした。

かき氷を掻き込み、さらに冷たい水のペットボトルを片手に国道沿いに広がるビーチへと出た。

真っ青な海に白い波よけの石が組まれ突き出ている。

その上を歩き先端まで行くとポツンと海の中に取り残された感覚になってくる。

そこから振り返るとゆうに1kmは超える大宜味の浜辺が迫っていた。

なおも北上をつづける。今朝運転していて再確認できたことがある。徒歩1時間で行ける距離は3〜3.5kmだが、車だと時速40kmも出せば4、5分で着いてしまう。こんな当たり前のことを再認識したのだ。

この2か月は本当によく歩いた。1kmがどれほどの距離なのか頭ではなく身体が覚えてしまった。だからこうして運転していると、過ぎてゆく風景の声や感触や匂いが両の手からこぼれ落ちてゆくようだ。

そのいい証明がある。2年半ほど米国ロスで生活したことがあったが、今でも懐かしく手に取るように想い出せる場所はサンタモニカ、メルローズなど数か所しかない。いずれも自分の足で歩き回ったところばかりである。

毎日のように車で通った大通りや街でも景色はおろか何ひとつ憶えていないのである。憶えているのはフリーウェイの番号と乗り換え手順くらいのものか。

バーチャルリアリティを何百回経験しても何も経験していないし、頭だけで判っていても実は何も判ってはいないのだ。人間とはそうした生き物だと思う。

まもなく本島では一番北の地域「国頭村」に入る。絶滅危惧種に指定されているヤンバルクイナが飛び出してくるかもしれない。気を付けて運転せねば...


やんばる ロード 2

飾り気のない田嘉里(たかざと)の浜

国道58号線を北上中、田嘉里というバス停留所近くの海が気に入り、少しだけ停車することにした。

砂地一面にはハマヒルガオのつるが張っていた。どこか懐かしい風景の浜辺だった。

この田嘉里は大宜味村(おおぎみそん)と国頭村(くにがみそん)にまたがった町らしい。

いよいよ本島北端の地、「国頭村」である。


沖縄での村は東京で云う区や市に相当するのだが、国頭村区域はかなり個性的と云える。まず全体の25%を米軍に占有され、そして残り面積の95%が森林に覆われているのだ。

標高500mを超える本島最高峰の与那覇岳を筆頭に西銘岳・伊湯岳などが脊柱をつくるように連なり、そこを分水嶺として多くの河川が東シナ海、太平洋の両海へ注ぎこんでいる。

世界の動植物学者が注目する生物が、この地に生息するのもうなずけるというものである。

国頭村に入るとすぐ目に飛び込んでくるのが生物保護の大看板。その後も種々の注意標識が掲げられていた。この幹線道路の58号線で轢死する生物、つまりロードキルが跡を絶たないからだ。

しかしカニに注意しろと云われても、どう走ればよいのか途方に暮れてしまう。以前テレビでカニ専用の道路を掘っているユニークなニュースが報道されていた。

”オカガニ”という防風林の根元に巣をつくる大きなカニは夏の産卵期に海へ向かうという。そのため多くのカニが道路を横断しなくてはならずロードキルに遭うらしい。そこでカニ専用道路の設置をするというわけである。

しかしその後完成したかどうかは未確認なので、やはり注意をしなければいけない。カニと云えば海側を注視してしまうが、この場合は山側から出現するのだろう。そんなことを考えているうちに奥間まで来てしまった。あの「オクマビーチ」のある地である。そのビーチから北東2kmのところが沖縄本島主要バスの北の終点、辺土名(へんとな)バスターミナルがある。

                 洒落たコテージのあるホテル敷地内を通り抜ける道路

奥間の交差点、右に行けば比地大滝、左に曲がればオクマビーチ。

左折するとすぐにホテルの敷地内へと道路がつづいていた。

ホテルは「オクマビーチ」をプライベートビーチとしている「JALプライベートリゾートオクマ」である。

このホテルはコテージが集落のように設営されメインビルのような高い建物はいっさい見当たらない。

そのためフロントのあるメインオフィスが見つけにくく通り抜けてしまった。

車中で地図を再チェックすると、この道の先に赤丸岬なるポイントがある。間違ったのを幸いにオクマビーチの前にそこを訪れるべく車を先へと走らせた。

しばらく走るとこの一本道が米軍施設のようなゲートへと伸びていた。筆者の地図には米軍基地など記載はなく、ただ「赤丸岬」とだけあった。

戻るにしても Uターンしなければならないわけで、道路上で出来なくはないが どうせするなら広い方がよい。かまわず進入した。

ゲートをくぐると いきなり大声で止められた。駆け寄ってきたセキュリティガードの説明でそこが米海軍の保養施設であることが判明した。保養地なら赤丸岬の見学と撮影を許可してほしいと申告。

最初こそポカンとした顔をしていたこのアメリカ人、すぐに猛烈な勢いでNGを出し レギュレーションの説明が始まってしまった。まったく愛想の無い軍人だ。世界一愛想が無いと定評のある中国人女性となんら大差がないのである。

このまま規則話を聞いても時間の無駄なので 『退散する』 と伝えるとトタンに笑顔になった。やれば出来るではないか! 彼の話で役にたったのは「赤丸岬」が《アカマル》と発音するという確認くらいのものだった。

建物に囲まれた池に咲く1輪の熱帯睡蓮

ホテルのメインオフィスに入るとごく普通のフロントがあり、物静かで落ち着いた空気があたりを支配していた。

低層建築物をつなぐ回廊が植物園のように緑と花で覆われている。

フロント近くのラウンジ、”ファウンテン”で小休止を取ることにして窓側の席に着く。このラウンジは夕刻から BAR に変貌するようだ。

大理石の敷かれたフロアとたっぷり距離を取った席間隔、窓外には内庭のような造りの池に熱帯睡蓮が1輪だけ薄青の花を咲かせていた。

米軍より返還されたこの地にホテルが開業されたのは1978年だという。その後何度も保全・拡張の改修を施したようだ。

琉球紅茶を飲んだあと、さっそくホテル敷地を見学しながらビーチへと向かう。


                           カジュアルなパームコテージ

海浜リゾートと云えばお約束のように高層建築からのオーシャンビューが重要視されてきた。

しかし近年ではヴィラ、コテージ、ログキャビンなど低層建築の宿舎も見直されてきており、ヴィラタイプなどは丸ごと一棟を専用するリッチさを味わえるので、高層のペントハウス(最上階)よりもトッププライスである。

こちらのゲストルームもすべて低層タイプで設計されており、ヴィラスタイルからカジュアルなコテージまで4ゾーンに分けられていた。

それぞれのコテージ群が植物庭園の中に散りばめられたようで、周りには空を遮る高いものもなく自然の只中にいる感覚をもたらしてくれる。

ただしパームコテージと呼ばれるカジュアルなコテージ群は水色と白で明るく彩色された低層アパートメントで外観から観るかぎりリッチ感は無い。周りに配した水辺だけが救いになっているように思う。

屋外プールを眺めながら海岸へ出ると広々とした浜辺が1キロ近くも展開していた。砂浜は人工ビーチのように岩礁ひとつなく真っ白である。しかしここは自然が創った正真の天然ビーチであった。

遠浅で奥行きのある浜辺が、やはり広く高い青空にとても似合っている。ビーチに設備されているものもコンパクトなマリンハウスと海に突き出した白い桟橋のみと、いたってシンプルで好印象のビーチであった。

マリンハウスをのぞくと壁に案内があり、マリンアクティビティー、親水プログラム、自然体験ツアーなど潤沢なメニュー(ガイドページ参照)がびっしりと並んでいた。また一般ビジターにも開放されているので、車さえあれば北部やんばる地の唯一のリゾートビーチを存分に楽しめるのだ。

駐車場には来た時と違うコースを通りながら戻ったが、とにかくホテル敷地内はどこを歩いても したたるほどの緑に溢れて自然を身近に感じられる。非日常体験やプレジャーも大いに魅力的ではあるが、もしかすると本当の贅沢というのは何もせずに居られる場所に身を置くことかもしれない。

               太陽と緑がいっぱいのホテル敷地内


「JALプライベートリゾートオクマ〜オクマビーチ」のガイドページへ


やんばる ロード 3

JALプライベートリゾートオクマを離れ、国道58号線に戻り車を一路北へと向ける。10分くらいで58号線はふたたび海岸線に出た。与那と呼ばれる地区だった。

砂浜がほとんど無く、石積みの護岸になっている。しかし海はどこまでも穏やかで車を停めて眺めたくなるほど青く澄んでいる。

                       謝敷の海岸線

しばらく走ると、ありったけのテトラポッドを浜辺にぶちまけたような海岸線が見えてきた。

バス停の少し先に車を停め、停留所を確認すると謝敷(じゃしき)と書かれている。

地図でチェックすると名護市からちょうど北へ20キロ地点の海岸であった。

ビーチに出てみた。磯近くでは緑がかった海の色も20m先の沖合では泡立つ波間を境に真っ青な色へと変貌している。

波下にはサンゴの環礁ができているのだろう。

車に戻りドライブを再開していると、無意識に片手運転をしていることに気付いた。

米国では左運転席なので右利きの筆者には、左手をウインドーに乗せての片手運転が楽で、すっかりその当時の悪いクセが身についてしまっていた。

レンタカーは国産車で右の運転席だったが身体は自然に対応していた。もっとも左手一本でも楽に運転できるコースだったからかもしれない。

今日の目的地である辺戸岬の前に行きたいところがあった。観光スポットとしても知られる「茅打バンタ(かやうちばんた)」である。あたかもアミューズメントのような響きだが、実は本島でも有名な難所のことなのだ。バンタとは琉球の方言で崖を意味する。

昔から最北の地へ出るためには必ず通らなければならなかった絶壁をつたう細い断崖道。地元では「戻る道」と呼ばれ、人がすれ違えないほど道幅が無く一方が戻らねばならないほど狭隘険路であったという。

宜名真トンネル

茅の束もバラバラにする強風が断崖道を吹き上げることから「茅打バンタ」と名付けられたこの難所も、今では山塊をぶち抜く「宜名真(ぎなま)トンネル」が開通しているので山越えする人はほとんどいない。

その難所へ上がる入口を探して走っていたが、いきなり「宜名真トンネル」が目の前に現れてしまった。

「茅打バンタ」への入路を見逃したのだ。県下一長い1キロのトンネルをくぐったが、出たところからすぐにUターンをする。

バンタ探しのため58号線を戻ったのだが、右手に宜名真の漁港と防波堤が見えたのでまたまた寄り道となった。

    宜名真漁港の防波堤内

少し回り込むが防波堤にも出られる。防波堤では2組の釣り人が釣果はまだ無かったが楽しんでいた。ここは釣り客にも有名なポイントであることを教えてもらった。

防波堤で寝ころび入道雲をな眺めていたが、コンクリートから伝わってくる地熱が動悸のように背中を打ってくる。しだいにドライフルーツのような気分になってきて車の冷房が恋しくなってきた。

大急ぎで車に戻り、運転再開と同時に冷房も全開にした。好きなときに冷房に逃げ込み、好きなときに移動できる車の便利さを、つくづく再認識させられてしまう。人間も堕落したものである。

やっと見つけた「茅打バンタ」への枝道。最初こそ なだらかだった坂道がしだいに斜度を増してゆく。馬車や車が通れるほど道幅が広がったのは大正期のことらしい。かなり登ったところの崖上にその名高い難所、「茅打バンタ」はあった。

断崖の端には事故防止の柵が設けられているが、ところどころ柵の無いところから下をのぞくと、噴き上がる強い風と峻嶮な景観に思わず引き込まれてしまう。今までいた防波堤が箱庭のような世界の中に小さく収まっていた。

茅打バンタの崖上から臨む宜名真漁港

今ではこの崖上も園地として整備され東屋の休憩所やトイレなどが設けられ、観光客が訪問しやすい環境になっている。東屋から見る空も一気に近づいたのか雲もひときわ大きく見える。

この園地には遊歩道もあるので真南の宜名真漁港から北西の伊平屋島までの180度のパノラマ景観を十二分に満喫できる。

水平線が極端に丸く見えてしまうのも、屹然とそびえる断崖からの景色だからなのだろう。中天に浮かぶ白雲から足元に広がる東シナ海まで大自然が手の届くところにあった。


「茅打バンタ」のガイドページへ


やんばる ロード 4

                           童話に出てくるような可愛い辺戸岬灯台

ようやく見つけた。

細い道の先には真っ白でジオラマで見るような灯台が静かにたたずんでいた。

本島最北の半島のような海岸線西岸にある辺戸岬(へどみさき)灯台である。

かねてより那覇で知り合った知人から聞いていた灯台だ。地図にも載っていない上、現地でも何の案内板も無いと聞いていた。その通りだった。

ここに灯台があると知らなかったら、確実に見逃していただろう。

1972年5月15日、業務開始とあった。高さ11mの小さな灯台で、周りを1m半くらいの塀が取り囲んでいた。

最近塗りなおされたのか目にも鮮やかな白さである。まるでジュブナイルに登場しそうな灯台だった。

停めてある車までの戻り道が遠かった。道が細く雑草におおわれていたので、ずいぶん手前に駐車してしまったようだ。

この次のポイントはいよいよ辺戸岬である。西岸側にあった辺戸岬灯台から辺戸岬への入口となる東岸へと車を飛ばした。走ること数分で辺戸岬の看板が飛び込んできた。案内の方向へと曲がると大きな駐車場へと進入して行った。

お休み処を備えた高速道路にあるPAのような風景だった。車を駐車し、さっそく岬突端へと歩を進めた。とても広い岬でプロムナードが縦横に走っており、遊歩道沿いには多くの記念碑やオブジェが設置されていた。

辺戸岬の崖上から

石碑などの見学は後回しにして岬台地の北端まで歩きつづけた。そしてたどり着いた崖の端から見た海は青くて丸かった。薄くけぶった水平線は明らかに丸く、地球が球体であることを肉眼で見せてくれているようだった。

沖縄本島北端の岬に立っていることも手伝い、日本本土へとつづく大海原を見入っているうちに少しだけ感傷に浸ることができた。

人には《果て》という未知と隣りあわせている限界点に挑戦する本能があるらしい。エベレスト登頂、北極・南極制覇、宇宙航行、深海探査など、その本能の要求するところに従ってきた。

その未知のポイントを制覇してもおそらく何も特別なものは無いのだろう。精神的充足と記録が残る以外は。しかしこの飽くことのない本能だけは消失することはないだろう。

沖縄本島の最北端など可愛らしいものだが、最北とか最南ポイントとか聞くと無性に行きたくなってしまう行動をとるのも、そんなところに原因があるのかもしれない。

1976年4月に造られた「祖国復帰闘争碑」

プロムナードを歩いていて、檄文とも云うべき激しい論調の碑文に出会った。

祖国復帰闘争碑とあった。

『吹き渡る風の音に耳を傾けよ
権力に抗し復帰をなし遂げた
       大衆の乾杯の声だ』

で始まる文は、しだいに熱を帯び

『戦後は屈辱的な米国支配の鉄鎖につながれ その傲慢な支配は沖縄県民の自由と人権を蹂躙した...祖国日本は海の彼方に遠く 沖縄県民の声は空しく消えた』 とつづく。


日本への復帰を願いながらこの辺戸岬から灯を焚き、与論島(奄美群島)の人たちと呼応したという。双方から船に乗り海上で集合し祖国復帰を目指したと伝わっている。

与論島はひと足早く1953年に日本復帰がかなったが、沖縄の復帰はそれから19年もかかり1972年に実現する。

碑文はさらに激しさを加えてつづく。

『1972年5月15日 沖縄の祖国復帰が実現した
しかし県民の平和の願いは叶えられず 日米国家権力の恣意のまま軍事強化された』

『この碑は喜びを表明するためではなく まして勝利を記念するためにあるのでもない
生きとし生けるものが自然の摂理のもとに生きるための警鐘を鳴らさんとしてある』

この碑文が色あせることもなく、戦後65年も経った今も胸に刺さるのは、普天間問題で判るように沖縄の戦争がいまだ終わっていないからだろう。

祖国を慕う気持ちがまだ健在だった頃、この辺戸岬から22キロも離れた与論島の人たちと海上で落ち合う風景はどんなであったろう。映画のワンシーンのように純粋で美しかったに違いない。

                          展望台の大ヤンバルクイナの足元

岬からの絶景を存分に堪能したあと、パーキングロットへと戻ったのだが、その途中に面白いものを発見した。

遠景ながら山の中腹に巨大なヤンバルクイナが見えたのである。

岬の近くにあると聞いていた「ヤンバルクイナ展望台」だと判ったが、まさか岬から見えるとは思っていなかった。

駐車場に着いたが、レストハウスに貼られていたかき氷の字につられて水分補給をすることにした。

急いでかきこんだせいで頭の奥に激震が走り、頭をかかえながら勘定を済ませることになってしまった。

岬から展望台までやはり5、6分で着いてしまった。車もたまには爽快なものである。長い階段を登ると11.5 m のヤンバルクイナが立っていた。訪問者は誰もいない。

コンクリート造りの巨大ヤンバルクイナで胸のところが展望窓になっている。胴体内部は3層構造になっており、胴体側部に併設された階段で移動できる。

さっそく内部に入って最上部へと進入した。中はガランとして置き忘れられたように警備員の敬礼している絵看板が床に転がっている。その看板を拾い展望室のベンチに寝かせ、窓外に目をやると青を背景にした辺戸岬の全景が前方に浮かびあがっていた。

「辺戸岬」のガイドページへ


ヤンバルクイナ展望台

住所 国頭郡国頭村辺戸
施設
 駐車場無料(10台)・休憩所
問合せ
 0980-41-2101 国頭村役場)
交通


那覇空港より175分 那覇IC−許田IC 間は高速利用−国道58号線を北上−辺戸岬手前を右折スグ


MIZUNO SHOP ミズノ公式オンラインショップ

やんばる ロード 6

本島北端の辺戸岬などを訪ねたあと、那覇への帰途についた。当初の予定通り、往路で通った西海岸ではなく東海岸を南走する。これで北部海岸線を一周できるというあんばいである。

辺戸岬まで海岸沿いを北へと走っていた国道58号線も、最北端ポイントからは Uターンし南東へと大きくカーブする。しかも海岸線から離れて内陸へと方向を変えてゆき、国道は深々とした山中へとつづいている。

またまた現れた。これで3つ目の”ヤンバルクイナ、飛び出し注意”の看板だった。

このあたりが一番のロードキル多発地区らしい。ゆっくり走らねば....

その国道58号線も 「奥」 という地域で突然終わってしまった。

道が終わっているわけではなく、名前が国道58号線から県道70号線となるだけで、道はそのまま南へとつづいている。

しかしこの県道70号線あたりから道はふたたび海岸線に出た。

視界の左隅に海を感じながら走っていると、《美ら海 ニライカナイの海》と書かれた立て看板が目に飛び込んできたので急ブレーキをかけ停車する。

二ライカナイとは沖縄に伝わる海の果てにあるという楽土や理想郷のことである。しかしその浜辺は理想郷のイメージには似合わないほど岩礁が荒々しく突き出した自然のままの海岸だった。地図を見るとこのあたりは赤崎という地区であった。

なおも南下していると小さな橋を過ぎた。橋のそばに見える海が妙に明るく強烈なまでに青かったので、車をむりやり路肩に止める。しばらく車中から眺めていたが、浜辺へ出てみたくなりエンジンを切った。

青一色に染められた伊江の海岸

橋の名は伊江橋といった。橋の下を伊江川の流れが海へ注ぐため浜辺へと伸びていた。水量が少ないためか流れは湾曲しながら砂地に小川をつくっている。

空と海が真っ青に溶けたなか、ひとすじの白い線ができていた。沖合には長いサンゴ礁があるのだろう、長い線となって白く泡立っている。

手前の白い浜にはひとすじの青、浜辺を横ぎる伊江川がターコイズブルーに輝く。眼の前に広がる光景は青と白が重なるバームクーヘンだった。

伊江を出て30分近くも走っているがすっかり海岸線は見えなくなっていた。県道70号線はさらに山の中へと入ってゆく。

往路の西海岸沿いの58号線に比べ、この東海岸道路は内陸側や山中を抜ける経路が多い。単調なドライブに飽きはじめたとき、安波(あは)ダムという案内板が目に留まった。

安波ダムのクレスト(下流側)

案内板に誘われるようにハンドルを右に切り、県道から離れ深緑したたる山道へと進んだ。

樹林にはさまれた坂道を登りきると大きなパーキングエリアへと出た。

車をおりて回りを見渡したが見えるのは空ばかり。それだけで自分の立っている場所が一番の高所であることがわかる。

駐車場を歩き抜けると公園のように整備された遊歩道が前方へとつづいていた。ひとっこ一人いない。

プロムナードを歩く靴音以外まったくの無音である。道路の右側に「安波ダム管理支所」があった。

しかしその建物からも人の気配は無く、まるでビデオゲーム ”バイオハザード”の舞台となった「ラクーンシティ」のようだ。

道のぶつかったところはダムの堤頂部で、足元80m下には広大なダム湖が横たわっていた。


どうやらダムの右岸からアクセスしたようで、今いるポイントは安波川の上流に貯められたダム湖右岸であった。

正直に云うと、ダムというものを見るのも堤体に触るのも初体験。小説やドキュメントに登場するダムはひとつかふたつの村を飲み込みながら、村人たちの人生を大きく変え完成されてゆくといった類のものばかりだった。ダムに関してはそんな風化したようなイメージしか無く、また特別な関心も無かった。

しかし現実のダムを目の前にして印象が一変した。不自然なほど高低差のある巨大建築物がもつ圧倒的な迫力。明らかに自然が創りだす景観とは次元を異にした人の造り出した造形である。

今日本でもっとも報道され人気が集中してきた東京スカイツリーにも同種の感慨を感じた。新聞やテレビの報道で見るスカイツリーと業平橋(なりひらばし)駅のホームから見上げる生のスカイツリーでは雲泥の差なのである。

上流側に突き出た右岸展望広場(左)、上流側の堤体全景(右)

どうやらダムにひと目惚れをしたらしい。天端と呼ばれるダムの頂上部の道路を通りダム湖左岸に行ったり、展望台で休んだり、プロムナードの端から端まで歩いたりといつまでもグズグズとしてしまった。

この北部には5大ダムがあることを知ったが、すでに遅きに失した感がある。この2カ月半はバス旅行にこだわって旅したので、初手(はな)から交通便の悪いダムを除外していたのだ。

結局、陽が暮れなずむまでこのダム湖の右岸展望広場に居つづけ、長い一日の最後にした。この間、ただのひとりも人と会うことはなかった。

             陽が傾きはじめた右岸展望広場


「安波ダム」のガイドページへ


ヤンバル地の入口にもなる名護市北部にある離島、屋我地島(やがぢしま)、古宇利島(こうりじま)。以前より訪問したかったのだが、バスが途中までしか運行されていないので後回しになっていたポイントだ。

午前中から車を飛ばし、比地大滝を訪れ大汗をかいてしまったが、まだまだ陽は高い。迷うことなくこの橋づたいの離島めぐりを即決した。

橋つづきの離島は「うるま市」にある海中道路で本島とつながる「伊計島」に似ている。そこでは平安座島・宮城島・浜比嘉島・伊計島の4島がつながっていた。北部のここでは、奥武島(おうじま)・屋我地島・古宇利島の3つの離島だ。

本島と離島に囲まれた羽地内海が引き潮で干潟の表情を見せる

屋我地島・古宇利島方面への橋のそばにはロードパークがあった。そこで停車しマップを広げて確認すると、その橋の左側に展開する海は本島と離島に囲まれた「羽地内海(はねぢないかい)」だと判った。

内海という文字を見たとたん、その海に接してみたくなり駐車場に車を停めた。ひとくちに内海と云ってもいくつかの種類があるのをご存知だろうか。日本でもっとも有名な内海は瀬戸内海だろう。瀬戸内海のように大きな陸地と陸地に挟まれた水域も内海のひとつ。

そして陸地にもぐり込むように袋状に入った水域である《湾》も、実は内海のひとつなのだ。そして島や半島と大陸に囲まれ、海峡を通して外洋に繋がるここのような水域も内海という。ちなみに潟は海とつながっていても沼湖に類別される。

                        ロードパークの前に広がる羽地内海

湾に関しては全国の相当な数の経験を持つが、小島と陸地に囲まれる種類のこの内海は初体験であった。

内海を鑑賞するにはほどのよい遊歩道があり、ついつい長居をしてしまった。

しかし山陰の荒い日本海を見て育った筆者には、静かすぎるこの内海は少々物足りなかった。

潮の満ち引きだけがつくる表情の変化は、まるで能舞台で舞う能面のように、心情変化を寡黙に語る静けさだった。

橋を渡るとそこは奥武島と云う小さな小さな島で、まるで屋我地島への踏み台にされているような飛び島であった。

周りにはお墓ばかりの、車で通り過ぎれば誰もが気が付かないほど短い距離の島である。沖縄では小島がよく墓場として利用されることを...後で知った。その時はそんな因習などを知るはずもなく、無邪気に歩き回ってしまった。

屋我地大橋

墓と云えば昔から伝承されている説話に こんな話がある。

墓穴を掘ったあと そこを埋めると不思議なことに必ず土が足りなくなるという。棺を納めているにもかかわらずである。

墓穴など掘ったこともなく、ことの真偽を確かめたわけではないが、残っている墓守(はかもり)の証言記録ではどうもそのようである。

魂の抜けたあとにできた別世界へとつながるパイプ、そのパイプがふさがるまでのほんの少しの間に土が別世界へこぼれ落ちてしまうのだろうか。

奥武島(おうじま)から屋我地大橋がまっすぐに次への島へと架かっていた。

この全長300mの橋上を通る県道110号線を北上し、屋我地島へと上陸するとすぐに目に入ってくるのが屋我地ビーチ。


                 屋我地ビーチ

入口にはゲートがあり、有料となっていた。

入場料大人500円、小人300円とある。つまり遊泳料のことだろうか。

また駐車料は自動車600円、単車300円。遊泳料も駐車料もダブルでかかるビーチだった。

海岸線は干潟のような浜辺で、磯近くまで まばらな樹木が立ち茂り、沖の近場には緑をかぶる岩礁がいくつも点在している。

水辺はまるで干潮時のような景観を見せていた。遠浅の砂地が岩礁までつづいており、磯遊びもできそうである。南北に展開する全景が南海のビーチというよりは、本州日本海に見られる風景に近い。早々に退散し車に戻ることにした。

5分も走ると県道110号線の右側に立つ看板が目に入った。「済井出ビーチ」と書かれていたが どう読んでいいのか判らないまま その案内のあった方へと右折していた。

すぐに青地にマリンスポーツと書かれた幟(のぼり)が目印となり駐車スペースへ車をパークさせる。駐車料も300円と手頃な料金だ。

浜辺の手前には”モクマオウ”の樹が適度な木陰をつくってくれている。そこを抜け海岸に出ると透明度の高い海が待っていた。しかもとんでもなく遠くの沖合まで遠浅がつづいていた。

20 mくらい沖合でも家族とおぼしき一団が水中に立ったままでシュノーケル遊びをしているのが見てとれる。何かを発見した子供たちの興奮した声が水面を滑ってきて、こちらまで楽しくなってくる。

このビーチ、「すむいで(済井出)ビーチ」と読むらしい。裸足になり裾をまくって、しばらく遊んでゆくことにしよう。

           済井出ビーチ


「屋我地島」のガイドページへ


ASICS FAMILY CLUB  アシックスファミリークラブ

橋つづきの離島 「屋我地島(やがぢしま)」にある済井出(すむいで)ビーチで磯遊びをしているうちに、思いがけず浜づたいにかなり北まで歩いていた。

捕まえたカニに逃げられ、新たなカニを探してかなり北まで来てしまったのだ。その行動たるや ほとんど児童レベルになっていた。あわてて駐車場へ戻ることにした。

「屋我地島」から次の離島である「古宇利島(こうりじま)」へ渡るべく車をとばしていると前方に十字路が見えてきた。左は古宇利島、まっすぐは「国立療養所愛楽園」とあった。

地図を見ると その療養所の裏になる北側には弓なりになった浜辺がある。携帯ネットで調べると 「愛楽園」 はどうやら ”ハンセン病” の療養所のようだった。迷惑にならないでその浜へ行けるか試すことにして直進する。

ぶつかった療養所の外周道路を建物沿いに左側へ回り込むと大きなパーキングロットがあった。ガラガラに空いていたのを幸いに駐車し、海岸を目指した。

古宇利大橋の全景が鑑賞できる「国立療養所愛楽園」裏の海岸

丈のある草むらを抜けると いきなり絶勝の景観が目に飛び込んできた。2 kmもあろうかという古宇利大橋が海上を真一文字に走り「古宇利島」へと架かっていた。

療養所の裏ということもあり、ほとんど訪れる人がいないのだろう。砂地に生えた草が踏まれていないので伸び伸びとしていた。ハマヒルガオまで妙に生き生きとしている。誰もいない淋しい浜なのにどこか温かいものを感じ、ひと目でこの浜辺を気に入ってしまった。

”ハンセン病”と呼ばれる病気のことを知ったのは、はるか昔の子供の頃だった。多感だったその頃にこの病にからむ事柄でふたつほど深い感銘を受けたことがあった。

今でこそ治療により快癒するようになったし、日本での発症例もほとんどなくなっているが、以前 ”らい病”と呼ばれたこの病気は伝染性の難病として広く知られていた。症例記録は紀元前まで遡るほど古く、発症範囲は全世界の広域に見られる名うての悪病として恐れられていた。

                 目一杯 元気なハマヒルガオ

その病名を初めて聞いたのはアカデミー賞を11部門も独占した「ベン・ハー」という映画であった。

ドラマ後半に主人公ジュダ・ベン・ハーの最愛の母と妹がこの病気にかかり、死の谷に隔離され死を待つばかりという設定のところだ。

伝染する恐怖をものともせず死の谷に踏み入り、重篤の家族と再会を果たす主人公。

そして神による慈雨で快癒してゆく感動的なラストは、子供心にも強烈な印象となって脳裏に焼き付いてしまっていた。

それから間もない頃、またこの病名に遭遇することになった。

少年時代 やや早熟であったのか日本史に傾倒し溺れていた時期があった。

戦国時代に登場する白頭巾の武将 大谷吉継(おおたによしつぐ)に興味を持ち、調べてゆくうちにふたたびその病名を聞くことになる。彼はこの病気に感染していたのだ。

親交のあった徳川家康も一目置くほど文武に明るく聡明な武将であった吉継。しかし豊臣政権下での活躍中はすでにこの病気に侵され、頭巾で顔を隠していたため他の武将たちには周知のこととして広く知れ渡っていた。

秀吉主催による、点てたお茶を一口づつ喫してゆく大阪城での茶会においてのことである。吉継が飲んだあと感染を恐れ たじろぐ武将の居並ぶ中で、ただ一人平然とそのお茶を喫した武将がいた。 石田三成であった。 その何事もなかったようにふるまう三成の姿に吉継は激しく感動したに違いない。

古宇利島(左奥)も見える愛楽園裏のビーチ

爾後、親交を深めたふたりには友情が芽生え、関ヶ原の戦いでは家康との交誼があったにもかかわらず石田三成側に立った。

戦闘人員の数から見れば東軍(徳川家康)より圧倒的に有利な西軍(石田三成)に味方することは当たり前のようにも思える。

しかし聡明な大谷吉継は大軍を擁する西軍(石田側)でも負けるであろうことを鋭く予測しているのである。

敗戦のおそれとなるところの補強戦略を、言葉を尽くし三成を説諭している。そのことがいくつか歴史記録として残っている。

にもかかわらず石田に付き、結果西軍は彼の懸念通り大敗してしまう。そして最後には従容と潔く自刃するという乱世では稀有の武将、大谷吉継であった。

この吉継の行動に、やはり気持ちを強く揺さぶられ感動したことを覚えている。

以上のようなことからこの病名にまつわる特別な感情が幼い心に焼印のように残された。

ネットによると、ここの沖縄愛楽園の創設が昭和13年というから、戦争前の時代に開設され70年以上も歴史を刻んでいるようだ。

おそらくその頃の感染者は世間から隔絶され隠れるように療養生活を送っていたのだろう。施設に隣接するこの穏やかな浜辺で、罹患した療養者たちが静かに残された時を過ごしていたことが想像される。

浜の中ほどに打ち捨てられたように木椅子が置かれていた。ちょうどいい所に椅子があると思い座ってみようと近づいたのだが、きちんと海を向いたその椅子はまるで主人が座るのを待っているような風情に映って見えた。

椅子の隣りの草地に腰をおろし、この椅子の主人が見たであろう磯景色を眺めることにした。


西側の古宇利ビーチ

定規で引いたような古宇利大橋を渡ると、古宇利島に渡った橋のたもとには遊泳客でにぎわうビーチがあった。橋脚の左右に展開する小ざっぱりとした古宇利ビーチである。

古宇利大橋をはさみ両側のビーチにはパラソルの花が開き、ビーチ沿いの奥には白くきれいな護岸コンクリートがロードパークのように築かれていた。

ビーチより少し奥まったところにあった駐車場に車を入れ、ゆっくりビーチへと出る。遊泳客のほとんどが西側ビーチに集中していたので、東側のビーチへ出ることにした。

                      比較的ゆったりしていた東側の古宇利ビーチ

砂浜からすぐのところには斜傾の護岸堤が築かれている。

その白い堤が左右の沿岸を蔽うように遠くまでつづいていた。

橋脚近くにはたっぷりとあった砂浜だが、左右に広がるにしたがい奥行きが狭くなり、途中から砂浜が消え護岸堤だけが海に接している。

この堤で寝転がり手枕をすると、海を眺めるに ほどの良い傾斜度であった。


堤には地元の子供がふたりだけ。子犬のように じゃれあっている彼らは、どうやら兄弟のようである。

近くでしばらく遊んでいたが海ぎわの方へと興味が移ったようだ。

遠ざかるふたりの後ろ姿がなぜか懐かしい風景に思えて、急いでカメラを取り出しシャッターを押していた。

朝早くから起き出し比地大滝を歩きまわったせいか、寸刻で眠りに落ちたらしい。

あまりの暑さで目が覚めた。全身ぐっしょりと汗にまみれている。

慌てて日陰を探すため あたりを見回したが、らしきものはいっさい見当たらない。橋向こうの東海岸線の端に樹林が見えるが相当な距離だ。

どうやら逃げ場は車しか無いようだ。しかし陽を避けるような建物が無いからこその離島でもある。車にもどる前に海にひと目会ってゆこうと浜へ下りた。

            遠浅のビーチの向こうには屋我地島、沖縄本島が

底が透けてどこまでも見える遠浅の水ぎわだった。トルコ石のような青色の水面で太陽の光が泳いでいる。水平線の向こうには屋我地島、その奥には沖縄本島の陸影が浮かぶ。

車までもどりエアコンを最強にして、汗だくの身体に涼をとらせる。外周が8kmほどの島なので時計回りで一周すべくスタートさせた。

屋我地島の愛楽園の浜辺で見た古宇利島は底の深いお皿を伏せたような形状をしていた。車で回って観察すると海岸段丘となった隆起サンゴ礁の円形の島だった。

道の脇にはサトウキビや紅いもと思われる畑が広がっているが、ほぼ海岸線に沿ったのどかなドライブが楽しめる。途中で小高い丘を発見し、古宇利島最後の休憩をとることにした。

ちょうどいいタイミングなことに、陽が急速に傾きはじめ暑さも落ち着いてきた。その丘からは海をはさんで正面に本島の今帰仁村(なきじんそん)が見える。

足元の海上を滑るように船が入ってきた。そして羽地内海へとつづく海峡へと消えてゆく。ここを通る船は今帰仁村にある運天港とここより30km北に位置する離島「伊是名島」をつなぐ航路だけだ。伊是名島から帰ってきた定期便のフェリーなのだろう。

急に南の洋上に浮かぶ久高島のことが思い出された。沖縄を来訪してまだ間もない頃に立ち寄った安座真フェリー港で日帰り可能な久高島を知った。滞在中に必ず訪れようと決めた離島だった。

あれから2ヶ月以上も経ち、滞在残り日数も数えるほどになってしまっている。さっそく明日には神の島 「久高島」 を訪れることにしよう。

「古宇利島」のガイドページへ


少し飛ばし気味に車を走らせていた。沖縄本島南部の知念半島に敷かれた国道である。早朝の風が肌に心地よい。今日は沖縄を訪問して初めてフェリーによる離島渡りを予定している。

安座真(あざま)港から久高島行きのフェリーが9時に出発をする。起きぬけのコーヒーを一杯だけひっかけ飛び出してきたのだが、予想外に手間取ってしまった。

9時に間に合わなければ、高速艇ではないが10時にも一便があると聞いていた。

国道331号線の海岸線ドライブを楽しむため、アクセルをゆるめる。

風で泡立つ海面が朝日を照り返し、黄金色のモザイク模様をつくっていた。

安座真港からの久高島航路はふたつの船が一日6往復をしている。

高速船 「ニューくだか」と「フェリーくだか」だ。

久高島まで高速で15分、通常船で25分という手軽さで、乗船料も 「ニューくだか」 は往復で1410円、「フェリーくだか」 が1240円というお手頃料金である。久高島発の最終便が午後5時30分なので日帰りでもたっぷりと遊べる離島だ。

安座真港にある定期船待合所に着くと、ちょうど 「ニューくだか」 が出船するところであった。港湾を静かに滑り出す船を見送り待合所に入った。

次のフェリーは車が4台まで乗船できるとあって、車で行くという思いつきが頭をよぎった。さっそく売券売場のスタッフに相談すると、しきりに現地でのレンタルサイクルを勧められてしまった。

自転車で走り回る体力ありと判断してくれたのか、車で行かせると乱暴な運転をしかねないと思われたのか定かではなかったが、島の全長3km 周囲8kmというから小回りのきく自転車で回ることにした。

乗り込んだ 「フェリーくだか号」はまだ新しいのか、真っ白な船体からエンジン音も高らかに安座真港を出発した。後方に残されてゆく波しぶき、その向こうでは遠ざかる知念半島の山々を大きな雲の影がおおってゆく。

乗客が4家族からなる母子グループの一団と数人の客だけであったせいか、船内ではとてものどかな空気が流れており、期待どおり伸びやかな一日を予感させてくれていた。

デッキ前方で潮風を胸一杯吸い込みながらクルージング愉しんでいると早くも、前方に久高島と思しき島影が視界に入ってきた。

テトラポッドを積み上げた堤防を抜けると久高島の徳仁港

島に近づくと海岸線をぐるりとテトラポッドがうず高く積まれていた。さらに近づくとそのテトラは堤防を形成していた。もともと堤防を守るためのものだから、堤防そのものに使用して悪いわけがないのだろう。

岸とその堤防に挟まれた水路に入ると久高島の表玄関とも云われる 「徳仁港(とくじんこう)」 に着いた。 折しも港は大工事の真っ最中であった。(2011年現在は、新しい桟橋埠頭や丘上にはしゃれた待合所が完成している)

                      丘上では久高島の石標が徳仁港を見下ろしていた

下船してあたりを見回したが桟橋埠頭以外施設らしきものは何も見当たらず、桟橋から丘上へと一本道があるばかり。

丘を登り切ると久高島と掘られた石標が建てられている。

この位置まで来て、初めて久高島の土地が海岸部よりかなり高所にあることが理解できた。

やっと 《レンタサイクル》 のあるお店を発見し飛び込んだのだが....5、6台あった自転車はいずれも旧式で小ぶりなものばかり。

すでにここにいたっては選択肢が無いわけで、いさぎよく1台にまたがり出発を断行することとなった。MAPを片手に時計回りに島を一周することにしたのである。

しばらく道を走ったのだが道路の凹凸がそのまま身体を直撃してくる。車輪の空気圧をチェックしたが問題は無さそうである。このひどい乗り心地は、どうやら小型で旧式であることから発生しているようだ。

しかも大の男が乗るにはかなり小さい自転車だった。他所から見れば、まるでサーカスに登場する熊の自転車乗りである。気をとり直し自転車漕ぎを再開した。

「タチ浜」への小さな案内板は手づくり

自転車と格闘しながら走っていると可愛らしい案内板を発見。魚の形に切り抜かれ青く塗られている。

木板には「タチ浜」とあった。

その場所の東南側には道路に沿ってアダンの樹林が生い茂って視界をさえぎっている。

案内板の近くをよく観察すると、樹林の中にうっすらと道らしきものを確認できた。さっそく、自転車を置きそこに踏み入ってみた。

く ぐり抜けるようにその道を進むとついに海岸へと出た。

そこの海岸、つまり 「タチ浜」 と呼ばれる浜辺はまるで手つかずの天然海岸だった。今まで沖縄本島の浜辺ではお目にかかれなかったビーチラインが眼前に広がっている。

造礁サンゴによるライムストーンと目の粗い砂がせめぎ合うように混在し、形状変化をした石灰岩と大粒の白い砂が独特の天然画を創り出していた。

海岸を見渡しても人っ子ひとり見えない。何となく嬉しくなってきた。この瞬間、この海を独り占めしている!

独創的な造形を展開する久高島の 「タチ浜」


久高島 タチ浜

住所 南城市字久高

宿泊関連問合せ
 久高島宿泊交流館

 098-835-8919

交通
 那覇空港より 40分(国道329号線を与那原方面へ−与那原警察署前で国道331号線へ−安座真港入口の信号を左折
BUS 那覇BTから50分−バス停 「安座真サンサンビーチ入口」 徒歩5分
定期船 安座真港から15~25分−久高島船待合所 自転車10分


久高島の最初に訪れた海岸 「タチ浜」で潮の香りを愉しみながら島の先端へと海岸を北上した。浜を占拠していた石灰岩礁がしだいに消え、きれいな砂でおおわれたビーチに姿を変えた。

アダンの木陰で涼みながら眺める自然の海は格別で、聞こえてくる音も自然界が奏でるものばかりだ。まるで南太平洋の孤島にいるような感覚にハマってしまった。

まるで南海の孤島のように天然のままの海岸 「イシキ浜」

風に乗った笑い声が かすかに聞こえてきた。木陰から出て伸びあがって見まわすと、ずっと先の海辺で泳ぎ戯れる豆粒のような人影が見える。

この清閑なビーチにもついに訪問者がやって来たようだ。これを潮に島一周の旅を再開した。そのまま浜辺を北へ進むと、遠浅の沖合で海水浴を楽しんでいるのは親子連れのひと家族だった。この広いビーチをその一家に明け渡し自転車のところまで戻ることにした。

                              「イシキ浜」を知らせる手製の魚形案内板

その途中でまたひとつ 手作りの案内板を発見した。

こちらのビーチは「イシキ浜」と呼ばれていた。漢字で書くと伊敷浜と表記するらしい。

ここのビーチは7、800 mもつづく長大な浜辺で、場所によって浜辺名が異なっていた。

徳仁港に近いほうから「ピザ浜」、「イチャジキ浜」、「タチ浜」そして「イシキ浜」と呼ばれている。


ふたたび尾てい骨を直撃する自転車で島の北部を目指す。何事も慣れると こなれてくるものらしい。しばらく走るうちに、でこぼこ道でも衝撃を吸収できるようになってきた。

乗り慣れてきた自転車を機嫌よく走らせて行くと、道が真っ白な一本道となった。島の北端にある「カベール岬」へとつながる自然道だ。白い道の両側は緑が茂り、綺麗に定規で引いたように北東へ伸びている。

久高島に関しては昨夜少し予習したので、おおよその注意事項を頭に入れてきていた。島でも神聖な場所がこの北域に集中しているので、心ない訪問にならぬよう気をつけねばならない。

琉球興しの神であり始祖である”アマミキヨ”が、東のはるか洋上に浮かぶという理想郷「ニライカナイ」からやって来て、久高島に初めて降り立った場所がその「カベール岬」であったという伝説が伝わっている。

ハマユウなどの植物で緑があふれる「カベール岬」

白い道が終わり、急に視界が広がる。一面に色鮮やかな緑の植物群をたくわえた「カベール岬」だった。

小高い丘といった風貌の岬で、白い花をつけたハマユウやヒルガオなど低草群が砂地で生き生きとしている。

その緑の絨毯を越え、先端まで歩を進めると足元には素晴らしい浜辺が待っていた。


楚々とした磯はまるで隠れるように静まりかえっている。岬となっている小高い石灰岩礁が出入りの激しい複雑な海岸線のため、大小複数の入江が形成されていた。

そのどれもが個性的で隠し入江のごとく ひっそりとした佇まいを見せている。岬には案内説明板がひとつ立てられており、聖地とあった。

先ほど訪れた「イシキ浜」も島民からは二ライカナイに面する聖なる浜として大事にされており、今も祭祀用拝所が設けられている。どうやら観光客の遊泳は遠慮した方が無難な海辺であった。

「カベール岬」周辺の海岸線には離島らしい個性的な入江がいくつも広がる

岬の入江景観の美しさに魅せられて しばらくいたのだが、太陽直下の強烈な日差しを避ける場所もなく、やむなく西側の海岸線を求めて周遊をつづけることにした。

例の白い一本道を少し戻るとY字形の分かれ道が現れたので、ハンドルを右の西へと向けた。前方にフェンスにぐるりと囲まれた大型プールのような施設が出現。

                      島の北部中央にある貯水池

フェンス越しにのぞいて見ると正方形をした貯水池だった。

生活用水は島の北側に湧き出しているガー(井戸)がいくつかあるので、ここは農業用水と思われる。

島の生計主体は漁業なのだが、昔より自家用農業も重要な作事で水は不可欠だ。

この貯水池を過ぎたあたりでぶつかったY字路をさらに北西の海側へとペダルを踏み込んだ。

この舗装された綺麗な道路はロマンスロードと名付けられていた。

貸し自転車のお店を出てから出会ったのは、農作業のための移動と思われる軽自動車と海岸で遭遇したひと家族だけ。タイミングが良かったのだろうが、自分ひとりだけのサイクリングは極上の時間となった。

しかもこの道は舗装されている! ロマンスロードは海岸沿いに約500mほどつづき、そこから眺める海の色は並はずれた美しさだった。

 みはるかす海の向こうに浮かぶのは聖なる遥拝所の「斎場御嶽」のある本島知念岬


久高島 カベール岬

住所 南城市字久高

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 098-835-8919

交通
 那覇空港より 40分(国道329号線を与那原方面へ−与那原警察署前で国道331号線へ−安座真港入口の信号を左折
BUS 那覇BTから50分−バス停 「安座真サンサンビーチ入口」 徒歩5分
定期船 安座真港から15~25分−久高島船待合所 自転車20分


海岸沿いのロマンスロードは本島南部の知念半島を一望に収めるなど眺望の素晴らしい道だった。

全身で風を切りながら風景を楽しむサイクリングロードとして最適なコースといえる。

ロマンスロードに入って300mも走ったろうか、道の端に東屋が見えてきた。海を望む小さな休憩所だった。

島を訪問して初めて遭遇する観光者用施設だ。そこから海岸線を眺めると面白いものを発見。

東屋から少し北へ戻ったところに、海岸へと降りるハシゴが2連設置されているのが見える。

舗装された道路とこの東屋以外 人工的なものは何ひとつ見当たらない。立てかけたハシゴだけが乗降手段という、つまり自然をまるごと残した海岸なのである。

今朝からこの久高島を時計まわりに廻っているのだが、東からこの西側の海岸域まで、基本的に観光用施設は設けられていないのである。

船で渡る離島はこれが初体験なので、他の離島と比較のしようもないが、予想をはるかに超える自然度の高さには驚くばかりだ。おそらく沖縄の原風景を色濃く残しているのだろう。

戦前までまったくの自給自足の島であったと聞いている。島の周辺には珊瑚の岩礁がぐるりと取り巻き、外海から護られたイノーと呼ばれる礁池を形づくっている。

干潮ともなるとかなり広いイノーを沖の方まで歩けるようになる。女性たちは海の畑とも呼ばれるそのイノーで海からの恵みを得て生活の糧にしていたという。

ロマンスロード下のウディ浜は透明度抜群の海

ひとつ目のハシゴを降りた。ハシゴなので海に対して後ろ向きに降りるわけだが、振り返って見た海の美しさは写真や ましてや言葉などではとうてい表現できないほどだった。「ウディ浜」と名付けられている小さな浜。

砂浜に降り立つと穏やかに寄せる波が磯を洗っている。裸足になった足をなでてゆく海水がこのうえなく心地よかった。白い砂浜は猫のひたいほどしかなく、小高い岩礁が後ろに立ち塞がっている。

今は引き潮なので満潮時にはこの砂浜は海に沈んでしまうに違いない。浅い底の白い砂地から はね返った陽光が水の中で踊り、ため息がもれ出るほど透明な青色を見せてくれている。

                      満潮時には海の中に没するウディ浜

しばし大自然の海を全身に感じながら岩陰で過ごした。止まったように感じられた時間だったが現実にはとても速く過ぎていた。

ふたたびハシゴを登り東屋で水を補給。もちろんこのペットボトルは買い置きのもので、久高島サイクリングツアーには必需品である。

前述のとおり自然のままが信条の久高島。自販機などはお目にかかれないのだ。

レンタサイクルなどの店か集落近くのお店で準備することをお奨めする。

ロマンスロードの終わるあたりにまたひとつの海岸に出会えた。先の「ウディ浜」よりはるかに大きく湾状の浜辺が広がっている。「ウグヮン浜と」呼ばれるこの浜辺は、おそらく西海岸で一番大きな海岸になるのだろう。

自転車を置き、「ウグヮン浜」を見下ろす岩礁づたいに散策していると思いがけなく釣り人に遭遇をした。岩肌にどっしりと腰を据え、のんびりと釣り糸の先を見つめているのは島の住人のようであった。

湾曲した浜辺に深い青を湛えた「ウグヮン浜」

この磯での釣果を聞きたくて、餌のつけかえの機会を待ち声をかけた。

しかし何ひとつ返事を聞くことはできなかった。

最初は聞こえていないのではと思い何度も話しかけたのだが、残念ながら どうやら黙殺されていただけのようであった。

声かけには十二分の配慮をしたつもりなので失礼は無かったと思う。


人間であるかぎり虫のいどころの悪いときもある。きっとその釣り人さんにとって、気分を害する何かがあったに違いない...などと自分にいい聞かせながら、のどかな空気が一変してしまったその場所をあとにした。

自転車旅を再開したがすぐそばに「フボー御嶽(うたき)」と書かれた案内板が立てられていた。ここが久高島でもっとも神聖な場所であることはすでに予習していた。

ここが琉球開闢神”アマミキヨ”の七御嶽の第一の聖地にあたり、12年毎に挙行される大祭祀”イザイホー”の舞台となる聖域である。

立入禁止の看板が置かれた沖縄屈指の聖域をそっと眺めたあと、自転車のハンドルを南西の集落方面へと向けた。

琉球開闢伝説は神話として捉えるとしても、時の琉球王が毎年2月にはここを訪れ重要な神事を行なってきたと伝わる。

長きにわたり王府から尊重されてきたという歴史事実も合わせ持つ”神の島 久高島”。

神話から有史へと連綿とつながる年輪の重さは確かなものなのだろう。

昔より琉球では祖霊崇拝と同様に太陽神を遥拝してきた。東より昇るティダ(太陽)を 《生》 の象徴としてとらえ祈願する。逆に西に落ち入る太陽を 《死》 ととらえ、決して手を合わせることをしないという。

そのことから沖縄では東を ”アガリ”、西を ”イリ” と読む。ちなみに雑学までにご案内すると、北を ”ニシ” と呼び、南を”フェー” もしくは ”ハエ” と発音する。

沖縄本島の首里城から朝日を臨むと、ちょうど久高島のこのフボー御嶽から昇ると云われている。たしかに朝日はみなぎってゆく精気にあふれ、夕陽からは穏やかではあるがそこはかとない物悲しさが感じとれる。

ひっそりと静まりかえった集落のはずれ

なるほどそう考えると、太陽の一日の軌跡はまるで人間の一生を示しているようにもとれる。

毎日中天に輝きながら太陽は我々に知らせてくれているのかも知れない。生を思いきり謳歌するようにと。

毎日の生活や忙しい仕事に追われていては、そんな悠揚な思いに届くはずもないのだが。

自転車をこぐ前方に集落を知らせるように石垣が見えてきた。

人の気配がまるで感じられないほど静まりかえっていた。民家の中を通りぬけレンタサイクルの店まで戻ったのだが、何とただのひとりの住民とも出会わなかった。外塀に打ちかけられた漁猟網など かすかな生活の臭いは感じたが、とにもかくにも清閑とした静けさがあたりを支配していた。

徳仁港からエンジン音を響かせフェリーが動き出す。水面に逆波を残しながら走り始めたフェリーの船尾にぼんやりとたたずんでいた。遠ざかる島はどこか凛として侵しがたい表情を浮かべているように見える。この気高い神の離島は、近くにあって実はもっとも遠い島かもしれない。


久高島 ウディ浜

住所 南城市字久高

宿泊関連問合せ
 久高島宿泊交流館

 098-835-8919

交通
 那覇空港より 40分(国道329号線を与那原方面へ−与那原警察署前で国道331号線へ−安座真港入口の信号を左折
BUS 那覇BTから50分−バス停 「安座真サンサンビーチ入口」 徒歩5分
定期船 安座真港から15~25分−久高島船待合所 自転車25分


駐車場に停めていた車に戻ると、太陽に焙られつづけた車のドアは火傷をするほど熱くなっていた。午前中にパークし、久高島を一周して戻るまでに要した時間が6時間だった。あまりの熱さに窓を開けたまま車に涼をとらせるため、近くの食堂でひと休みすることにした。

安座真港前の食堂

幸い車を冷やすには、いい風が吹いていた。駐車場近くの安座真港前にあったお店に飛び込み ”ぜんざい” を注文。

本土の ”氷あずき” に相当するのだが、沖縄で ”ぜんざい” と云えば、金時豆を黒糖で煮て薄くかいた氷を乗せたものを指す。

小豆(あずき)ほど甘くなく氷の解け具合で何とも絶妙な氷菓となる。


本当に沖縄のぜんざいは美味い。この3ヶ月食べまくっている。そのかき氷を頬張りながら地図を眺め、日暮れまでのスケジュールを組み立ててみた。

以前バスで百名ビーチまで訪れたことがあったが、その先にあったのが橋づたいに行ける「奥武島(おうじま)」だった。その時はバス便が悪く 「奥武島」まで足を伸ばすことができず引き返した。

今日の残り時間は「奥武島」の訪問に決め、ルートはバス旅行では通らなかった二ライカナイ橋を通るドライブルートで目的地を目指すことにした。

エアコンですっかり涼しくなった車内に風を入れるため窓を全開にする。自転車よりも はるかに乗り心地の良いレンタカーで国道331号線を南下した。

太平洋に面した東海岸を一望に見下ろす二ライカナイ橋

海岸線を走っていた331号線の吉富交差点から県道86号線に入った。登り勾配のあるその県道は大きなヘアピンカーブを描いており、高度のある橋脚のような柱に支えられたドライブウェイが伸びている。

つまり今走っているのが「二ライカナイ橋」と呼ばれている沖縄南部の新名所なのだ。トンネルをくぐったあたりに駐車するスペースがあったのでパークさせた。トンネルの真上にあった展望スペースで改めて眺望の素晴らしさを知った。

二ライカナイという伝説の理想郷から名をとったこの道は太陽の昇る久高島やクマカ島などを見下ろす高台に優雅な曲線を描いている。上りでは眺望を楽しめず、下りにこそ最高のドライブウェイになるだろう。

さっそく車に乗り直し下ってみた。トンネルを出たときに目に飛び込んでくる大海原はなるほど絶景で、たった数分のドライブだがインパクトのある印象をしっかりと刻んでくれる。

                           ほんのひととき寄り道した沖縄刑務所

ニライカナイ橋を往復したあと先へと進んでいたら、左手に「沖縄刑務所」があった。つい寄り道をしたくなりワンストップをする。

建物の正面玄関には「沖縄刑務所」と「月代技能訓練所」と書かれた2枚の木製プレートが掲げられていた。

月代(つきしろ)とは地区名のことで、刑務作業として紅型の染め技法から、鯉のぼりの縫製まで多種多様の訓練をしているという。

建物からは物音ひとつ無くひっそりとして静寂に包まれていた。

正面ゲート近くにあったのは《見返りのシーサー》という獅子像。出所者の新しい旅立ちの道標になるようにとの願いをこめて職員一同が名づけて設置されたとあった。

以前、東京の府中市にある刑務所を訪れたことがあった。物々しいほどに高くそびえる外周壁が厳然とあたりを払っていた。

しかしここの空気は違っている。刑務所という名には ほど遠い幽寂の感が取り巻いていた。

同じ県道86号線沿いには航空自衛隊の駐屯基地もあったりする。南へ向かう137号線にレーンチェンジするとすぐに国道331号線に再会できた。

このまま南西方面へ進めば沖縄祈念公園へと至るが、その途中に目的の奥武島があるはずだ。


1週間ほど前に訪問した屋我地島〜古宇利島のとき、最初に通り過ぎた小島がやはり「奥武島」と云った。沖縄には喜屋武(きやん)もそうだが、この奥武島のように同じ名前の場所があるので注意する必要がある。

名護市にある方の屋我地島へとつづく「奥武島」には墓があるだけの無人島だったが、こちら南城市の「奥武島」には小さな漁村が形成されているようだ。

「奥武入口」の信号が現れ国道331号線から左へ針路を変える。すぐに「奥武橋」が出現したので一気に渡ったのだが、正面には小ぶりなビーチと軒を並べる店が目に飛び込んできた。

橋を渡りきるとT字路にぶつかり右か左を、運転しながらの瞬時判断を迫られるポイントになる。左は観光地然とした店が並び、右は地味ながら海岸沿いの外周道路だった。

奥武島の西側の海岸線は礁池(イノー)のような石灰岩礁が水上に顔を出していた

頭のどこかで簡素な漁港と思い込んでいたためか、人通りが多く雑然とした左の道筋を避け、ハンドルを右の西側に切っていた。

数分走ると海側へと降りる道があった。当然その道へと入ったのだがその先は凹凸の激しい岩場が広がっている。レンタカーで走れば間違いなくボロボロになってしまうので入口近くに駐車した。

                        あちこちにできた水溜まりは小さな水族館

徒歩でその岩礁域へと降りると、引き潮で現れたのか石灰岩礁があたり一面にとんでもなく大きく広がっていた。

あちこちにできた水溜まりには海の小動物が精一杯の活動をしている。

小魚や蟹を見ているうちに男どもは童心に戻るものらしい。

夢中に遊んでいた筆者が我に返って あわてて まわりを見回すと、子連れの父親たちが子供そっちのけで夢中になっている。

西に傾きはじめる太陽は心なしか速いような気がする。影の背がみるみる長くなってゆく。車のところまで戻ったが、車は置いたまま徒歩で散策するべく、西側から民家のある路地へと踏み入ってみた。

住宅地の道幅は広からず狭からずの、実にほどのよい幅だった。島の通りは車上で感じたほど観光地化はしていなかった。

住宅地のど真ん中にポツンと寺社があった。なだらかに本堂につづく段を登ると小綺麗なお堂が建っている。中央にに祀られていたのは彩色された観音像だった。このお堂、分かりやすく観音堂と呼ばれていた。

境内にあった説明を読むと、今から400年近く前に遭難した中国の唐船を救助し、その返礼に贈られた黄金色の観音が祀られているとのこと。ただしこの黄金観音は今は無く彩色観音に替っている。この観音堂で開催される祭は、先祖の善行を祝い敬う祭となっているという。沖縄らしい祖霊崇拝の祭なのだろう。

このあとは買い食いをしたり かき氷を食べたりと、暮れなずむ奥武島で、いつまでも ぐずぐずと遊んでしまった。

           観音堂に祀られている彩色観音像


奥武島 −おうじま−

住所 南城市玉城字奥武

交通
  那覇空港より45分(国場から国道507号線を南下−東風平南の信号を左折し県道131号線に入る−県道17号線へ乗り換えさらに南下−国道331号線左折−奥武入口の信号を右折スグ)
BUS 那覇BTから70分(百名線50番) バス停「奥武入口」 徒歩15分




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