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前回の南部歩きは平和祈念公園から糸満市街まで西側を廻った。今度は東海岸から南下しようと安座真港(あざまこう)を目指した。那覇BTから志喜屋線38番バスで向かう。西から東へ中城湾(なかぐすくわん)のえぐられたような海岸道路を横断し、50分ほどで安座真サンサンビーチ入口に到着した。

安座真港

バス停のある国道から海辺へ入り込む道を進むと小さな港にぶつかった。安座真港だった。ビーチらしきものなど見当たらない。海と山に挟まれたのどかな港町だった。

右手に見える堤防へと歩いて行くと、堤防そばに船客待合所があった。この港に「久高島(くだかじま)」への定期航路があることを知る。

建物内にある乗船券売場の男性係員としばらく立ち話をして、久高島やサンサンビーチの情報を得た。久高島はかなり自然が残された島らしく魅力的な情報ばかりであった。後日必ずこの場所に戻ることを約して船客待合所を後にした。

係員の説明通り「あざまサンサンビーチ」は堤防を越えた南側に横たわっていた。空の青と海のやや緑がかった青が水平線でせめぎ合っている。今日も暑くなりそうだ。


あざまサンサンビーチ

460mもある白い浜辺には外海から渚を守るように丸みのある堤防でふたつの入り江が形成され、遊泳用とマリンスポーツ用とに使い分けている。水際を南へ歩いたが、かなり透明度のあるビーチだったが、ここ以上の透明度があるという久高島に一層の興味が湧く。

人工ビーチとして造成され2000年4月にオープンしたこの 「あざまサンサンビーチ」 は、日陰をつくる東屋ビーチハウスが連なり、設備は充実していた。結局このビーチの南端まで歩いたがかなり広い浜辺で、一日中遊んでも不自由のないビーチと云える。

                                    知念海洋レジャーセンター

南端からそのまま国道に出ようとしたら、小さな建物の裏に出てしまった。正面に廻り込むとグラスボート(海底鑑賞ガラス底ボート)が係留してある。手作りのような看板とマリン全般の値段表を掲げた知念海洋レジャーセンターという建物であった。

ダイビングから無人島コマカ島への航行まで、マリンアクティビティー全般を網羅するサービスショップだ。”海ぶどう狩り”、”珊瑚礁と熱帯魚の生態観察” など面白そうなメニューまである。機会があれば無人島に渡るのも悪くない。

ショップ前の坂道を上り国道に出ると、国道沿いに魚が泳ぐ「知念海洋レジャーセンター」の入口案内ポールが立っていた。まさに逆行してきたことになる。

さてこれからどっちに行くかだが、この国道331号線を北に向かえばサンサンビーチ入口のバス停に戻ることになる。南に進めば「知念岬」や「斎場御嶽(せーふぁうたき)」に行ける。当然南に進むことにしたのだが、徒歩かバスかで迷ってしまった。

清水義範の短編「バスがこない」が頭に浮かぶ。バス停でひとつかふたつくらいの距離なので倒れない程度にちょぼちょぼと歩くことにした。


「安座真港」「あざまサンサンビーチ」のガイドページへ


知念海洋レジャーセンター

住所 南城市知念字久手堅676
電話 098−948−3355
営業時間
9:00〜17:30(4〜9月)
9:00〜17:00(10〜3月)
無休
交通
 BUS 那覇BTより50分−バス停 「知念海洋レジャーセンター前」 下車1分
 車 那覇空港より 45分(国道329号線を与那原方面へ−与那原警察署前で国道331号線へ−知念海洋レジャーセンター前を左折)

垣花樋川の見学後、地図をにらみながら次のコースをイーストコースト沿いに南下することに決める。この一帯の海岸線にビーチスポットが集中しているようだ。

地図で一番近い百名(ひゃくな)ビーチから南下しようと県道137号線のバス停 「垣花」 に戻ったが、あいにくバスの待ち合せが悪くまたまた歩くことにした。のんびり急がずダラダラと歩くうち20分ほど経ったろうか、「百名入口」のバス停にたどり着いた。

海岸に向かって歩いているのだがいっこうに着く気配がない。いやむしろ緑が濃くなり森の中へ入ってゆく感じである。引き返そうとした時、小さな案内板が目に留まった。聞きなれない言葉でひとこと 「ヤハラヅカサ」 とだけ書かれていた。


のちに 「ヤハラヅカサ」 が琉球創始神が降り立った場所のしるしとして浜辺に建てられた碑であることが判るのだが、この時点では何のことやら判らず、あたり一帯を散策することとなった。

そして古く自然のままの石階段を発見した。石段下には水の湧き出る音がかすかに聞こえてくる。1時間ほど前まで垣花樋川の湧水場でずっと聞きつづけていた音なので間違えようもない。水のせせらぎに誘われるように石階段を降りてゆくと、砂浜が現われその先には真っ青な海が広がっていた。

やはり石段の下には清水が湧き出ていたが、この周辺はビーチであると同時に霊域らしく地元住民の手で清潔に維持されている場所だった。期せずして神聖なるところからの百名ビーチ入りとなってしまった。


奥行きも幅もかなりの広さを感じさせるビーチに数組だけの遊泳客という、なんともぜいたくな光景が展開していた。ちょうど干潮時であったため砂地が広く見えたこともあるが、それを割り引いても広い浜であることは確かだ。自然のままのビーチといった風情のある浜辺で、リゾートビーチとは一線を画す。

干潮だったのでこれさいわいにと干潟のようになった砂地へ出てみた。あちこちにできた水だまりに小魚やカニの顔が見え、かたちの良い貝殻も目にとまる。童心に返りけっこう遊べる浜辺だ。

沖の浜辺にとがった石が屹立し、そこには 「ヤハラヅカサ」 と書かれていた。近くにいた先客が地元の人らしく琉球始祖の謂われを親切に説明してくれた。満潮時には海中に没し、参拝するには干潮時を待たねばならないとのこと。この岩が 「ヤハラヅカサ」 の碑塔(ガイドページ参照)だったのである。

Hyakuna-beach3_blog.jpg

海岸線を南へ南へと下りてゆくと浜をさえぎるような大きな岩にぶつかった。砂上に浮くように海際まで突き出している石灰岩を回り込むと、浜辺はさらに南へとどこまでもつづいている。この岩を境に新原(みーばる)ビーチになることは先ほど出会った人から仕入れたばかりの情報だった。

地形特徴は同じビーチなのにまるで空気感の違うふたつのビーチ。神聖霊域のためか人工的なものや遊泳関連施設など一切無い自然のままの百名ビーチに比べ、新原ビーチにはシャワー・更衣室などの遊泳用施設に加えグラスボート専用桟橋やマリンスポーツまでそろっている。

共通点は干潮時に露呈するたっぷりとした砂地の広さだった。歩いてリーフ近くまで行けるとの情報もやはりさきほどの親切な地元の人から。

この海岸には百名より入り新原ビーチから出ることになったのだが、ここを訪ねるには百名より新原ビーチ入口からアクセスする方が楽でわかり易いことを最後にお伝えしておく。

「百名ビーチ〜新原ビーチ」のガイドページへ

沖縄本島に来て、なぜか那覇市から北には1歩も出ることがなく3週間も経ってしまった。那覇市街や最南端の喜屋武岬などをうろうろしているうちに3週間である。

そろそろ北へと考えたが、北方面があまりに広すぎてどこから手をつけたらいいのか正直迷った。一度は最北端の辺戸岬(へどみさき)をと決めたのだが、バス便がいっさい無くレンタカーかタクシーを利用するしかなかった。いずれはレンタカーを利用するだろうが、今しばらくはのんびりとした ”ちょぼちょぼ旅” をつづけたいので最北端の旅は後回しにした。

まず手始めに選んだのは本島中北部にある恩納村(おんなそん)の海岸ラインを国道58号線沿いに歩くコースだ。恩納村の一番北東の端は名護市と接する。そのあたりから恩納村の海岸線を西南へ真栄田岬(まえだみさき)あたりまで歩くという、つまり恩納村の海岸線を横断するコースである。直線距離にして約17キロにおよぶ。


透明度抜群のブセナリゾートのビーチ

恩納村の海岸線には、美しいビーチリゾートが集まっているとの評判が高い。

しかし17キロもあるので何日にも分け、バスで乗り継いだり飛ばしたりしながらの ”ちょぼ旅” になりそうである。

今日はそのいいかげんな北旅行のスタート日なのである。

名護BT(バスターミナル)行きのバスに飛び乗り、1時間30分揺られて降り立ったのは”ブセナリゾート前”という停留所だった。

バスの運転手さんにせかされるまま、慌てて降りることになってしまった。


実はバスが空いたとき、前の方に座席を変えながら恩納村と名護市の境あたりで降りたい旨を伝えてあったからだ。


降りた停留所で地図をチェックするとたしかに名護市に入ってすぐの位置であることが確認できた。停留所の近くに石灰岩を積みあげて造られた「BUSENA RESORT」のネームプレートを発見したが、少しよそゆきの顔をしている。

ゲートにはセキュリティースタッフが居たが、軽く挨拶程度の会話のあと無事通過。リゾート地域内はよく整備された道やモールがあり、ほどよい高級感が漂っている。

広場の噴水を過ぎると浜辺に出た。透明度抜群の海面で光が踊っていた。太陽の照り返しが、水面からではなく透き通って見えている砂底から跳ね返っているかのようだ。

部瀬名岬(ぶせなみさき)の遊泳ビーチ

浜辺の右手に目を移すと岬の先端部まで見通すことができる。その先端部から沖合に向かって細い渡り廊下のような橋が架かり白い灯台のような塔へとつづいていた。なるほどビーチリゾートらしい景観を見せている。

小さな岬ながら先端までは300m以上の距離があるだろうか。歩き始めると折しも小型観覧バスが通りかかった。誰も乗っていないことを幸いに運転者に話しかけたら、無理に止めることになってしまった。

                           リゾート内を周遊するシャトルバス

岬の先端まで行くと云うので、乗せてもらうことにした。リゾート内を周遊している無料のシャトルバスだという。なるほど砂浜の内側にはバスが通れるほどの舗装道路がぐるりと敷設されていた。

この部瀬名岬は沖縄唯一の海中公園で、その岬がまるごとブセナリゾートとして開発されたらしい。

「ザ・ブセナテラス」という高級リゾートホテルを中心に、周りには美しい海中景観を楽しめるような施設やサービスが充実しているようだ。岬先端までのんびりと走るバスの中で教えてもらった情報である。

先端に着くと、そこには海側へ張り付くように「ランブルフィッシュ」という名のレストランが建っていた。

ホテルが経営するそのシーフードレストランだが味のほどは判らないが、絶景に囲まれて食事ができることだけは明らかだ。


そして先端にはもうひとつ施設があった。遠くから見えていた渡り廊下のような長い橋の先の白い塔である。それは灯台ではなく、海中公園の景観を鑑賞できる海中展望塔だった。

海底に展望室を備えるその白い展望塔に入るべく、沖合に向かって真っすぐに伸びた海の渡り廊下を歩き始めたのだが、途中で何度も立ち止まってしまった。

足元に見える橋脚を洗う透明なさざ波や小魚の群れ。太陽と水が混ざり合う瞬間の輝き。石を組み上げた堤防でベビーカーを押す女性のシルエット、眼前に生成される何枚もの絵に陶然となってしまった。

云わば両側に絵の架けられた美術館の回廊のようなものを想像されたい。しかもこの海の渡り廊下は170mもつづく。立ち止まらない方が不自然なのである。

「ブセナリゾート(海中公園)」のガイドページへ

浜辺から沖合へ170mほど突き出た細い橋に、海中公園の白い展望塔がある。展望と云っても海上の景色を観るのではない。塔の建つ底部まで降りて海中景観を展望するのである。

灯台のような塔の入口で利用料を払い、塔内のらせん階段を降りる。4m近く階段を下ると丸窓のある狭い空間の底部に着いた。

この日の窓外はやや濁りはあるものの海底を泳ぐ魚や生物を観察するのに支障はない透明度だった。この海中景観の透明度は季節や天気で大きく変化するという。

潜水艦のような丸い窓からの景観  泳いでいるのはタマン(ハマフエフキ)という名の魚

塔をあとにしてビーチに戻り、しばらく海岸ラインを散策する。海岸沿いに記念碑がひとつあった。「1981年第8回ウィンドサーフィン世界選手権沖縄大会開催記念」とある。そういえばこのブセナリゾートにもうひとつ国際的な催しがあったと説明板にあったのを思い出した。


ホテルに隣接する「万国津梁館(ばんこくしんりょうかん)」と名付けられたコンベンションセンターは、2000年九州・沖縄サミット首脳会合の議場となったところである。

各国の首脳が滞在したリゾートホテル「ザ・ブセナテラス」にもあとで立ち寄ってみよう。

遊泳ビーチと海中展望塔の間に桟橋があり、グラスボートが発着している。やはりこれも海中景観を楽しむ方法のひとつとして設営されたものだろう。

最初は乗る気が無かったのだが、桟橋に出てブラブラしていたら潮の香りと風が心地よくふらふらと乗船切符を買ってしまった。

船を慕うようについてくる魚群がガラス底から観察できるが長く見るほどのものでもない...が、シンプルに東シナ海を疾走するクルージングは爽快このうえない。沖縄海岸国定公園でもあるこの周辺の海域は美しく、部瀬名岬の全景をたなごころにできる。

疾走する船の中空に舞い散る水しぶき(左) 桟橋に着くグラス底ボート(右上) ガラス底に見える魚群

クルージングですっかり童心に戻ってしまったようで、ボートを降りたあとも浜辺の水遊びに興じてカニや小魚を追いかけまくってしまった。そして木陰で寝そべって持参した文庫を読みながらひと休み。

顔の上を滑る風が少しづつ汗を持ち去ってくれる。気がつくと10分ほど眠っていたようで目を開くと....白い大きな雲。

「ブセナリゾート(海中公園)」のガイドページへ

ブセナリゾートをあとにして国道58号を海岸沿いに行く。今日は午前中も早くからスタートしたのだが、ブセナリゾートでゆっくりしすぎてすっかり陽が高くなっていた。

沖縄本島でリゾートビーチがもっとも多いという恩納村(おんなそん)のコーストラインを北から南下する予定だが、今日はどこまで歩けるか...

部瀬名の海岸を離れるにしたがい浜辺には小岩が目立ってきた。リゾートのビーチは整備する過程で珊瑚などの白砂を敷いたりして本来の海岸線は隠れてしまうので、この景観が本来のものかもしれない。

1キロほど歩くと右側に「かりゆしビーチ」の案内が見えてきた。

遊泳ビーチとして一般に開放されている施設だが、58号線より山側に建てられたホテル「沖縄かりゆしビーチリゾート・オーシャンスパ」「オキナワ マリオット リゾート&スパ」のゲスト用ビーチとしての機能も兼ねた遊泳ビーチ。

宿泊客は無料だがビジターは遊泳有料になっていた。遊泳施設やビーチ景観など、総じて標準装備のリゾートビーチといった印象であった。

ここでは長居せず、すぐに南下の旅をつづけることにした。しばらく歩くとギリシャ建築のような威風堂々とした建物が右手の海岸側にあらわれた。近づくと幸福の科学、沖縄正心館ということであった。なぜか宗教団体の建物は立派なものが多い。宗教団体の館のせいか、確実にまわりの景観 から浮いてしまっている。

場違いなほど豪勢な建物

その建物の背面がすぐ浜辺のようだったので、回り込み海岸に出てみた。

砂地に降りると沖縄では「ハマカンダー」と呼ばれる花が咲いていた。一般には「グンバイヒルガオ」の名で知られ、見るからに涼しげな青紫の花をつける。

花を一見すると、か弱い印象だが、タネは黒潮に乗り分布を広げるという種の保全のためには波乗りも辞さぬたくましいワンダーフラワーである。


浜沿いにしばらく南下すると小さな河口に突き当たってしまった。

泳いで渡るほど深くはないが裾まくりで渡れるほど浅くもない。なんとも半端な河口だが、小生物の観察や水遊びには手頃なポイントであった。また道草である。

ここで観察記をリポートすると BLOG の2回分くらいになるので割愛するが、これだけは云える。沖縄に生息する生物の豊富さは東京で見られるものの比ではないということ。

Onnason-coast4_blog.jpg

河口をうかいするため一度国道58号線に戻りしばらく南下したが、陽射しがいよいよ強くなっていた。強烈な舗装道路の照り返しがサングラスをしていてもまぶたに微熱を感じるほどだ。頭からは湯気が上がっているに違いない。

水遊びのときは苦にもならなかった太陽が、単調な道歩きになると途端に苦の対象である。ほんとうに人間とは困ったものである。

地図を見ると、このあたりはすでに伊武部(いんぶ)の海岸に属しているようだ。国道と海岸の間にずっと林がつづいているので、ふたたび海岸へ出るためと直射日光を避けるために林に入った。

陽光の中から樹木の下に踏み込むと、皆既日食のようにまわりが真っ暗に。サングラスをとってもその暗がりに眼がなれず足元ばかりをを見て歩いていたら、突然 龍が目の前に現れた。

打ち捨てられたように置かれたグラス底ボートだった。しかしよく見るとまだ現役の船のようで、船腹には「第三金竜」とあり、フィギュアヘッド(船首飾り)の竜が前方を見据えている。おそらく船揚げ場としてこの林を利用しているのだろう。

このグラスボートの活躍拠点は 「いんぶビーチ」 に違いない。 「かりゆしビーチ」の次のビーチへと少しだけ急ごう!


かりゆしビーチ

住所 名護市喜瀬1996
電話 0980-52-4093
    (リーフリゾートかりゆし)
施設利用料 大人500円 小人300円 宿泊者無料
施設 駐車場 1000円
 シャワー/更衣室/トイレ/売店
レンタル パラソル/サンデッキチェア/ビーチマット/ボディボード
備考 キャンプ・BBQは禁止。個人のシュノーケリングは禁止だがその他のマリンレジャーは許可されており、スクールも有
交通
 車 那覇空港より 80分(国道58号線を北上−伊武部(いんぶ)まで)
 BUS 那覇BT 100分(名護西線20番)−バス停 「伊武部(いんぶ)」 下車3分

相も変わらず国道58号線をひたすら南へ向かって歩いている。思いのほか「いんぶビーチ」で時間をとられてしまった。ビーチの端から端まで歩いてしまったのだ。

かなり広いビーチだが距離は500mほどのものであった。浜辺に沿って歩くと小さな半島のように海側へせり出しているため58号線からどんどん遠ざかってしまう。国道58号の幹線道路に戻るために時間がかかってしまったのだ。

いんぶビーチ

「いんぶビーチ」は綺麗な海に変わりは無かったが、リゾートビーチと云うより”キャンプ”や”ビーチパーティ”向けの浜辺で”ウチナンチュ”に人気のビーチスポットのようだ。

”ウチナンチュ”とは沖縄方言なのだが定義すると難しくなるので、ここでは簡単に沖縄生まれの沖縄在住者と理解していただきたい。

浜辺のそばには防風林のように木麻黄(もくまおう)がびっしりと繁ってちょうどよい木陰をつくっており、バーべキューやパーティにはお誂えむきの浜辺空間だった。

当然旅行者も訪れるらしく、58号線から車で入れる入口の周りがまるで観光地のように派手で土産ショップまである始末。ちなみに施設利用は駐車場込みで大人500円と有料。

「いんぶ(伊武部)ビーチ」とあるが、住所は名嘉真(なかま)となっている。

この日最後に訪問したところで聞けた情報によると、「いんぶ」はもともと「印部」と書き、地区の境界線に置いた標のことらしく、標のあった場所すなわち名護と恩納村の境あたりを指す場所名を「伊武部」と表音転化し残ったという。名護と恩納村の境というと、先ほど通ってきたお隣の「かりゆしビーチ」あたりである。

そして、その名嘉真地区をまだ脱出できず、58号線を犬かきをするように歩きつづけている。海岸線から離れて内陸へと切れ込んだ国道ばかりを歩くと、変化が無いせいか飽きてしまう。ちょうどそんな時、国道がふたたび海岸に寄り添うように近づいた。

さっそく浜辺に降りたかったのだが、浜辺へ降りる階段や道が見当たらない。しばらく海を眺めながら浜から吹き上げる風に押されるように歩く。

ありました! 浜辺行き下り階段。ふだん降りる人がいないせいか、なかば雑草に蔽われてしまったコンクリートの階段だった。

降りたった名嘉真の海岸は、白砂の中の個性的な岩礁がよい添景になっていたり、海に注ぐ河口部があったりと変化に富んだ表情を見せる浜辺である。

河口部にはいくつもの橋が架かっているが、水量が少なく橋の下をくぐると川上へと探訪できる。浜辺の岩礁まわりも観察すると面白く、海の色までトルコ石のように緑に染め上げられ輝いていた。

ここの海岸はへたな遊泳ビーチより何倍も味わいがあり、個人的には気に入ったビーチポイントのひとつになった。

ふたたび58号線に戻ってしばらく歩くと、安富祖(あふそ)という地区に入った。安富祖の海岸線には「ミッションビーチ」、「熱田(あった)ビーチ」、「みゆきビーチ」と3つの遊泳ビーチがある。

「ミッションビーチ」は国道沿いにある無愛想な鉄製ゲートから入るようになっているが、浜辺まで出るとまるでアメリカン仕様と云わんばかりの洒落たビーチだった。整備の行き届いた芝生が広がりその先は白砂のビーチが海までつづいている。

200mほどのこぢんまりしたビーチだが、パラソルのあるサンデッキテラスや駐車場まで芝生を敷き詰めるなど他の遊泳ビーチにはない雰囲気で、いたって居心地の良いマリンアクティビティ・スポットだった。

「熱田ビーチ」は飾り気のない自然のままのビーチ。施設も規制も何もない、素朴な浜辺が横たわるばかり。

「みゆきビーチ」はホテルみゆきビーチのプライベートビーチである。このあたりの58号線は海面より見上げるような高度を通っており、国道沿いに建つホテルからそのビーチを見下ろす地形になる。宿泊者以外は施設利用料500円で利用可能。大家族向きの標準装備ビーチといったところか。

ミッションビーチ(左) 熱田ビーチ(中央) みゆきビーチ(右)

みゆきビーチを離れると、国道はまたもや内側へと食い込み海岸線から遠くなっていった。ふたたび暑さを我慢する単調な道行と思っていたら、肌の表面をちりちりと焦がすように強かった陽射しがかなり衰えていた。顔にあたる風にも穏やかさがもどり日没を予感させる。

30分近く歩いているが次の地区になる瀬良垣(せらがき)にたどり着かない。安富祖地区に入ってからほとんど休まず歩きつめているので、さすがにアゴを出す状態になってきた。


そんな時、視界に入ったのが歩道にデンと置かれた石造りのシーサー。対になったシーサーを見てると喝を入れられているようで、バテ気味な身体に少しだけ元気が出てきた。

やっと瀬良垣地区に入り、海岸に再会できた。陽の傾きも確実に感じられ、そろそろ今日も旅仕舞いの時刻が近づいている。

瀬良垣の国道をしばらく行くと、朱色に塗られた楼門が前方に見えてきた。守礼門とそっくりの門にしているのは「御菓子御殿」という観光客向けの沖縄銘菓店だった。

水分補給と休憩にと入店し、喫茶パーラーへ直行した。結局かき氷で水分補給をする。

かき氷をつくってくれた”オバー”がとてもいい人で、2杯目をオーダーすると大盛りにしてくれた。それをしおにヨタ話(筆者は世間話のつもり)に花が咲き、奥行きのある多くの情報を得ることができた。

そのひとつに、この「御菓子御殿」の裏の浜が「ダイヤモンドビーチ」だと教えてもらった。危うく通り過ぎるところだった。さっそく外へ出て浜辺へのアプローチを探すと、駐車場の脇に浜辺に降りる階段を発見。個性的岩礁を添景にした名嘉真の海岸に似たビーチだった。

御菓子御殿の入口楼門(左) ダイヤモンドビーチ(右)

ここからさらに南に下れば「ブセナリゾート」に並ぶ「万座ビーチ」そして名勝「万座毛」があるが、着く頃には日没を迎えるに違いない。恩納村の旅のつづきは後日再開するとして、今日はこのダイヤモンドビーチで夕暮れを迎えることにした。さて、アダンの木陰でも探そうか。


いんぶビーチ

住所 国頭郡恩納村名嘉真2173
電話 098-967-8222
施設利用料 大人500円 キャンプ700円 (駐車料含む)
施設 シャワー/更衣室/トイレ/売店 駐車場 (300台)/宿泊用トレーラーハウス有
レンタル パラソル/ビーチマット
備考 キャンプ・ビーチパーティ・BBQはOK。マリンスポーツは禁止
交通
 車 那覇空港より 95分(国道58号線を北上−いんぶビーチまで)

 BUS 那覇BT 115分(名護西線20番)−バス停 「伊武部(いんぶ)ビーチ前」 下車1分


ミッションビーチ

住所 国頭郡恩納村安富祖2005-1
電話 098-967-8802
施設利用料 大人300円
施設 シャワー/更衣室/トイレ/売店 駐車場 300円(100台)
備考 個人のシュノーケリングは禁止。シュノーケリングツアー・ダイビングツアー有
交通
 車 那覇空港より 90分(国道58号線を北上−バス停「熱田」を過ぎてすぐ左側)

 BUS 那覇BT 110分(名護西線20番)−バス停 「黙想の家入口」 下車5分


熱田ビーチ

住所 国頭郡恩納村安富祖1848
電話 098-967-8859
施設

シャワー/トイレ 駐車場 700円(18台)

交通
 車 那覇空港より 90分(国道58号線を北上−熱田まで)

 BUS 那覇BT 105分(名護西線20番)−バス停 「熱田」 下車スグ


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みゆきビーチ

住所 国頭郡恩納村安富祖1583-2
電話 098-967-8031
施設利用料 大人500円 宿泊客無料
施設 シャワー/更衣室/ロッカー/トイレ/売店 駐車場 無料(70台
レンタル パラソル/デッキチェア/ビーチマット
備考 シュノーケリングは可。マリンレジャー多種。ホテルみゆきビーチのプライベートビーチ
交通
 車 那覇空港より 85分(国道58号線を北上−バス停「安富祖」を過ぎてすぐ左側)

 BUS 那覇BT 100分(名護西線20番)−バス停 「ホテルみゆきビーチ前」 下車スグ


ダイヤモンドビーチ

住所 国頭郡恩納村瀬良垣100
電話 098-966-1200 (恩納村役場)
備考 「御菓子御殿」の裏に位置したビーチ。館内での買い物もしくは飲食の際、駐車・トイレなど利用可。遊泳は可だがその種の施設がないので自己責任で。
交通
 車 那覇空港より 80分(国道58号線を北上−瀬良垣まで)
 BUS 那覇BT 95分(名護西線20番)−バス停 「瀬良垣」 下車3分

ビーチリゾートが多く集まる恩納村の海岸線。その海岸線のブセナリゾートから瀬良垣までを歩いたのはつい先日のことだった。今日はそのつづきを始めようというのである。

地図とにらめっこしながら本日の第一歩を万座ビーチに決め、一路バスに乗り万座の海を目指した。海沿いに走る国道58号線もこれで2度目になるが、景色をゆっくり眺められるバスの旅も悪くない。

バス停「万座ビーチ前」からすぐにビーチ入口にアクセスできた。入口はビーチというよりホテルの駐車場へのゲートのようである。

万座ビーチとホテル「万座ビーチリゾート」の全景

ゲートをぬけると左の西側が浜辺になった小さな岬であることが見て取れる。

その岬の先端部に建つ白色の大きな建物が「万座ビーチホテル&リゾート(2009年4月にANAインターコンチネンタル 万座ビーチリゾートとしてリニューアル)」で、立地環境が「ブセナリゾート」に酷似している。ゲートから入るとかなりの敷地の駐車場が前面に広がっていた。

駐車場をうかいしながらホテルの敷地内にはいるといきなりチャペルが現れた。チャペルを眺めながら回り込むと、今度はパターゴルフのハーフコースが出現した。このホテルはウエディングからゴルフまで何でもこなすらしい。

ゴルフコースをたどりながら歩いて行くと、左手にビーチと桟橋が見えてきたので一気に浜辺へ急いだ。浜へ出るとビーチラインは桟橋を挟み、まるで景観の違う浜辺が両側に展開していた。ホテル方面は整備されたのか白砂のビーチが250mも連なり、反対側は原風景なのか小岩がごろごろしたやや殺風景な海岸線に見える。

               桟橋からホテルとは逆の恩納村海浜公園に向かう海岸線

眼前の海は青色の濃淡をつけながら対岸に見える石灰岩の岸壁を越えてどこまでもつづいている。

海面から隆起したような岸壁が、これから訪れようとしている「万座毛」に違いない。

海上から20mはあると思われる岩礁で、長い歳月の侵食で個性的な形状に彫り上げられていた。

桟橋そばのビーチハウスで面白いものを発見した。マリンアクティビティーの案内や申込のサービス設備なのだが、その中に”スクーバBOB”という水中バイクがあった。まるで007の映画に登場しそうな乗り物ではないか。眺めているうち本気で試してみたくなったのだ。

ちょぼ旅を決め込み水着ひとつさえ持参しない気軽な旅装ながら、場合によってはビーチショップで買い求めるくらいの根性で係員を質問ぜめにしたのだが、結論から言うといくつかのハードルがあり断念。

別れ際に係員が言ったものだ、「この水中バイクは沖縄でもここしかないんです!」 心の中で思わずつぶやいていた、「So what ?」

Manza-beach3_blog.jpg

万座ビーチ(左) ホテルのビーチサイドプール(右)

遊泳ビーチを経由してホテルに着いた。大した距離ではないが、ホテルの建物から遊泳ビーチまでが少し離れていた。そのためかプールをふたつ設置していた。遊泳ビーチそばの”ビーチサイドプール”とホテル1階にある”ガーデンプール”だ。

ホテル内部は吹き抜けになっており、9層の客室フロアがコロシアムのように取り囲み、内部全景が眺望できるガラス張りエレベーターが2基、忙しく上下動している。

造りもサービス設備も家族向けの傾向が強く、実際に客層も子供同伴の家族連れが多く見受けられた。従業員も充分なホスピタリティをもって応対しており、お子様連れの家族も安心のホテルといえる。

しかし落ち着いた雰囲気のなかにも贅沢な高級感があり、静かで極上の休息時間を楽しみたい向きには、ブセナテラスの方をお薦めしたい。この万座ビーチリゾートにはチャペルからパターゴルフ、紅型教室まで揃い、メニューが多すぎるように感じた。

本当の休息に適したホテルは設備やサービスを出来うるかぎり絞り込みシンプルにしてメリハリをつけている。その方がかえって贅沢な時間を過ごせるようである。


「万座ビーチリゾート」のガイドページへ

万座毛を出発し58号線に出る道を下りてゆくと、来る時に見逃してしまった細い横道の先に石碑を発見した。

細い横道はその碑のある場所へゆくだけの専用小路だった。

小さな広場は掃き清められたように整然としており、清楚な空気が流れている。

石碑は戦没者の慰霊碑であった。広場の端には戦没者の芳名石版が建てられ、正面の石段を昇ったところに慰霊碑がある。

慰霊碑の前には真新しい花束が幾束か手向けられていた。

永い歳月、鎮魂を願う真摯な姿が誠実につづけられてきたに違いない。

慰霊碑へのアプローチは制限されていないが、軽々に接触してはならない凛とした空気感があったので、遠くから合掌し慰霊碑をあとにした。

ふたたび国道58号線にもどり、恩納村(おんなそん)の海岸線を歩くため南下を再開したのだが、この後なんと2時間もの距離を歩きつづけることになろうとは想像すらしていなかった。万座毛から約5キロ南西にある谷茶(たんちゃ)まで海岸にはまったく近づけなかったのだ。

この5キロの道程で、58号線はところどころ海岸線に出るのだが浜辺への階段や道がなく、横目に眺めながら歩くしかなかった。

端(はな)から判っていればバスを利用したのだが、のんびり旅の良否は歩き通して初めて判ることなので、これも旅のうちとしよう。

すっかり雑草に蔽われた階段から谷茶の浜辺へ

谷茶地区に着いた頃は完全にアゴを出し、倒れる寸前のゾンビのような歩きになっていた。

休もうと思えばもちろんどこでもできるが、何もない国道沿いの路肩でしゃがんで休む光景を想像されたい。

たぐいまれな美しい海岸を星の数ほどもつ沖縄にまで来て、そんな半端な休み方があるだろうか。

意地でも海岸に出るまで休まないのだ。

谷茶地区に入るとふたたび58号線が海岸に近づいてきたので、浜辺へ降りる道か階段を見逃してしまわないようにゆっくりと歩いた。

と云うよりはこの場合、速く歩ける元気がすでに失せていたと表現した方が正しい。

やっと見つけた階段はほとんど雑草に蔽われ危うく見逃すところであった。

こんな場所から浜辺に降りようという人間がいないのか、階段は荒れ放題にまかせ途中から通行不可の状態。

 

強行突破し無事浜辺に到着すると、そこはのびのびとした雑草の生えるあちこちに岩場が顔を出す素顔のままの海だった。

小さな岩をベンチがわりにしてやっと少憩を取ることができた。

水面を渡ってくる風が足元から届き、身体に何重にも張り付いてしまった汗を溶かしてゆく。

小休止のあと、浜辺づたいに南へ下ってゆくと、しだいに余所行きの顔をしたビーチに変わってきた。

白い砂が7、800mも長大に広がる谷茶ベイビーチのエリアに入る。

ビーチ沿いには大きな教会を備えた 「リザンシーパークホテル谷茶ベイ」が建っていた。


さっそくホテル内を廻ってみたが、最大の特徴はオキナワ・ウェディングに重点をおいた設備が充実しているところだろうか。教会やチャペルに加え、披露宴用の設備が屋内外に完備されていた。

ホテル全般の印象は標準のひとこと。ビーチサイドのリゾートホテルとしては癖が無く、あまりにアベレージで可もなく不可もない。

早々に次の地を目指して出発した。

ビーチに面した大きな教会(左) ホテル前ビーチ(右上) ホテル正面(右下)


谷茶ビーチ

住所 国頭郡恩納村谷茶

電話 098-966-1202
   恩納村商経済観光課

施設 なし

交通
 車 那覇空港より 70分(国道58号線を北上−富着まで)

 BUS 那覇BT 80分(名護西線20番)−バス停 「谷茶」 下車5分


国道の右側に富着ビーチが見えてきた。飾り気のない素朴な海岸が300mくらいだろうか つづいている。波音に誘われるように浜辺に出て穏やかな波が寄せては引いてゆく波打ち際を歩いてゆくと、ところどころにもずくのような海藻が打ち寄せられていた。

この海岸の海も透明度が高く水質の良い村営ビーチとの評判である。施設はトイレと小さな駐車場だけの浜辺だが、遠浅の美しい海だ。きっと絶品のサンセットが演出されるに違いない。

素朴な表情をした富着ビーチ

国道58号線の富着ビーチの反対側、つまり山側沿いには「フチャクリゾート沖縄」と大書された大型リゾートホテルのような建物が建設中であった。

ちなみにこのブログをつづっている現在、この施設が完成したようだ。

正式名も「カフー リゾート フチャク コンド・ホテルズ」と改名していた。

この施設は通常のホテルではなく、別荘コンドミニアムとして売り出され、オーナーが使用しない期間のルームを委託されホテルとして活用するスタイルである。

この10月には東京でも読売新聞紙に全15段広告を展開し募集をしていた。

富着ビーチへの訪問者にとって、使い勝手の良い施設になってくれることを願うばかりである。


                      タイガービーチへの入口道路は封鎖中

さて、旅をつづけよう。

富着ビーチをあとにして次のタイガービーチを目指し、ほどなく到着したのだが残念ながらタイガービーチは休止中。

浜辺へのアクセスも関係者以外は禁止されていたので断念する。

58号線もこのあたりから、ビーチ近くの海岸通りにありがちな賑やかさが見られるようになってきた。

地図をチェックすると、400mほどで次のムーンビーチだ。

賑やかになってきた国道沿いの店をキョロキョロ覗きながら歩いていると、高い位置に掲げられた ”ムーンビーチ入口” の案内を見つける。さっそくその道にもぐり込んだ。

細いその道のつきあたりには青くHOTEL Moon Beeachと書かれた白い建物が物静かにたたずんでいた。そして「ムーンビーチ」はホテルの向こう側で待っていてくれた。

ホテルを通り抜けテラスからビーチを見下ろすと、浜辺にはビーチパラソルが7重(7列の意)になって咲いており、白い砂浜は名前の通り半月の形を海に向けていた。その半月状になった砂浜の両脇が岩場や樹木で閉じられており、まさにプライベートビーチと云える。

プライベートビーチだが施設利用料を払えばビジターも利用可能になっている。そのビーチに出て海岸を少しだけ散策した。透明感のある海も清楚で、傾き始めた陽を返す波間も表面ではなく海中から照り返しているように美しい。

ビーチにあったマリンクラブの案内に、このホテルが所有している無人島の「ナップ島」ツアーがあった。40分で行ける無人島ではをさまざまな楽しみ方ができる。いずれ機会があれば是非参加したいツアーだ。

またまた58号線まで戻り、本日の最終地点に決めている仲泊(なかどまり)へ向かって歩いていると、道がふたつに分かれた場所にさしかかった。ひとつは仲泊の町と海岸線に近い県道6号線、もうひとつは今まで歩いて来た国道58号線。

ここはあえて国道58号線を選んで進むことにした。なぜなら58号線がそこからかなりの高所を大橋のように横切り、仲泊の町と海を見下ろす絶景を創りだしていたからだ。

海へせり出した58号線にはヤシ並木が(左) 58号線から臨む仲泊の町並み(右)

展望台と見紛うばかりの眺望をもつ58号線が1500mもつづく。景色を愉しむために立ち止まる必要がないほど長い道のりなので歩きつづけるだけで堪能できる。

かなり傾いた陽が最後の輝きで海面に光の川を描き、静かな仲泊の町並みの影が一幅の絵のように浮かんでいた。

仲泊の町が終わるあたりから58号線は大きく海上へせり出すように曲がる。そしてヤシ並木となり南国らしい景観に変わる。

国道58号線沿いに行く恩納村リゾートビーチの旅もそろそろ終わりにしよう。ブセナリゾートから瀬良垣まで11キロ、万座ビーチから仲泊まで11キロ、2回に分けての全行程22キロの海岸歩きで、久しぶりに海とのよりが戻ったように感じられる旅になった。


富着ビーチ

住所 国頭郡恩納村字富着

電話 098-966-1280
   恩納村商工観光課

施設 トイレ/駐車場 5台(無料)

交通
 車 那覇空港より 65分(国道58号線を北上−富着まで)

 BUS 那覇BT 75分(名護西線20番)−バス停 「富着」 下車5分


ムーンビーチ

住所 国頭郡恩納村字前兼久1203

電話 098-965-1020
   ホテル ムーンビーチ

施設 施設完備(ホテル運営)宿泊者無料/ビジター有料(500円)

交通
 車 那覇空港より 60分(国道58号線を北上−ムーンビーチ前の信号を左折−ホテルムーンビーチまで)

 BUS 那覇BT 70分(名護西線20番)−バス停 「ムーンビーチ前」下車7分

ようやく残波ビーチのそばにあるという「残波ロイヤルホテル」に着いた。

右に隣接するゴルフクラブとホテルの間に立つ風力発電の風車が眠たくなるようにおっとりと回っていた。

1時間以上歩いてきたのでどこかでひと休みをとホテルに飛び込んだのだが、その場所を見つけられずプールサイドに出てしまった。

結局、誰もいないプールサイドも通り抜け、そのままビーチへ向かうことにする。

道一本隔てただけの反対側にある残波ビーチにはすぐに到着。


                   ゆったりとした残波ロイヤルホテルのプール

驚くほど珊瑚の白い砂が綺麗なビーチだった。そしてまた驚くほど混んでもいた。

おそらくホテルの宿泊者とビジターがこのビーチに集中したからだろう。

思わずビジターに向かってホテルの静かなプールを宣伝したい衝動に駆られる。

波のリズムに合わせて揺れる海が抜けるように澄んでいて、カメラで切り取りたかったが撮れなかった。


どのアングルにも人が近くに入ってしまうほど混んでいたからだ。恩納村のリゾートビーチを観て歩いた経験のなかでも一番の混み方をしているビーチだった。この残波ビーチでも小休止を取れず、やむなく岬に向かう。世の中、思うようになることは少ないのである。

駐車場を通り抜け残波岬公園に入るといきなり7メートルを超えそうな赤獅子のオブジェに迎えられた。周りを見回すとレストランや「岬の駅」と称するショップなどが並んでいた。なぜかこの場所で休みたいと思わず自販機で水を求め、岬へと急いだ。

やたらと大きな広場を突っ切り、岬先端にある灯台を目指した。

真っ青な空に向かって土筆(つくし)のように伸びた白い灯台が、眼に焼き付くほど鮮やかな情景を創っていた。

凹凸の激しい石灰岩の上を恐る恐る探りながら、岬の崖ぎりぎりにやっと小休止の場所を確保した。

20 m はありそうな絶壁のへりで素晴らしく贅沢な小休止をとることができた。

崖の下を見下ろすと、先ほどまでいた残波ビーチの緑がかった色とは一変し、濃紺の海が広がっていた。

絶壁からみはるかす東シナ海に身を置いていると、身体までどっぷりと空や海の青色に染まってゆくような感覚になる。

小休止の間、ずっと眺めているうちに灯台に昇りたくなってしまった。灯台まで行くのに遊歩道を使わず、崖沿いを行くことにした。足元はひどく悪いのだが、なんとなくそうしたくなったのだ。

崖沿いに移動したので、岸壁に張り付きながら大ぶりの竿を一心不乱にキャスティングする釣り人を発見した。

崖上から一段降りたあたりに陣取り、物静かに竿先を見つめている。

近くまで降りたのだが、後ろから声をかけるのがはばかられるほど無心に集中している。

邪魔にならない程度の距離をとり、背後に陣取り釣り見物と決め込んだ。

最後に磯釣りをしたのはいつ頃だったか記憶をゆっくりとたぐってみた。

伊豆半島の南端に妻良(めら)という有名な釣り場があるが、その奥に隠れるように子浦という小さな漁村がある。

数軒の民宿しかない自然が多く残された釣りの穴場だ。子浦での釣りがしだいに思い出されてきた。その結果、20年近く釣り竿に触れていないことが判明した。

獲物が揚がったら声をかけようと思っていたが、今日は不漁のようなのでそっと引き上げることにした。釣り見学のため崖を少し下ってしまったが、今度は崖よりもっと高いところへ上がってみよう。

灯台1階で参観寄付金なる200円を払うと誰でも見学できるようになっていた。早速内部に入ったのはよいが、階段を上がれども上がれども展望台に着かない。

らせん階段の円周が小さいのでグルグル回りながら昇るため、相当昇ったようでも高度距離を稼げていないのだ。階段途中に「まだまだ」、「やっと半分」とか「もう少し頑張ろう」といったニュアンスの貼り紙がしてあった。大きなお世話なのだ。「まだ半分なの?」「え〜!まだ頑張らねばならないの」...よけいに疲れるのである。

しかし外周展望デッキに着くと苦労が報われる眺望が展開する。(眺望写真はガイドページ参照)

昇り階段で噴き出した汗を一気に洗ってくれるような風にも出会え、最高に心地よいひとときがやってくる。ホテルから残波ビーチや崖っぷちなど自分の足跡を箱庭になったような景色から見て取れる。

このあと訪ねる予定にしている座喜味城跡(ざきみじょうあと)は見えるだろうか。でも今しばらくは眼前に広がる青の世界に浸っていよう。


「残波岬公園〜残波ビーチ」のガイドページへ

沖縄滞在中にある案内告知が目にとまった。サルバドール・ダリの彫刻作品が33年ぶりに沖縄へ戻るという。1975年に開催された沖縄国際海洋博のためにダリが制作した作品で、スペインから期間限定の里帰りになるらしい。

展示されている場所は北部の本部半島(もとぶはんとう)西海岸にある海洋博公園ということだった。どうしても一目見たくて、中北部探索の旅を一時ストップし急遽北部へ向かうことにした。

那覇から北部までのバス旅行はさすがに距離があり、まずは名護BTまで行き、そこで乗り換えて海洋博公園を目指す。片道3時間という南北縦断の気のなが〜い道のりである。

すっかり午前中の日課になってしまったバルコニーでの日光浴や読書を断念し、早起きし一路「名護」へと出発。今まで何日もかけて歩いた恩納村の海岸線を窓外に眺めながら約2時間、名護のバスターミナルに着いた。

山入端(左)と崎本部(右)の美しい海岸線

一服する間もなく、出発しかけていた本部半島線のバスにあたふたと乗り換えた。バスは国道58号線から国道449号線に進路を変え、本部半島の海岸線を西へと走る。途中に通り過ぎた「山入端(やまのは)」や「崎本部(さきもとぶ)」などはあまり知られていないが、恩納村の海岸線と比べても甲乙つけがたいほど美しかった。

乗り合わせた乗客が皆降りてしまい、車内が筆者ひとりになった。これ幸いに後部座席をルンバ(円盤型の自動掃除機)のごとく渡り歩き、写真を撮りまくっていると運転士から声をかけられた。

てっきり危ないから車内では動き回らないようにとの注意かと思っていたら、想像だにしていないことを質問されてしまった。 「海洋博公園の水族館へ行くんじゃないでしょうね?」と。

質問の真意がわからず、「いえ、そのつもりですが。何か問題でも?」と答えると、このバスはそこまで行かないという。乗った本部半島線という路線は正しかったのだが、ルートがふたつあると説明をしてくれた。

ひとつは本部半島西海岸沿いの外周を巡り海洋博公園経由で名護BTへ戻るルート。

もうひとつはずっと手前の内陸を循環し名護BTへ戻る今乗っているバスのルートである。

海洋博公園に一番近いバス停の浦崎で降りることになってしまった。よくよく歩くことに縁ができてしまったようだ。

しかし親切に声をかけてもらわなければバスターミナルへ戻っていた。


これこそコミュニケーションツールの原点 「人間言語」だと痛感。ツールなど無くても気持ちさえあれば会話は成立するのである。

東京の都バスなどでは味わうことのない経験で、少しだけ豊かになった気持ちを胸に海洋博公園を目指し歩きのスタートをした。バスを降りる際に聞いた話から40分ほどの歩きを覚悟していたのだが、15分ほどで南ゲートに到着してしまった。

おそらく彼の案内はバス停のある正面ゲートまでの距離だったのだろう。ダリを展示してある海洋文化館も正面ゲートに近いが、委細かまわず南ゲートから入園することにした。

公園内に入り最初に迎えてくれたのが熱帯・亜熱帯都市緑化植物園。都市建設や建設計画策定に大活躍していそうな堅いネーミングだが、園内はいたって柔らかで視界に優しい造園設計になっている。

                    動物型トピアリーのある ほのぼのとした装飾庭園

動物型に刈りこんだトピアリーや迷路のような生け垣は、まるでスタンリー・キューブリックの映画 「シャイニング」を想起させる。

が、そんなことを連想するのは一部のマニアックだけで、一般的にはファミリー向けの情景と云える。

この植物園の最大の特徴は台風や潮風などの害に耐性があり亜熱帯地域に最適な植物を、高木・低木・ヤシ・ツタ・芝などの地被類などに分け、見やすく判りやすく植栽展示していることだろう。

最初は樹木にあまり関心が無く、軽く見物がてら通り過ぎるつもりでいた。

しかし高木区域のアカギやガジュマル、ヤシ区域のアダンやココヤシと見学するうちにすっかり引き込まれてしまい、園内を歩き回ってしまった。

屋外の植栽展示のためか、敷地が広すぎて植物園の境界域がわかりにくい。あとで判明したのだが、この植物園の敷地は東京ドームをふたつ合わせた広さだった。

この広大な植物園を一通り見終わる頃には、見やすく判りやすいためか相当な知識が吸収できた気になる。ただ惜しむらくはせっかく仕入れた知識だが、一年も経たぬうちに記憶の彼方へと消えているに違いない。

1時間ほどで植物園をあとにしたのだが、強く印象に残っていたのは つる植物見本区にあったバーゴラの風景だった。バーゴラというのはブドウとか藤などのつる植物が生育できるように設置された棚のことである。

曲がりくねったプロムナード上に造られたバーゴラから下がる見慣れぬ植物のつる。逆光のもとで垂れ下がった”つる”が光る雨のように輝いていた。


「海洋博記念公園」のガイドページへ

美ら海水族館を出て海岸側へ下る長いエスカレーターに乗った。水平線にはうっすらと伊江島の島影が浮いていた。午後深くなっているが、いまだ陽射しは衰えず波立つ海面でキラキラと踊っている。

500mほど北にあるというエメラルドビーチへと歩いていると、海亀ばかりが泳ぐ水槽がいくつも並んでいた。”アオウミガメ”、”タイマイ”、”クロウミガメ”、”ヒメウミガメ”....海亀だけでこれほど種類があるのかと思うほど集められていた。

ゆらりゆらりと涼しげに泳ぐ姿を上から覗き込んでいたら、違う位置からも見学できることを発見した。

ここの施設も水槽底部の横に観察室が設けられており、そこからも観賞できるような設計であった。


産卵時以外陸上にはあがらない海亀。今ではどの種の海亀も世界の絶滅危惧種のリストに指定されているという。

江戸の昔より ”タイマイ” の甲羅を張り合わせ作られる見事な細工の玉かんざしなどが、吉原の一流花魁(おいらん)の髪を飾っていた。ますます べっ甲の装飾品が貴重になってゆくのだろう。

このウミガメ館からすぐのところに「亀の浜(カーミヌハマ)」という名の浜辺があった。遊泳禁止になっているが、浜の表情に変化がありとても綺麗なポイントである。

砂浜の両側が岩礁で閉じられ、岩場の上には多種の植物がたくましく繁っている。季節ごとに色づく花や実をつけそうな景色だ。本当に小さなプライベートビーチと云ってもよい場所だった。

          小さな入り江のような「亀の浜}

なおも北へ進むと今度は 「マナティー館」 なるものが建っていた。この海洋博記念公園がぜいたくなほどの敷地を余すことなく最大有効活用していることが実感される。

さてマナティー館だが一度は通り過ぎたものの、やはり気になり Uターンをした。過去一回だけ見たことがあるが、その時はどこから見ても人魚のモデルになった生物とは思えなかったのだ。

 マナティー館                    メキシコから贈られたアメリカマナティー

今回はじっくり観察したのだが、どんなに想像をたくましくしても人魚にはたどり着けなかった。草食ほ乳類のマナティーの性格はとても穏やかで平和志向、決して他の生物を襲わないとあった。にもかかわらず、このマナティーは海亀以上に種の絶滅が深刻で危惧されている。

我々も少しはマナティーを見習ったほうがよいのだが、瞬間学習はできても持続せず過ちを繰り返すのが人類。残念ながら、そのなおしようのない悪しき本能は歴史が証明している。

今も自然保護で集まった世界会議で展開するのは国益主張の論争ばかり。集まった目的の第一主題は横に置かれたままの議場風景が報道されたりしている。もっとも滑稽な生物は人類だ。


マナティー館から200mほど北に歩くとしだいに緑が多くなり、小さな森のような茂みの隙間から白い砂浜がちらちらと見えてくる。

”オオハマボウ”という常緑樹が巻貝のような黄色い大きな花をつけていた。

芝が整備された公園のような区域に入り、大きくカーブしているところを左へ曲がるとやっとエメラルドビーチが出現。

このビーチは南北に大きく広がった海洋博記念公園の北の終着ポイントでもあった。


遠浅の白い浜辺に出ると海上を渡ってきた潮風が顔をなでてゆく。やや湿気を帯びてはいるが首すじを抜ける風の強さが心地よかった。

ビーチでは浜に立てたコートで4人の若者がビーチバレーに熱中している他は、ひとにぎりの遊泳客が点在する程度であった。ここがあまりに静かで、水族館での人混みがまるで嘘のよう。

どこの位置から眺めても白砂と海がフラットに広がっており、心ばかりの樹木以外岩礁ひとつ無く変化に乏しい浜辺である。リゾートのような美しさはあるものの、人工ゆえのやや無機質な表情を見せる。

盛りを過ぎるときに放つ強い陽射しが海面を焼いている。本日の終着駅になるこのエメラルドビーチでゆったりと休息をとった。

ある外国の港町にあった言い伝えに、海辺にいると一日のある短い時間帯だけ自分の帰りたい過去への扉が開くという。

その時間帯を土地の老人は風の止まる朝と夕の凪(なぎ)の瞬間だと云い、若者は潮の干満の交代する瞬間だと主張した。

つまり若者の主張は、潮の干満は月の引力と地球の自転による遠心力のなせる技であり、地球の自転は24時間、月が地球を1周するのは24時間と50分かかるわけで、潮目の変わるこの余分の50分間だと云ってはばからなかった。

港町の住人が若者の主張の方がありえると口ぐちに噂をするようになった頃、凪だと主張していた老人が町から消えてしまう。そして数年後、空瓶に入った老人の手紙が岸に流れ着く。そんな民話だ。

このエメラルドビーチでも今は風が止んでいる。海風から陸風へ変わる凪になったようだ。


「海洋博記念公園」のガイドページへ


コンベンションセンターの展示棟

宜野湾の町歩きで「沖縄コンベンションセンター」に行きあたってしまった。

通常なら前日におおよその予習をしてから出掛けるのだが、今回はただ何となく宜野湾の町をブラつくつもりであったので予習をしてこなかったのである。

通り越しに見えていた面白い景観の建物につられてたどり着いたのが沖縄コンベンションセンターであった。

敷地内に入ると会議棟、展示棟、劇場などが寄り添うように建造されており、文字通り大規模な集会や会議を万全にサポートする施設のようだ。

しかし筆者のようにふらりと現われた旅行者にとっては、あまり関心を惹かれる施設ではない。

手入れの行き届いた庭内を通り抜けるとすぐに海岸に着いた。案内板には「ぎのわんトロピカルビーチ」とあった。

案内板のMAPを見ると、コンベンションセンターに隣接してこのビーチや海浜公園、野外劇場そしてそれらを取り囲むように「ラグナガーデンホテル」、「市立体育館」、「市立野球場」、「宜野湾港マリーナ」と、巨大な複合施設を形成していた。

                           遠浅で白い砂浜のトロピカルビーチ

ぎのわんトロピカルビーチは白い砂と遠浅の典型的な人工のリゾートビーチだ。

車社会の沖縄本島にあって幹線道路の国道58号線からすぐという願っても無いほどアクセスのよいビーチで、県民にとって人気のあるビーチパーティー・スポットであるらしい。

浜辺ではビーチバレーなどに興じる若者で活気に満ちているが、惜しむらくは海に自然さがなく、表情に乏しく生気が感じられなかったことだろうか。

ビーチから早々にマリーナへ向かった。400mもつづく港内にはおびただしいほどの船舶が係留されていた。ヨットをはじめ多種なプレジャーボートが行儀よく並んで休んでいた。

県下一と云われているだけに海上係留350以上、陸上ヤード保管270以上と相当数の船舶を保守している。

2枚の写真を合成し宜野湾港マリーナの全景を再現

ときどき聞こえる水鳥の声と防波堤に寄せる涼やかな波音。400m以上もある ふ頭を歩いていると、頭の中が瞑想でもしているかのように透明になってゆく。

女性よりも圧倒的に男性が、海に強く惹かれるものらしい。海から連想させるものは個人差はあるが、”ロマン”、”冒険”、”夢”、”郷愁”、”未知” などさまざまだ。


その人たちにとって海に乗り出す船は、それぞれの強い思い入れへ直行できる云わばプレミアムチケットも同然のもの。

つまりこのマリーナには620以上もの ”ロマン” や ”夢” や ”冒険” が眠っているということなのだ。

欧米諸国の多くでは「海」も「船」も女性名詞である。男が惹かれるのも無理からぬことなのかもしれない。

外部との意識接触を遮断していたためか時間経過がわからず、時計を見ると2時間近くも過ぎていた。そろそろ58号線に戻るとしよう。

国道58号線の通る東の方向へ、おおよその見当をつけながら歩いていると「大謝名(おおじゃな)」という地区に入った。

あたりは住宅地でひっそりと落ち着いている。あまり立て込んでもいない。

それまで歩いて来た道が突然終わり、道の終わりに工事中を示す黄色と黒の斜線を描いたブロックが一列に並べられていた。

しかし工事中の気配はまるで無く、道路上に残されたチョークで描かれた絵が出迎えてくれた。

途中で切れても影響のない細い道ではない。けっこうな幅員の道路なのに唐突に終わり、そのまま放置されている。

道路一面には青や白のチョークで可愛い絵がいっぱい。子供たちの遊び場になっているらしい。

現在の東京では下町に出かけても遭遇できない風景である。記憶の向こう側にある扉を少しだけ覗いたような心地になった。

行き止まりの道から少し回り込むとすぐに58号線に出た。国道58号線を那覇方面にしばらく歩くと「牧港(まきみなと)」が見えてきた。「牧港」は宜野湾市の隣りの浦添市に属しているので、宜野湾ウォークもそろそろお終いになってきたようだ。

宜野湾市と浦添市の境を流れる「宇地泊川(うちどまりがわ)」、そしてちょっと先を流れる「牧港川」が58号線の近くで合流し、牧港湾に流れ込んでいた。

             宇地泊川                 牧港川


「沖縄コンベンションセンター」のガイドページへ

出発点と目的地を直線で結ぶような車旅行では味わえない旅をしたくて、バスと徒歩による「ちょぼちょぼと行く旅」が今回の沖縄長期旅行だった。ついに滞在1か月を超えたところで、そのスタイルの旅も破綻をきたしそうになってきた。

沖縄北部への旅が始まったためである。まず沖縄本島の最北端にある辺戸岬にはバスが行かないのだ。現行のバス路線の最北がオクマ(奥間)までで、そこから北端の辺戸岬まで優に20kmを超える区間はまったく交通手段が無いのである。

歩くとなると片道に最低でも6〜7時間はかかる道程で、しかも ご丁寧にも宿泊施設が一軒も無い。そこで辺戸岬を後回しにし、次に行きたかった瀬底島(せそこじま)に照準を合わせた。

瀬底島は地図を眺めるかぎり、すでに訪ねていた海洋博記念公園の近くになるので楽に考えていた。ところがこの瀬底島もバスと徒歩で訪問しようとすると一筋縄では行かないのである。

瀬底島まで行くバス便が1日4本のみ、うち瀬底島で日中ゆっくりと過ごせるように到着する便は一本しかない。名護BTを午前に出発するその便に乗るためには、那覇を早朝に出発する必要があった。

瀬底島も後回しにしようかと瞬間頭をよぎったが、どんな事態になっても前述の20km以上といったとんでもない距離ではなく、歩こうと思えば歩ける範囲なので決行することにした。


メゾネットタイプのベッドから飛び起き、一杯のコーヒーを流し込んだあと早々に那覇を出発した。

出発からおおよそ3時間弱、やっと瀬底島に架かる真っ白な橋が近づいてきた。

瀬底大橋を渡るバスから眺める海峡の景観はまぶしいほどに美しかった。

この景色の前には3時間の手間など何ほどのことでもない。

あっという間に橋を渡り、島の中央にある瀬底公民館前のバス停に到着した。


Uターンして戻るバスを見送り、瀬底ビーチのある方へと横道へ入る。この島の入口にあたる瀬底大橋が東側に対して瀬底ビーチは反対側の西海岸に位置している。

ビーチが近づくと工事現場のような様子のところが目立ってきた。瀬底ビーチ駐車場と大書された看板のところまで来ると、係員が飛んできて車はどこかと尋ねられた。歩いてきたと答えると、しばし沈黙....しみじみ不思議そうな顔をされてしまった。

バス便で歩いて来る訪問者などほとんど皆無だという。また工事中なのはリゾートホテルであるとの情報も得た。

白い砂浜が700mもつづく瀬底ビーチ

砂浜への入口は小さいがビーチに出ると、白砂が南へ向けて700mも延びている大型のビーチだった。砂はきめ細かくパウダーのようにさらさらしており、遠浅になった海岸線では海の青色と混ざり艶やかなエメラルドグリーンを生成していた。

波打ちぎわで見る海はどこのビーチで見た水より透明度が高い。海面を注視すればすぐに魚影を発見できるほどだ。やはり天然ビーチにはどこか生命力が感じられ、自然と調和しているせいか落ち着いた環境をつくってくれる。

その居心地のよい海岸をしばらく遊び歩いたが、さすがに泳ぎもせず暑く灼けた砂上でうろつき回ったおかげですっかり干上がってしまった。

ビーチ入口近くにあったサンデッキCAFEに戻り、涼をとるこにした。運ばれてきたメロンのかき氷が、数口も食べないうちから溶けてゆく。淡雪のように消えゆく かき氷、見ているだけでも涼がとれるのである。

真正面の洋上には水納島(みんなじま)が浮かんでいた。泳いで行けそうなほど近くに見えた。

周囲4.5 kmというからこの瀬底島より一段と小さな島になる。その形状が似ているところからクロワッサン島と親しみを込めて呼ばれていることを知った。


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ビーチではシュノーケルで遊ぶ人たちが目立っていた。小魚が寄ってくるらしく、子供たちは大喜びで、親御さんたちも完全にハイ状態。

こちらは相も変わらず着の身着のままで出掛けてきているので、シュノーケリングはおろか泳ぎもままならず指をくわえて観ているばかりであった。

建設途中のホテルが景観上ジャマであることは事実だが、浜辺は何ひとつ人工の手は加えられていないので、天然のままの自然環境は健在だ。

もう少しビーチで遊びたかったが、これから歩いて瀬底大橋を渡り本島に戻るつもりだったのでそろそろビーチを引き上げることにした。本島に戻るバス便は夕刻の一便を残すのみであることはすでに承知していたからである。

さあ、島の中央を横切って反対側の東海岸へ、バスの窓外で白く輝いていた瀬底大橋を目指して出発をしよう !


「瀬底島」のガイドページへ


周囲8kmの瀬底島(せそこじま)、その人口は1000人という。

島の中央に向かって歩いてみると、住宅と住宅の間がきわめてゆったりとしている。また戸外なのに物音ひとつ無く静まりかえっている。

風防のため植樹されたフクギが空に向かって勢いよく伸び、敷地に沿って背の高い緑の壁をつくっていた。

瀬底ビーチをあとにして、島の出入り口となる瀬底大橋のある東海岸を目指しているのだが、フクギ並木が視界を塞ぐため角を曲がるたびに方向感覚を失ってゆく。



フクギ道を縫うように県道172号に出て、県道に沿って歩くうち廃屋になった家の前を過ぎた。門柱にX字型に板がくくり付けられ、内庭は雑草の天下となっている。打ち捨てられたその廃屋は風化したなかにも島の歴史が刻まれているようで、しばらく佇んでしまった。

ある役割りを終えたものが無駄なものと映るか、文化や歴史を体現するものと捉えるかは意見の分かれるところだ。

住宅など古い建築物などは、旧跡や名所の謂われでもない限りすぐに姿を消してしまうのが相場。狭いニッポンなのだからそれが現代条理にかなうのだろう。

とにかく大都会では古建築住宅以外はすぐに整地されるので、廃屋が風化にまかせるなどの風景にはまずお目にかかれない。

廃屋が忘れられたように残されている瀬底島には、揺れ漂うように穏やかな時が流れていた。

なおも県道を10分ほど歩くと、ようやく瀬底大橋がチラリと視界に入ってきた。


なぜか島から離れがたく、橋へ直行するのを変更して少し道草をすることにした。東側の海岸線をぶらつくため横道に入ると、きれいに整備された公園を発見。そしてその公園からの展望がなんとも素晴らしかった。

海峡のエメラルドグリーンを背景に白く浮き上がる橋。島に入るとき通ったのたが、バスからではその全景を見ることがかなわなかった瀬底大橋が公園の眼下に広がっていた。

招かれたルーフデッキでの眺望

下り坂になった道沿いに大きなログハウスが建っていた。

その建物の前庭が東シナ海の海峡に面し素晴らしく眺望のよい場所だった。

海面を滑るように吹きあがる風をうけながら海を眺めていると、突然建物の屋上から声がかかった。

「いい景色でしょ!」の声につられて振り返ると、2階のサンデッキから男性の笑顔が覗いている。

入り込んだこの場所、実は個人宅であったのだ。ログハウス風の建物を見て頭から飲食店か何かの建物と思い込んでしまったためだ。

失礼を詫びると、「2階のサンデッキの方が見やすいのでどうぞ」 と気さくに招いて下さった。よく冷えたお茶を頂きお話をうかがうと、ご主人は沖縄ではなく北海道の人であった。

キャンピングカーで訪れたとき、この地に一目惚れをしたという。その病がこうじて瀬底島に移り住むことを決心。ログハウスの家まで自ら造り上げたというから、やることが半端じゃない。


旅先で遭遇できた親切にすっかり気持ちも温まり、早々に辞し大橋へ向かう。

長さ762m、高さ25mの瀬底大橋は昭和60年(1985)2月13日に完成している。それまでは渡しの連絡船が往復していた。

目の当たりにした大橋は大きく遠かった。700mを超す一直線の道、足の下25mにはエメラルドグリーンの海峡が横たわっている。

瀬底島側の橋脚下は通称「アンチ浜」と呼ばれ、遊泳やマリンアクティビティーを楽しめるビーチとして人気が高い。漢字は安置と書くらしい。

瀬底大橋は歩いて渡るだけの価値を持つ橋であった。車では絶対に味わうことはできない。どんな味かと問われたら、「極上の爽快感」とだけお伝えしておこう。

アンチ浜の遠浅で一心に貝殻を探す女性の風景がまるで外国のように見えた。橋の半ばで見下ろす海峡は圧倒的でめまいがするほど美しい。洋上の散歩を可能にする瀬底大橋だった。

アンチ浜で遊ぶ女性がひとり、まるで絵画のような情景


「瀬底島」のガイドページへ


早いもので沖縄に来て1ヶ月半も経ってしまった。これくらい滞在するとそれなりに知り合いができるものである。そして些少ながら知識も増えてゆく。

やはり年配の方から教えていただくことが多く、質問の連射にも根気よくお付き合いを頂いている。ときどき困るのは”ウチナーグチ”と呼ばれる沖縄方言にぶつかり何度も聞き返してしまうことだった。そして未だに沖縄方言だけは頭の中で整理はおろか脈絡すら ついていない。

本日の訪問地は北谷(ちゃたん)の町にした。その北谷町にあるアメリカンビレッジやサンセットビーチなどを訪ねてみるつもりでバスに乗った。

フェンスで固くガードされた米軍キャンプ内には軍用車両が

本島をあちこち廻りながら不思議に感じていたのが、本島における米軍施設の多さである。各米軍敷地の広さも半端ではない。

戦後65年もの歳月が流れているにもかかわらず、国道58号線沿いだけでもその占有ぶりは旅行者の目には異常に映るほどだ。

これが日米条約による防衛戦略上のものだと理解しているが、現実の沖縄を見ると占領下にあった沖縄の風景にダブってしまう。

もっとも実際の占領統治下の沖縄はこんなものではなかったと思うが、イメージが同盟というより統治下の占有に近い。

58号線ルートにも占領下の名残りなのか、「航空隊入口」とか「軍病院前」という名のバス停がある。今日訪問しようとしている”アメリカンビレッジ”はこの「軍病院前」が近いが、少し米軍キャンプの周辺を歩きたかったのでひとつ手前の「北谷(ちゃたん)」で降りた。

国道58号線沿いには切れ目なく米軍キャンプが連なっていた。”キャンプフォースター”、”キャンプレスター”、”嘉手納エアベース”と北へつづく米軍キャンプは、いずれも広大な敷地を有していた。フェンス越しに見ただけでも、かくも広き土地が必要なのかと思えるほどだ。

                               バス停 「軍病院前」

軍病院前のバス停に着くと大きな観覧車が見えてきた。観覧車が複合施設アメリカンビレッジの目印だ。

観覧車のある方へ向かうと、小さな川が流れており両側にはショップやシネコンなどの建物が密集している。フードコートにボウリング場まであった。

ショップはアンティークジーンズから輸入雑貨まで幅広く、ウィンドウショッピングだけでも楽しめるだろう。

食事も方もかなりの種類を網羅したフードコートになっており、ガイドページでもすこしふれたがデポズ・ガーデンというレストランでは典型的なアメリカンプレートも体験できる。

ちょうどお昼どきだったのでメキシコ料理のタコスをテイクアウトし、川のそばに設置されている屋外テーブルで楽しんだ。

食後軽く一周したが米国都市にあるショッピングモールと同種の匂いであった。

アメリカンビレッジは2004年に完成した施設だ。1981年に返還された米軍施設”ハンビー飛行場”の跡地が再開発され、このアメリカンビレッジと南部の北谷公園が造成されたのである。

ちなみにこの北谷町の半分以上がまだ米軍施設によって占有されている。文字通り、このあたりはアメリカ村なのである。

アメリカンビレッジに隣接してサンセットビーチがあるので、そちらの海岸線へ向かった。

こぢんまりとした人工ビーチが出迎えてくれた。町なかにある利便性の高いビーチらしく機能を重視した造りである。

足まわりが良いので簡単に夕景を楽しんだり、ビーチでバーベキューパーティーを開いたりと手軽に利用できる施設になっていた。


ビーチそばには あたりを睥睨するようにひとつの高層ビルが建っている。ザ・ビーチタワー沖縄というホテルだった。周辺は都市型リゾートの環境が整っているので短期滞在には手頃の宿舎になるだろう。

 清潔で可愛らしいサンセットビーチ

今日は格別に暑かった。湿度をたっぷりと含んだ空気が陽にあぶられて一気に温度を上げているようだ。ビーチぎわにちょうどよい木陰を見つけたのでしばらく涼をとることにした。

夏を誇示する入道雲を眺めているうちに、セミの声を追いかけていた遠い日に戻っていた。気がつくと空いていたビーチがしだいに混み始めている。沖縄駐留の米人家族と思しき客の多いこと。

このサンセットビーチやアメリカンビレッジを中心にした北谷町は北に浜川漁港、南には北谷公園を有している。どちらに向かうか迷いながら、騒がしい英語が飛び交うビーチを後にした。


「北谷 −ちゃたん−」のガイドページへ


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人気ビーチのほとんどが東シナ海に面した西海岸に集中する沖縄本島。

本島中南部の東海岸、中城湾(なかぐすくわん)に新しく開発中の海浜緑地があるというので、さっそく出掛けてみた。

すでに西原町には完成した「西原マリンパーク」が2007年春にスタートしており、地元住民に人気のスポットとなっていた。

那覇から東へ10 km ほどの距離にあり、車でもバスでも30分位で行く。

ただし、目の前までゆくバスは本数が少ないので事前に確認したほうが賢明である。

筆者の場合、思いつきと物の弾みで動いているので「西原マリンパーク」前までのバスに乗れず、国道329号のバス停 我謝(がじゃ)入口から歩くことになってしまった。

バス停からちょうど1kmの距離をのんびりと20分歩きマリンパークに到着。中央正面の丸い建物に入ると、そこはサービス棟の機能を持つビーチハウスだった。

シャワールームからフードコートまで完備されており、遊泳客には過不足のない施設になっている。ビーチハウスを通り抜け、ビーチに出ると全長550mのゆったりとした広い砂浜が広がっていた。

          透明感のある海水に陽光が躍る「西原きらきらビーチ」

「西原きらきらビーチ」と名付けられたこの人工ビーチは想像以上に透明度の高い水質だった。

真正面には遊歩道を備えた突堤が海に突き出し、ビーチを右翼と左翼に分けていた。左翼は遊泳、右翼はマリンスポーツ専用と浜辺を使い分けている。

右翼ビーチに設置されたゴールネットの前で若者数名がビーチサッカーに夢中だ。彼らの邪魔にならないよう迂回し、水辺に出てみると揺れる波間で乱反射する陽光が眩しいほどきらめいている。


遠浅なので素足になり裾をまくりあげ水ぎわを歩いてみた。

心地よい水の感触を愉しみながら南へと歩いてゆくと右翼ビーチが終わり、テトラポッドを積み上げた護岸ラインへとつながる。

なおも南へ進むと芝を敷きつめた緑の多目的広場に。野球場が2面できている。

その先の東浜(あがりはま)にはマリーナのような港が遠望できたが、きらきらビーチへ引き返すことにした。

ビーチを中心にこの多目的広場や公園などの複合施設を「西原マリンパーク」と称しているが、実はこのマリンパークを包み込むようにまだ開発が進行中である。

西原町と与那原町にかけて一大「マリンタウン」を形成する開発事業が17年間にわたりつづけられてきたという。観光事業を視野に置くだけでなく、地元住民が住める新しい町づくりでもある。

完成したものから順次オープンしており、すでに”うちなーんちゅ(沖縄県人)”の人気エリアとして多くの地元客を集めている。

きらきらビーチ と あがりティーダ公園をつなぐ雄飛橋

強い日射しと照り返しで上下からこんがり焼かれ、ビーチまで戻ると思いっきり干上がってしまった。

ビーチハウスのフードコートでかき氷をほお張りながら小休止。

汗が退くのを待って、今度は左翼ビーチを海岸沿いに北東方面へと探索を開始した。

左翼ビーチの端には右翼と対をなすようにやや小型の軽運動広場が隣接している。

広場をパスし、その左に見えている橋に向かう。


「雄飛橋」という橋はまだ新しく、埋め立てによりできたと思われる運河のような川をまたいで海岸べりに見えている公園へと道をつくっている。

とても小さくて細長いその公園をすっかり気に入ってしまった。特別なものは何もない。少しの南国風緑地と300mほどのプロムナード、そして海岸にできた磯だまりの岩場だけ。

「あがりティーダ公園」というのがその公園に付けられた名前だった。沖縄方言で《あがり》は《東》を、《ティーダ》は《太陽》を意味する。さしずめ”太陽の昇る公園”という意か。

                 公園から護岸階段を降りるとそこには磯が広がっている

人工ビーチも悪くないが、見る分には綺麗だが何も語りかけてはこない。

自然なままの海岸ほど雄弁なものはない。

白砂が敷かれた人工リゾートビーチに海藻や木枝が流れ着くとまるで異邦人のように目立つのである。

岸に流れ着いた貝殻や木片が風景の中に違和感なく溶け込むのはやはり自然のままの浜辺だ。

季節や時の移ろいを表情にして語りかけてくれる。

その言葉を聴きながら岩場を動き回ったり、休んだりで、時計を見るとアッという間に2時間が過ぎていた。

ここの海岸はそんな海岸だった。

さらに北東へと歩を進めると「西原船だまり」という係船港に行きあたった。つまりマリーナのことだ。きらきらビーチの南側に遠望した東浜にもマリーナがあったと記憶しているが、ここにもマリーナが?

どちらの土地も埋立て地で新しいはずだから、新旧の交代ではなさそうだ。少し散策したがやはりこの船だまりは新しかった。那覇で夕食がてらにゆく飲み屋で知り会った人の顔が頭をよぎった。

「マリーナの経営は年毎に厳しくなっているんです!」と話していた顔が。彼はその関連の仕事をしており、人柄も言葉のように何の飾り気もない好青年だ。

落ち着きを取りもどした陽だまりでそんなことを考えていた。陸揚げされたボートのスクリューから眺める海はどこまでも穏やかだった。


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マングローブ林をひと目見たくてやってきた東村の慶佐次(げさし)だったが、片道3時間半の旅とあってはマングローブ林だけでは帰れない。

ヒルギ群生のマングローブに堪能したあと国道331号を横切り、民家のある方へと散策をはじめてみた。民家の密集しているところは、ほんの一握りほどの地区でしかなかった。

そこを過ぎると急に視界が広がり、どこまでも一面に畑が広がっている。一瞬戻ろうかとも考えたが、さしあたって他に行くあてもなく、そのまま道なりに散歩をつづけることにした。

手づくりの果樹園 「やんばる翠苑」

畑の中を東へ歩いていると、一角に小さな植物菜園のような施設にでくわした。

入口に大きく「やんばる翠苑」と大書されており、花と熱帯果樹の楽園 入場料500円とあった。

先日、名護市の「沖縄フルーツらんど」という似たような施設を訪問したばかりだったが、かまわず入場。

苑内には他の入場者の姿もなく、静かに回遊できそうだ。

カニステル、レイシ、ドラゴンフルーツ、アセロラなどトロピカルフルーツが顔を揃えている。


苑内にはビオトープが造られていたり、山羊がいたり、小さな小さな池があったりと、顔がほころんでしまうような手づくりぶりなのだ。

果樹だけでなく相当な種類の花も目を楽しませてくれるので、花好きな人には飽きのこない小苑と云える。

苑内を見終わったあと、入口近くの休息所に入るとご主人が待っていてくれた。

テーブルにはパッションフルーツなどいくつかのトロピカルフルーツを一皿に盛ってあった。

ここで収穫されたトロピカルフルーツを来苑者の方に味わってもらうのがシステムだとご主人が説明してくれた。

パッションフルーツはスプーンですくいながら食べるなどのアドバイスを聞きながらいろいろ味見をしたが、いずれも美味で南国の味を素直に満喫できた。

これだけの果樹苑をご夫婦お二人で世話をしているとのことだった。その維持管理と育成には気の遠くなるような根気と計りきれないほどの愛情が要求される。並みの覚悟ではできないことを知った。


「やんばる翠苑」を出て東側の道路を歩いていると看板が目に入った。

看板には「慶佐次ふれあいウッパマ公園」とある。しかし道路わきに細長い緑地があるだけ。

緑地の端にはアダンの樹木が視界をさえぎっており、熟したアダンの実があちこちに落ちていた。

そのうちのひとつに取り付いて食事をしていたヤドカリ。海岸近くで陸上棲息する”オカヤドカリ”だ。

ヤシガニが好物にしているアダンの実だが、雑食のオカヤドカリも食べるようだ。

このアダンは日本では沖縄と鹿児島のほぼ中間に位置する奄美大島以南でしか自生しない。

一見パインのように見える果実だが、まったく別種の植物なので現在では一般常食していない。

沖縄ではアダンの葉を使用したパナマ帽とか強靭な繊維質を有する幹は健在にと、ひところアダン産業として隆盛だった。

またアダンは毛筆としても利用されていた。江戸時代の昔、動物の毛を使用した筆がとても高価なのでアダンの気根(地上に露出している支柱根)を利用したアダン筆が代用されたという。雨月物語で知られる作家、上田秋成も琉球から渡来したこのアダン筆を愛用したという記録が残る。

一般の毛筆が安価になり普及するとともに市井から消えていったアダン筆だったが、最近になり嘉手納町に本拠を置く”琉球大発見”という工房が復活させ、その筆の味わいが見直されてきている。

アダンのすき間から砂地が見えてきたので樹幹をくぐり抜けると、いきなり広々とした海岸に出た。誰もいない波音も届かないほど静かな海だった。予想だにしていなかったためか、突然の海との出会いに大きく胸を揺さぶられた。

適当な岩を見つけ腰をおろした。島ひとつない見渡すかぎりの太平洋の海原だった。左手に見える陸影は本島最北部のやんばる地域だろう。右手は大きくえぐれているため陸影は見えない。

よく考えればアダンの木がかたまって自生しているのだから、海岸が近いことを予告してくれていたのだろう。アダンが風防樹としても優れていることを失念していた。

おりよく散歩で浜辺に立ち寄った地元の人と話すことができ、いくつかの知識をいただく。浜辺の名前は「ウッパマビーチ」といった。ウッパマとは大きな浜を意味することも知った。沖縄方言にもうすこし明るければ、最初に見た案内看板の「ウッパマ公園」で海岸を連想できたはずだ。

しかし何であれ「ウッパマビーチ」に迷い込むことができたことを感謝しよう。凪が終わり風が吹き始めてきた。風の感触だけでなく音まで心地よかった。

「慶佐次湾のマングローブ林」のガイドページへ


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沖縄本島北部の東海岸を巡りはじめたのだが、慶佐次(げさし)のマングローブ観賞ですっかり限界を感じた。那覇を宿舎にしているため移動だけの往復で6〜7時間もかかるバス旅行のタイムロスを痛感してしまったのだ。

しかし「ちょぼ旅」という ”のんびり旅”をテーマにした旅行。バスと歩きの旅ができる場所がある限りその方針を変える気はさらさら無い。 まだ少しバス旅行のできる場所が残っているハズ。

県下最大の闘牛場である名護市の「ゆかり牧場」も観たかったが、やはりバス便では遠すぎたのでターゲットを中北部へとさらに南下させる。

今 報道でたびたび登場するキャンプシュワーブの少し南にある漢那ビーチを訪れることにした。


那覇からバスで揺られて2時間、漢那バス停に到着。

海岸へと歩いて行くと砂浜の周りを青いフェンスが取り囲むように設置されている。

フェンスの出入り口を見つけ漢那ビーチの砂浜へと出ると、先客の一団が自ら張ったテントの日陰で涼をとっていた。

その光景を見たとたん、汗が一気に吹き出してきた。冷房の効いたバスに2時間もいたので、暑さ加減が遅れてやってきた。

ビーチには他に2組だけという静かなビーチだった。とても落ち着く素朴な海だ。

しばらく水辺で遊んだが、とにかく凄い暑さで、砂や海面からの強い照り返しが身体に張りついてくる。

紺碧の太平洋が広がる正面には、4.7kmもある海中道路で本島とつながる伊計島と平安座島(へんざじま)が遠望できた。晴れ上がった空と海の青が濃淡で競い合っている。島々の影がその青に上下から挟まれ薄く平たく見える。

水辺の日陰を探したが、それらしいものが見当たらず、青いフェンスの外側に出なければ木陰に逃げ込むことができないようだ。


どちらかと云えば小ぶりなビーチの東端に赤瓦の目立つ建物があった。

もちろん青いフェンスの外側ではあるがほぼ砂浜に接するほどの近さだ。

日陰が恋しくて探しまわっていたので、躊躇なくこの建物に潜り込むことにした。

浜辺から見えていたのは建物の裏手にあたっていたので、正面アプローチ側へと急ぐ。

入口には「かんなタラソ沖縄」とあった。

まだこの時点では100%、テラススタイルの小ホテルと思い込んでおり、冷たいドリンクで小休止を取るべく入館した。

高い天井の1階ホールに入ると、ホテルフロントの光景には見えるが、どこか雰囲気が違うのだ。

細部にわたり観察すると美容とセラピーをテーマにした県下有数の施設であることが判った。

少し館内を見学しながら、係員にも少し質問などをしてみた。沖縄の方言と思っていた”タラソ”がギリシャ語で”海”を意味し、健康と美容にも海水の持つ浮力など海の特性を生かしていることを知った。

以前漢那ビーチにあった遊泳客用施設が今は無く、代わりにこの施設が利用できることも判った。

大変親切な係員が、3層からなる施設には屋外ジェットバスから25m級の室内プール、海水を利用した特別プールなど相当数のバスとプールを完備していることなどを丁寧に解説してくれた。

男性美容の話が始まってしまった。しかし健康にも いわんや美容などというものにも、まるで関心はなく、そろそろ退散の潮時になったようだ。早く冷房バスに乗り込み、次の目的地「金武(きん)」へ向かうとしよう。

    「かんなタラソ沖縄」の正面玄関


「漢那」のガイドページへ


沖縄本島中北部の北西海岸一帯に広がる恩納村。その反対側の南東部に位置する金武(きん)。その金武にある鍾乳洞見学を終え、北へとぶらぶらと歩いている。

大昔このあたりは17の村から構成されていたが、しだいに「恩納村(おんなそん)」、「宜野座村(ぎのざそん)」、「金武町(きんちょう)」という3つに整理されていった。

東シナ海の美しい夕景を強みに恩納村には高級リゾート環境が完備されホテルやビーチが綺羅星のごとく並んでいる。一方、反対側の太平洋に面したこちらの宜野座村や金武町は昔ながらの飾り気のない素朴な表情をしている。

また太平洋側の宜野座村や金武町には米軍施設が多く、その影響か遊泳ビーチが極端に少ないように思う。

道端に咲いていた真っ白なハイビスカスの花
Kin5_blog.jpg

さっそくぶつかってしまったのが「米軍施設キャンプハンセン」だった。

この時点では敷地の大きさが判らず、右折し基地に沿って歩いてみた。

しかし、これがどこまでも行っても終わらないのだ。

途中に出会った純白のハイビスカスがとても清楚で、この花のそばで小休止をとってしまった。見慣れたカラフルで派手なハイビスカスとは印象がガラリと変わる。

陽の陰りを感じ始めたので、”キャンプ沿い散歩”を切り上げ次の目的地へ向かうことにした。

この米軍キャンプをあとで調べたら、驚くなかれ何と5140ヘクタールもある広大な敷地であった。

東京ドーム1000個を軽く呑み込んでしまう大きさである。

早々に進路変更した判断が正しかったことを知ると同時に、金武の町歩きに失敗したことも判明した。どうやら とても興味深い地区を見逃してしまったようなのだ。

「米軍キャンプハンセン」の第1ゲート前には金武の新開地と呼ばれる歓楽ストリートがあったのである。知っていれば間違いなく尋ねていただろう。

沖縄がまだ米国であった頃、駐留米人の遊興で隆盛を極め、ドル経済を謳歌した新開地。それが今なお健在であることを知った。

もちろん往時の勢いは無いものの面影は色濃く残っており、今や沖縄名物として東京の飲食店でも登場している”タコライス”発祥の地としても知られてきたという。

米軍キャンプにぶつかった最初の場所を右折しないで、左折して”キャンプ沿い散歩”をしていれば確実に新開地を通ることになっていたのだ。

予習不足が原因ながら、残念というほかない。再訪を期し旅のリポートをつづけよう。

キャンプハンセンを離れたあと目指したのは「屋嘉(やか)ビーチ」だった。

金武町でも南西の端にあるビーチだが、この地域には遊泳ビーチがほとんど無く貴重な海浜のひとつである。

距離にして10 km弱はあるので、バスに乗り直して向かった。

バス停「屋嘉入口」がちょうどビーチの真ん前であった。

白砂に遠浅の海というリゾートビーチとは趣を異にする浜辺が目の前に広がっていた。

岩場のある磯やハマカンダー(昼顔の一種)のうっすらとした緑が這う砂浜。人工ビーチの対極にある海岸線が南へと伸びていた。

会話も無く背中を寄せ合ったカップルが無理なく自然に溶け込んでいる。

砂地へ出て南へ歩いて行くと岩場のないところでは30人ほどの人たちが海を楽しんでいた。よく見ると水着を着けているのは子供たちだけである。

全員が地元の人たちであることがひと目でわかる。子供を遊ばせながら自らも涼んでいるといった風情だ。

パラソルやゴムボートで水遊びをしているのだが、浜辺のどこにも遊泳客用の施設が見当たらない。おそらく自宅から車に搭載して来訪したに違いない。

このビーチを本日の最終地と思い、のんびりと時間をやり過ごしていたら、あることに気が付いた。

この2ヶ月の間、西海岸つまり東シナ海ばかりを眺めていたことが多く、日暮れとなると海に沈む太陽が常態となっていた。

しかしここ東海岸では太陽を背負う格好になるので海を見ていても太陽は見当たらず、見えるのは刻々と変わる自分と樹木の影だけ。砂地に映る影が、またたく間に背丈を伸ばし海面へと成長してゆくのだ。

確かな記憶には無いのだが、遠く幼い頃に見たような既視感をゆっくりとノックされているようだった。


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4750メートルもあるという海中道路の中ほどにあるロードパークでは、ボランティアによるゴミ拾いが実施されていた。

本島の与勝半島と離島を結ぶ海中道路だが、海に潜ったドームのような道路ではなく、大海原へと伸びた海上を行く道路である。

海中道路両側に広がる長大なロードパークで、黙々と手際よくゴミを処理してゆく静かな集団。一段落した頃合いに、スタッフのおひとりに労をねぎらうため あいさつをする。

護岸階段でゴミ拾いに専念するボランティアスタッフ

一緒に中央方面に戻りながら、のんびりと話をした。

この道路の無かった頃は、干潮時になると同じ位置にうっすらと道ができたという話をしてくれた。

島民は干潮時に歩いて往復をしていたのだ。

四季により微妙に変化する干満の潮も生活の一部にしていたのだろう。

引き潮になると、蜃気楼のように海上に浮かんでくる数千メートルの道。何と幻想的ではないか。


叶うならそんな道を歩きたかった..などと、肩を並べて歩く彼には云いだせなかった。

5キロに近い道程を限られた時間に歩かねばならない島民の生活は、そんな軽い思いでは計れないだろう。しかし、今ではその干潮時も地元住民の潮干狩りを楽しむ風物情景に変わったようだ。

ボランティアの一団に合流した彼と別れ、ロードパーク中央部にある「あやはし館」で ”かき氷ブレーク”を取った。

今日は橋づたいとは云え離島めぐりと決めたので、朝も早くから行動を開始した。橋つながりでも4つもの島めぐりなのである。レンタカーを利用すれば簡単なのだが、島内専用のバスがあるのだから、利用しない手はない。

この地域である「うるま市」の物産販売の「あやはし館」をさらりと見学し、2Fの「海の文化資料館」のあるウッドデッキに上がった。入場しようとしたが撮影禁止とのことで急に興が失せてしまった。

           海中道路に架かる歩道橋から望む本島の与勝半島

筆者も音楽業界に籍を置いていたこともあり、著作権や肖像権、個人情報にいたるまでその保護と防衛に関しては人一倍苦労したことがある。その反面、過剰なまでの保護があることも知った。

保護の程度は実に難しく、少なからず興味を持ち接触してきた未来の才能たちの芽を育てることも つんでしまうことも、このさじ加減ひとつなのである。

東京に「江戸東京博物館」という施設があるが撮影自由である。ただし特別展示などは厳しく撮影禁止を励行し展示作品を守るなど、そのメリハリは来館者にも分かりやすく実に見事な運営である。沖縄では首里城がそれに匹敵している。

美術館と博物館の差異やパブリックドメイン(公共)への転化なども言及したいが、ここは自制し旅をつづけることにしよう。

「海の文化資料館」前のウッドデッキから見えた歩道橋へ行きたくなり、そちらに向ってしまった。そして歩道橋からの景色は、一直線に引かれた海中道路が両側にひろがる金武湾(きんわん)と太平洋を分断し、なかなか壮観な一幅であった。

                 宮城島のトンナハビーチ

4島内だけ運行する“平安座総合バス”は旅館の送迎に利用されるようなマイクロバスだ。

このかわいいバスに乗り、「平安座(へんざ)島」へと向かった。

バスは島に入ったが、巨大な石油タンクを縫って北上してゆく。

ほとんど川幅しかない島と島の海峡を超え、次の「宮城(みやぎ)島」に入ってしまった。


あらかじめ予習していた「トンナハビーチ」がこの島だったはずなので、乗客が少ないことを幸いに運転士に尋ねると次で降りるようアドバイスを受ける。

「池味」というバス停で降り、そのビーチへと足を向けた。

海岸というよりは入り江と表現した方が正確なほど、こぢんまりとしたビーチだった。湾曲した砂浜の両端はしたたるほどの緑を溜めた樹林。とても居心地の良い浜であった。

この方面への来訪者のほとんどが、次の有名な伊計ビーチへ行ってしまうので、あまり混み合うことのない穴場的ビーチだという。

バス旅行というのは多少不便ながら、レンタカーでは得られない経験や発見をポケットに放り込んでくれる。しかし時間管理がやや窮屈になってしまうことも事実である。世の中、いいとこ取りばかりはできない仕組みなのだ。

今もそのジレンマの狭間で揺れている。心は 『飽きるまでここにいようよ』 と囁いているのだが、バス便を考えると先へと はやる気持ちになったりもするのである。

重い腰をあげ 県道10号線に戻ったが、やはり次のバスはしばらく来ない。当然歩くことは想定内だったので歩きはじめたのだが、すぐに赤いアーチの大きな橋が見えてきた。

「伊計(いけい)島」への架け橋、「伊計大橋」だった。

    周囲の奇岩が印象的な伊計大橋


「海中道路〜トンナハビーチ」のガイドページへ


 伊計島へとつづく伊計大橋

朱に塗られたアーチの「伊計大橋」で、しばらく海を眺めていた。橋下の海面からは隆起した琉球石灰岩がいくつも奇相を見せている。

全長198メートルの下路式アーチ橋を歩き伊計島に渡った。県道10号線を7、8分も歩いたろうか、「伊計ビーチ」に着いてしまった。静かなビーチを想像していたが、思いのほかの賑わいであった。

浜への入口近くに配した施設のディスプレイは、やや雑然として観光地の匂いがプンプンしている。

こちらのビーチでは駐車は無料なのだが、遊泳料を徴収されるシステム。

大人400円、小人300円という人数で料金が必要になる。まことに商業的である。

敷地内の浜辺へ出ると200メートルほどの湾曲したビーチが広がっていた。

正面沖には小島のような岩礁がいくつも屹立し、グラスボート(ガラス底)用の小さな桟橋のある箱庭のように個性的なビーチだった。

                        伊計ビーチ

地形が単純な遠浅ではなく変化があるためか、潮の干満に影響されない水遊びができるという。

日陰でひと休みをと周りを物色すると、けっこうな数のテントが浜辺沿いに並んでいる。

有料でもほとんど空いているので小休止くらいなら利用してもよさそうだったが、落ち着かないのでやめにした。

この少し先に「大泊(おおどまり)ビーチ」があるので、そちらを訪問するべく県道に戻る。すると「伊計ビーチ」の反対側にも海が見えてきた。

つい横道にそれて東に入り込むとすぐに海に出会えた。このあたりは島の中でもちょうど人間の首のように細くなっており、県道を挟んで両岸へ行き来できる距離だった。

そこは何もない静かな入り江だった。左へカーブした陸影には密集した民家が海越しに霞んでいる。

聞こえるのは風に押されて浜に寄せる波音だけだった。残念なことにこの入り江には、厳しい陽射しを避ける日陰がひとつも無い。干物になる前に「大泊ビーチ」へ急ぐことにした。

大汗かきながらも15分ほどで、「大泊ビーチ」に到着した。入口には来訪する車を誘導するためか若いスタッフが2人いた。歩きで来訪した筆者を不思議そうに出迎えてくれた。

ここでも駐車時もしくは入場時に、やはり人数単位で支払うシステムであった。駐車、施設利用料込みの料金だ。

海上には琉球石灰岩の岩礁など何もなく、「伊計ビーチ」よりひと回り広い海岸であった。自然のビーチなのだが、まるで人工ビーチのように白い砂浜が綺麗なカーブをつくっていた。

  大泊ビーチ

水平線の彼方には絵にかいたように白い陸影が 仄見えている。この海岸線は金武(きん)湾に面しているので、その陸影は金武湾港の町並みだろう。

地図を見ると、このビーチは西に面しているようだ。沖縄本島の東海岸に位置する伊計島だが、離島なので「大泊ビーチ」が西方を向いていても何の不思議もないのだ。きっとサンセットは美しいに違いない。

このあと現地スタッフと話す機会があり、いくつか情報を得た。美しい光景は赤く染まりゆく夕景ばかりではなく、夜景も素晴らしいと教えてもらった。対岸に見える街の灯が海面に映る情景をすぐに想像したのだが、実は違っていた。

この地域周辺にはほとんど電気の灯が点らないので、逆に夜空の星が圧倒的な多さで迫ってくるという。しかも季節によって海亀が産卵のため、夜陰この浜を訪れるらしい。

昔ながらのそんな自然を残すビーチだった。レンタカーで来ていれば星降る夜空も観賞できるのだが、バス旅行では野宿覚悟を意味するのである。

サトウキビ畑の中を北へ伸びる道

伊計島のさらに北を目指し歩いてみた。

見渡すかぎりのサトウキビ畑の中を30分以上も歩き、やっとそれ以外の風景にめぐり会った。

灯台である。島の北西端に近い場所にある伊計島灯台は昭和52年(1977)3月28日に業務を開始している。

白くスラリとした12メートルの小さな灯台。まわりを背の高い樹木が取り囲んでおり、入塔はできない。


灯台のそばには、本土で見られるお墓のような石碑がポツンとあった。”御地 子宝之神”と刻まれていた。

子宝を授かる聖地であるらしい。隅には白い箱に安置された観音像までたっている。おまけにここが設けられたのも灯台の完成と同時であるらしい。

普通なら航海の安全を願い龍神あたりが相場なのだが、不思議なパワースポットではある。丈の高い樹木が壁をつくり、昼でもなお薄暗い独特の空気が漂っていた。

灯台から東へ進むと、すぐに 「ビッグタイムリゾート伊計島」の敷地内に入った。リゾートホテルというよりはファミリー向けの観光ホテルといった印象である。

敷地は広くサーキット場あり、プールあり、ガーデンレストランありと一応そろってはいるのだが、どこにも落ち着ける場所がない。好みの問題もあろうが、プールサイドに一列にぶら下がる提灯を見せられて、リゾートと思えと云われても、その気になるにはかなりの努力がいるのだ。

ホテル前庭を横切り敷地内北端の海岸線まで行ってみると、すでに干潮が進み石灰岩のゴツゴツした岩礁がむき出しになり荒々しい表情をしていた。

最後の浜比嘉(はまひが)島を目指すため、急いで伊計ビーチのバス停まで戻ることにしよう。

「ビッグタイムリゾート伊計島」(中央)、北端の海岸の表情(左・右)


「伊計島」のガイドページへ


大泊ビーチ

住所 うるま市与那城伊計1012
電話 098-977-8027
ビーチ利用料 大人 500円 小人 300円 (施設利用+駐車料)
施設 シャワー/更衣室/軽食/トイレ
駐車場(注:駐車場は2ヶ所あり奥の方が大泊ビーチの駐車場、施設利用と駐車料がセットなので駐車時に確認のこと)

交通
    車
 那覇空港より 75分(那覇ICより高速道を利用−沖縄北ICを出て国道330号線を左折−栄比野の信号を右折し県道8号線を南下−金武湾入口の信号を県道37号線に乗りかえ−海中道路経由−平安座島−宮城島−大泊ビーチまで)

    BUS 那覇BT 110分(与勝線52番)−バス停 「JA与那城支所」で下車−「JA与那城支所」 で平安座総合バスの伊計島行きに乗り換え−バス停「伊計ビーチ前」から徒歩15分


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沖縄本島の中南部は米軍施設が多く、観て回れる場所が意外と少ない。歩いてみたいと思っていたポイントも おおよそ回ることができた中南部地区だが、まだひとつ訪れたいところが残っていた。

北谷町にある「アラハビーチ」である。"ARAHA BEACH”ではなく"ALAHA BEACH” と表記したくなるほどハワイにありそうなビーチの響きがする。単純にハワイの挨拶 《アロハ》 に似ていることもあるが...

すこし横道にそれてしまうが、ハワイ語ではアルファベットを12文字しか使用しないことをご存知だろうか。子音で H・K・L・M・N・P・W の7文字と母音 A・I・U・E・O の5文字だ。

HAWAII、WAIKIKI、MAUI などの地名に始まり、挨拶の ALOHA や魚の MAHIMAHI、首飾りの LEI など、12文字ですべてを表わすことができる。嘘だと思うなら今すぐハワイの地図を広げるとよろしい。端から端までこの法則にしたがい表記されている。

地名に付いている BEACH や BAY とか アメリカ人が勝手に付けたDIAMOND HEAD などはハワイ語ではなく英語表記なので念のため。マウイ島で知り合った LOKO(地元住民)から教えてもらった時はそのシンプルさにある種の感動さえ覚えたことを記憶している。


頭にハワイを描きながら現地の北谷(ちゃたん)に着くと ビーチに沿って綺麗な公園があった。

看板がポツンと立っており、そこには「安良波公園」とあった。

「アラハ」がどういう漢字を当てていたのか判明すると同時に、ハワイから急に日本に戻って来てしまった。

気を取り直し、公園を突っ切り浜辺へと出てみた。

けっこうな人出で賑わっていたが、混雑しているようには見えない。それほどビーチはゆったりとしていた。

ここよりすこし北にある 「サンセットビーチ」 と同じように、このビーチも人の手が加えられた遊泳ビーチだが、表情はこちらの方がはるかに豊かだ。

第一印象でこのアラハビーチを気に入ってしまった。浜辺にあった軽食店でしばらく海を眺めていると、見る間に空の雲が厚くなってゆく。30分ほどですっかり色感の乏しい風景へと変貌した。

今にもバケツをひっくり返したような雨が落ちてきそうで身構えていたが、なんとか持ちこたえている。沖合では落ちてきている雲を水平線上の海がやっと支え雨漏れを押さえているように見える。

暗雲が垂れこみモノクロームの風景となったアラハビーチ

雨が落ちてこないうちに公園を歩くことにした。「安良波公園」は2000年にできたばかりの現代的な公園だった。

公園途中にバスケットリングを発見。バスリングというのはときどき町中で見かけるバスケットゴールの金属輪のことだが、ここには5つもあった。12歳以下のミニバスケットリングが2つ、公式用リングが3つも設置されていた。

ストリートバスケ・ファンと思しき3人のアメリカ人が、舗装された屋外床でボールを獲り合っている。周りを見わたすと訪問者の半分近くがアメリカ人のようだ。公園そばをつらぬく国道58号線から東は広大な米軍キャンプフォスターが横たわっていることを思い出した。

インディアンオーク号を模して造られた帆船
Araha-beach3_blog.jpg

そこを離れ公園中央へ向かうと、大きな帆船の姿が視界に入ってきた。

後で判明した大型帆船が置かれている理由は以下のとおりだった。

時をさかのぼること170年、1840年の真夏に英国船 ”インディアンオーク号” がこの沖合で座礁した。

当時欧州近海では海賊行為が堂々と横行していた時代で、特に英国は国家レベルの海賊行為が有名でその歴史がつづいていた。

現在の英国博物館の大半がこの海賊行為によって収得したものと影で云われているほどだ。

遭難した67人の乗組員は北谷の領民によって保護された時、皆殺しにされることを覚悟していたに違いない。

ところが、殺戮されるどころか滞在した45日間にわたり手厚い世話をうけた上に、帰国用の船造りまで援助されたという。


おそらく 彼ら67人の全員が激しく感動したことだろう。

この事件以来、長きにわたり北谷町と英国との友好関係がつづいているとのことで、公園が造られる機会にインディアンオーク号を模したモニュメントとして造営されたのだ。

今は子供たちのアスレティック設備のある格好の遊び場になっていた。

この他にも貝殻をテーマにした流水階段、ブルーを基調にした野外ステージ、噴水池など現代的なデザイン設計の公園に仕上がっている。

モモタマナの木陰で海を眺めていると、少しづつ空が明るくなってきた。

ビーチに戻り白砂を踏みながら水ぎわを歩いていると、空がうっすらと色づいてくるのがわかった。

子犬が転げまわるように3人のこどもたちが駆けぬけてゆく。アメリカの少年だ。

見わたす限りの風景が朱色に染まり、赤の陰影がつくる濃淡だけの世界になってしまった。

東シナ海に落ちる太陽の足は速く、見る間に水平線の彼方に沈んだ。しかし赤く塗られた情景が色を失うまでには、東京の夕暮れでは考えられないほど時間を費やしてくれた。

《暮れなずむ》という言葉にふさわしい天工の夕景で、事実、思考が止まるほど豊饒の時間をもたらしてくれた。

「アラハビーチ」のガイドページへ


やんばる ロード 2

飾り気のない田嘉里(たかざと)の浜

国道58号線を北上中、田嘉里というバス停留所近くの海が気に入り、少しだけ停車することにした。

砂地一面にはハマヒルガオのつるが張っていた。どこか懐かしい風景の浜辺だった。

この田嘉里は大宜味村(おおぎみそん)と国頭村(くにがみそん)にまたがった町らしい。

いよいよ本島北端の地、「国頭村」である。


沖縄での村は東京で云う区や市に相当するのだが、国頭村区域はかなり個性的と云える。まず全体の25%を米軍に占有され、そして残り面積の95%が森林に覆われているのだ。

標高500mを超える本島最高峰の与那覇岳を筆頭に西銘岳・伊湯岳などが脊柱をつくるように連なり、そこを分水嶺として多くの河川が東シナ海、太平洋の両海へ注ぎこんでいる。

世界の動植物学者が注目する生物が、この地に生息するのもうなずけるというものである。

国頭村に入るとすぐ目に飛び込んでくるのが生物保護の大看板。その後も種々の注意標識が掲げられていた。この幹線道路の58号線で轢死する生物、つまりロードキルが跡を絶たないからだ。

しかしカニに注意しろと云われても、どう走ればよいのか途方に暮れてしまう。以前テレビでカニ専用の道路を掘っているユニークなニュースが報道されていた。

”オカガニ”という防風林の根元に巣をつくる大きなカニは夏の産卵期に海へ向かうという。そのため多くのカニが道路を横断しなくてはならずロードキルに遭うらしい。そこでカニ専用道路の設置をするというわけである。

しかしその後完成したかどうかは未確認なので、やはり注意をしなければいけない。カニと云えば海側を注視してしまうが、この場合は山側から出現するのだろう。そんなことを考えているうちに奥間まで来てしまった。あの「オクマビーチ」のある地である。そのビーチから北東2kmのところが沖縄本島主要バスの北の終点、辺土名(へんとな)バスターミナルがある。

                 洒落たコテージのあるホテル敷地内を通り抜ける道路

奥間の交差点、右に行けば比地大滝、左に曲がればオクマビーチ。

左折するとすぐにホテルの敷地内へと道路がつづいていた。

ホテルは「オクマビーチ」をプライベートビーチとしている「JALプライベートリゾートオクマ」である。

このホテルはコテージが集落のように設営されメインビルのような高い建物はいっさい見当たらない。

そのためフロントのあるメインオフィスが見つけにくく通り抜けてしまった。

車中で地図を再チェックすると、この道の先に赤丸岬なるポイントがある。間違ったのを幸いにオクマビーチの前にそこを訪れるべく車を先へと走らせた。

しばらく走るとこの一本道が米軍施設のようなゲートへと伸びていた。筆者の地図には米軍基地など記載はなく、ただ「赤丸岬」とだけあった。

戻るにしても Uターンしなければならないわけで、道路上で出来なくはないが どうせするなら広い方がよい。かまわず進入した。

ゲートをくぐると いきなり大声で止められた。駆け寄ってきたセキュリティガードの説明でそこが米海軍の保養施設であることが判明した。保養地なら赤丸岬の見学と撮影を許可してほしいと申告。

最初こそポカンとした顔をしていたこのアメリカ人、すぐに猛烈な勢いでNGを出し レギュレーションの説明が始まってしまった。まったく愛想の無い軍人だ。世界一愛想が無いと定評のある中国人女性となんら大差がないのである。

このまま規則話を聞いても時間の無駄なので 『退散する』 と伝えるとトタンに笑顔になった。やれば出来るではないか! 彼の話で役にたったのは「赤丸岬」が《アカマル》と発音するという確認くらいのものだった。

建物に囲まれた池に咲く1輪の熱帯睡蓮

ホテルのメインオフィスに入るとごく普通のフロントがあり、物静かで落ち着いた空気があたりを支配していた。

低層建築物をつなぐ回廊が植物園のように緑と花で覆われている。

フロント近くのラウンジ、”ファウンテン”で小休止を取ることにして窓側の席に着く。このラウンジは夕刻から BAR に変貌するようだ。

大理石の敷かれたフロアとたっぷり距離を取った席間隔、窓外には内庭のような造りの池に熱帯睡蓮が1輪だけ薄青の花を咲かせていた。

米軍より返還されたこの地にホテルが開業されたのは1978年だという。その後何度も保全・拡張の改修を施したようだ。

琉球紅茶を飲んだあと、さっそくホテル敷地を見学しながらビーチへと向かう。


                           カジュアルなパームコテージ

海浜リゾートと云えばお約束のように高層建築からのオーシャンビューが重要視されてきた。

しかし近年ではヴィラ、コテージ、ログキャビンなど低層建築の宿舎も見直されてきており、ヴィラタイプなどは丸ごと一棟を専用するリッチさを味わえるので、高層のペントハウス(最上階)よりもトッププライスである。

こちらのゲストルームもすべて低層タイプで設計されており、ヴィラスタイルからカジュアルなコテージまで4ゾーンに分けられていた。

それぞれのコテージ群が植物庭園の中に散りばめられたようで、周りには空を遮る高いものもなく自然の只中にいる感覚をもたらしてくれる。

ただしパームコテージと呼ばれるカジュアルなコテージ群は水色と白で明るく彩色された低層アパートメントで外観から観るかぎりリッチ感は無い。周りに配した水辺だけが救いになっているように思う。

屋外プールを眺めながら海岸へ出ると広々とした浜辺が1キロ近くも展開していた。砂浜は人工ビーチのように岩礁ひとつなく真っ白である。しかしここは自然が創った正真の天然ビーチであった。

遠浅で奥行きのある浜辺が、やはり広く高い青空にとても似合っている。ビーチに設備されているものもコンパクトなマリンハウスと海に突き出した白い桟橋のみと、いたってシンプルで好印象のビーチであった。

マリンハウスをのぞくと壁に案内があり、マリンアクティビティー、親水プログラム、自然体験ツアーなど潤沢なメニュー(ガイドページ参照)がびっしりと並んでいた。また一般ビジターにも開放されているので、車さえあれば北部やんばる地の唯一のリゾートビーチを存分に楽しめるのだ。

駐車場には来た時と違うコースを通りながら戻ったが、とにかくホテル敷地内はどこを歩いても したたるほどの緑に溢れて自然を身近に感じられる。非日常体験やプレジャーも大いに魅力的ではあるが、もしかすると本当の贅沢というのは何もせずに居られる場所に身を置くことかもしれない。

               太陽と緑がいっぱいのホテル敷地内


「JALプライベートリゾートオクマ〜オクマビーチ」のガイドページへ


ヤンバル地の入口にもなる名護市北部にある離島、屋我地島(やがぢしま)、古宇利島(こうりじま)。以前より訪問したかったのだが、バスが途中までしか運行されていないので後回しになっていたポイントだ。

午前中から車を飛ばし、比地大滝を訪れ大汗をかいてしまったが、まだまだ陽は高い。迷うことなくこの橋づたいの離島めぐりを即決した。

橋つづきの離島は「うるま市」にある海中道路で本島とつながる「伊計島」に似ている。そこでは平安座島・宮城島・浜比嘉島・伊計島の4島がつながっていた。北部のここでは、奥武島(おうじま)・屋我地島・古宇利島の3つの離島だ。

本島と離島に囲まれた羽地内海が引き潮で干潟の表情を見せる

屋我地島・古宇利島方面への橋のそばにはロードパークがあった。そこで停車しマップを広げて確認すると、その橋の左側に展開する海は本島と離島に囲まれた「羽地内海(はねぢないかい)」だと判った。

内海という文字を見たとたん、その海に接してみたくなり駐車場に車を停めた。ひとくちに内海と云ってもいくつかの種類があるのをご存知だろうか。日本でもっとも有名な内海は瀬戸内海だろう。瀬戸内海のように大きな陸地と陸地に挟まれた水域も内海のひとつ。

そして陸地にもぐり込むように袋状に入った水域である《湾》も、実は内海のひとつなのだ。そして島や半島と大陸に囲まれ、海峡を通して外洋に繋がるここのような水域も内海という。ちなみに潟は海とつながっていても沼湖に類別される。

                        ロードパークの前に広がる羽地内海

湾に関しては全国の相当な数の経験を持つが、小島と陸地に囲まれる種類のこの内海は初体験であった。

内海を鑑賞するにはほどのよい遊歩道があり、ついつい長居をしてしまった。

しかし山陰の荒い日本海を見て育った筆者には、静かすぎるこの内海は少々物足りなかった。

潮の満ち引きだけがつくる表情の変化は、まるで能舞台で舞う能面のように、心情変化を寡黙に語る静けさだった。

橋を渡るとそこは奥武島と云う小さな小さな島で、まるで屋我地島への踏み台にされているような飛び島であった。

周りにはお墓ばかりの、車で通り過ぎれば誰もが気が付かないほど短い距離の島である。沖縄では小島がよく墓場として利用されることを...後で知った。その時はそんな因習などを知るはずもなく、無邪気に歩き回ってしまった。

屋我地大橋

墓と云えば昔から伝承されている説話に こんな話がある。

墓穴を掘ったあと そこを埋めると不思議なことに必ず土が足りなくなるという。棺を納めているにもかかわらずである。

墓穴など掘ったこともなく、ことの真偽を確かめたわけではないが、残っている墓守(はかもり)の証言記録ではどうもそのようである。

魂の抜けたあとにできた別世界へとつながるパイプ、そのパイプがふさがるまでのほんの少しの間に土が別世界へこぼれ落ちてしまうのだろうか。

奥武島(おうじま)から屋我地大橋がまっすぐに次への島へと架かっていた。

この全長300mの橋上を通る県道110号線を北上し、屋我地島へと上陸するとすぐに目に入ってくるのが屋我地ビーチ。


                 屋我地ビーチ

入口にはゲートがあり、有料となっていた。

入場料大人500円、小人300円とある。つまり遊泳料のことだろうか。

また駐車料は自動車600円、単車300円。遊泳料も駐車料もダブルでかかるビーチだった。

海岸線は干潟のような浜辺で、磯近くまで まばらな樹木が立ち茂り、沖の近場には緑をかぶる岩礁がいくつも点在している。

水辺はまるで干潮時のような景観を見せていた。遠浅の砂地が岩礁までつづいており、磯遊びもできそうである。南北に展開する全景が南海のビーチというよりは、本州日本海に見られる風景に近い。早々に退散し車に戻ることにした。

5分も走ると県道110号線の右側に立つ看板が目に入った。「済井出ビーチ」と書かれていたが どう読んでいいのか判らないまま その案内のあった方へと右折していた。

すぐに青地にマリンスポーツと書かれた幟(のぼり)が目印となり駐車スペースへ車をパークさせる。駐車料も300円と手頃な料金だ。

浜辺の手前には”モクマオウ”の樹が適度な木陰をつくってくれている。そこを抜け海岸に出ると透明度の高い海が待っていた。しかもとんでもなく遠くの沖合まで遠浅がつづいていた。

20 mくらい沖合でも家族とおぼしき一団が水中に立ったままでシュノーケル遊びをしているのが見てとれる。何かを発見した子供たちの興奮した声が水面を滑ってきて、こちらまで楽しくなってくる。

このビーチ、「すむいで(済井出)ビーチ」と読むらしい。裸足になり裾をまくって、しばらく遊んでゆくことにしよう。

           済井出ビーチ


「屋我地島」のガイドページへ


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橋つづきの離島 「屋我地島(やがぢしま)」にある済井出(すむいで)ビーチで磯遊びをしているうちに、思いがけず浜づたいにかなり北まで歩いていた。

捕まえたカニに逃げられ、新たなカニを探してかなり北まで来てしまったのだ。その行動たるや ほとんど児童レベルになっていた。あわてて駐車場へ戻ることにした。

「屋我地島」から次の離島である「古宇利島(こうりじま)」へ渡るべく車をとばしていると前方に十字路が見えてきた。左は古宇利島、まっすぐは「国立療養所愛楽園」とあった。

地図を見ると その療養所の裏になる北側には弓なりになった浜辺がある。携帯ネットで調べると 「愛楽園」 はどうやら ”ハンセン病” の療養所のようだった。迷惑にならないでその浜へ行けるか試すことにして直進する。

ぶつかった療養所の外周道路を建物沿いに左側へ回り込むと大きなパーキングロットがあった。ガラガラに空いていたのを幸いに駐車し、海岸を目指した。

古宇利大橋の全景が鑑賞できる「国立療養所愛楽園」裏の海岸

丈のある草むらを抜けると いきなり絶勝の景観が目に飛び込んできた。2 kmもあろうかという古宇利大橋が海上を真一文字に走り「古宇利島」へと架かっていた。

療養所の裏ということもあり、ほとんど訪れる人がいないのだろう。砂地に生えた草が踏まれていないので伸び伸びとしていた。ハマヒルガオまで妙に生き生きとしている。誰もいない淋しい浜なのにどこか温かいものを感じ、ひと目でこの浜辺を気に入ってしまった。

”ハンセン病”と呼ばれる病気のことを知ったのは、はるか昔の子供の頃だった。多感だったその頃にこの病にからむ事柄でふたつほど深い感銘を受けたことがあった。

今でこそ治療により快癒するようになったし、日本での発症例もほとんどなくなっているが、以前 ”らい病”と呼ばれたこの病気は伝染性の難病として広く知られていた。症例記録は紀元前まで遡るほど古く、発症範囲は全世界の広域に見られる名うての悪病として恐れられていた。

                 目一杯 元気なハマヒルガオ

その病名を初めて聞いたのはアカデミー賞を11部門も独占した「ベン・ハー」という映画であった。

ドラマ後半に主人公ジュダ・ベン・ハーの最愛の母と妹がこの病気にかかり、死の谷に隔離され死を待つばかりという設定のところだ。

伝染する恐怖をものともせず死の谷に踏み入り、重篤の家族と再会を果たす主人公。

そして神による慈雨で快癒してゆく感動的なラストは、子供心にも強烈な印象となって脳裏に焼き付いてしまっていた。

それから間もない頃、またこの病名に遭遇することになった。

少年時代 やや早熟であったのか日本史に傾倒し溺れていた時期があった。

戦国時代に登場する白頭巾の武将 大谷吉継(おおたによしつぐ)に興味を持ち、調べてゆくうちにふたたびその病名を聞くことになる。彼はこの病気に感染していたのだ。

親交のあった徳川家康も一目置くほど文武に明るく聡明な武将であった吉継。しかし豊臣政権下での活躍中はすでにこの病気に侵され、頭巾で顔を隠していたため他の武将たちには周知のこととして広く知れ渡っていた。

秀吉主催による、点てたお茶を一口づつ喫してゆく大阪城での茶会においてのことである。吉継が飲んだあと感染を恐れ たじろぐ武将の居並ぶ中で、ただ一人平然とそのお茶を喫した武将がいた。 石田三成であった。 その何事もなかったようにふるまう三成の姿に吉継は激しく感動したに違いない。

古宇利島(左奥)も見える愛楽園裏のビーチ

爾後、親交を深めたふたりには友情が芽生え、関ヶ原の戦いでは家康との交誼があったにもかかわらず石田三成側に立った。

戦闘人員の数から見れば東軍(徳川家康)より圧倒的に有利な西軍(石田三成)に味方することは当たり前のようにも思える。

しかし聡明な大谷吉継は大軍を擁する西軍(石田側)でも負けるであろうことを鋭く予測しているのである。

敗戦のおそれとなるところの補強戦略を、言葉を尽くし三成を説諭している。そのことがいくつか歴史記録として残っている。

にもかかわらず石田に付き、結果西軍は彼の懸念通り大敗してしまう。そして最後には従容と潔く自刃するという乱世では稀有の武将、大谷吉継であった。

この吉継の行動に、やはり気持ちを強く揺さぶられ感動したことを覚えている。

以上のようなことからこの病名にまつわる特別な感情が幼い心に焼印のように残された。

ネットによると、ここの沖縄愛楽園の創設が昭和13年というから、戦争前の時代に開設され70年以上も歴史を刻んでいるようだ。

おそらくその頃の感染者は世間から隔絶され隠れるように療養生活を送っていたのだろう。施設に隣接するこの穏やかな浜辺で、罹患した療養者たちが静かに残された時を過ごしていたことが想像される。

浜の中ほどに打ち捨てられたように木椅子が置かれていた。ちょうどいい所に椅子があると思い座ってみようと近づいたのだが、きちんと海を向いたその椅子はまるで主人が座るのを待っているような風情に映って見えた。

椅子の隣りの草地に腰をおろし、この椅子の主人が見たであろう磯景色を眺めることにした。


西側の古宇利ビーチ

定規で引いたような古宇利大橋を渡ると、古宇利島に渡った橋のたもとには遊泳客でにぎわうビーチがあった。橋脚の左右に展開する小ざっぱりとした古宇利ビーチである。

古宇利大橋をはさみ両側のビーチにはパラソルの花が開き、ビーチ沿いの奥には白くきれいな護岸コンクリートがロードパークのように築かれていた。

ビーチより少し奥まったところにあった駐車場に車を入れ、ゆっくりビーチへと出る。遊泳客のほとんどが西側ビーチに集中していたので、東側のビーチへ出ることにした。

                      比較的ゆったりしていた東側の古宇利ビーチ

砂浜からすぐのところには斜傾の護岸堤が築かれている。

その白い堤が左右の沿岸を蔽うように遠くまでつづいていた。

橋脚近くにはたっぷりとあった砂浜だが、左右に広がるにしたがい奥行きが狭くなり、途中から砂浜が消え護岸堤だけが海に接している。

この堤で寝転がり手枕をすると、海を眺めるに ほどの良い傾斜度であった。


堤には地元の子供がふたりだけ。子犬のように じゃれあっている彼らは、どうやら兄弟のようである。

近くでしばらく遊んでいたが海ぎわの方へと興味が移ったようだ。

遠ざかるふたりの後ろ姿がなぜか懐かしい風景に思えて、急いでカメラを取り出しシャッターを押していた。

朝早くから起き出し比地大滝を歩きまわったせいか、寸刻で眠りに落ちたらしい。

あまりの暑さで目が覚めた。全身ぐっしょりと汗にまみれている。

慌てて日陰を探すため あたりを見回したが、らしきものはいっさい見当たらない。橋向こうの東海岸線の端に樹林が見えるが相当な距離だ。

どうやら逃げ場は車しか無いようだ。しかし陽を避けるような建物が無いからこその離島でもある。車にもどる前に海にひと目会ってゆこうと浜へ下りた。

            遠浅のビーチの向こうには屋我地島、沖縄本島が

底が透けてどこまでも見える遠浅の水ぎわだった。トルコ石のような青色の水面で太陽の光が泳いでいる。水平線の向こうには屋我地島、その奥には沖縄本島の陸影が浮かぶ。

車までもどりエアコンを最強にして、汗だくの身体に涼をとらせる。外周が8kmほどの島なので時計回りで一周すべくスタートさせた。

屋我地島の愛楽園の浜辺で見た古宇利島は底の深いお皿を伏せたような形状をしていた。車で回って観察すると海岸段丘となった隆起サンゴ礁の円形の島だった。

道の脇にはサトウキビや紅いもと思われる畑が広がっているが、ほぼ海岸線に沿ったのどかなドライブが楽しめる。途中で小高い丘を発見し、古宇利島最後の休憩をとることにした。

ちょうどいいタイミングなことに、陽が急速に傾きはじめ暑さも落ち着いてきた。その丘からは海をはさんで正面に本島の今帰仁村(なきじんそん)が見える。

足元の海上を滑るように船が入ってきた。そして羽地内海へとつづく海峡へと消えてゆく。ここを通る船は今帰仁村にある運天港とここより30km北に位置する離島「伊是名島」をつなぐ航路だけだ。伊是名島から帰ってきた定期便のフェリーなのだろう。

急に南の洋上に浮かぶ久高島のことが思い出された。沖縄を来訪してまだ間もない頃に立ち寄った安座真フェリー港で日帰り可能な久高島を知った。滞在中に必ず訪れようと決めた離島だった。

あれから2ヶ月以上も経ち、滞在残り日数も数えるほどになってしまっている。さっそく明日には神の島 「久高島」 を訪れることにしよう。

「古宇利島」のガイドページへ


少し飛ばし気味に車を走らせていた。沖縄本島南部の知念半島に敷かれた国道である。早朝の風が肌に心地よい。今日は沖縄を訪問して初めてフェリーによる離島渡りを予定している。

安座真(あざま)港から久高島行きのフェリーが9時に出発をする。起きぬけのコーヒーを一杯だけひっかけ飛び出してきたのだが、予想外に手間取ってしまった。

9時に間に合わなければ、高速艇ではないが10時にも一便があると聞いていた。

国道331号線の海岸線ドライブを楽しむため、アクセルをゆるめる。

風で泡立つ海面が朝日を照り返し、黄金色のモザイク模様をつくっていた。

安座真港からの久高島航路はふたつの船が一日6往復をしている。

高速船 「ニューくだか」と「フェリーくだか」だ。

久高島まで高速で15分、通常船で25分という手軽さで、乗船料も 「ニューくだか」 は往復で1410円、「フェリーくだか」 が1240円というお手頃料金である。久高島発の最終便が午後5時30分なので日帰りでもたっぷりと遊べる離島だ。

安座真港にある定期船待合所に着くと、ちょうど 「ニューくだか」 が出船するところであった。港湾を静かに滑り出す船を見送り待合所に入った。

次のフェリーは車が4台まで乗船できるとあって、車で行くという思いつきが頭をよぎった。さっそく売券売場のスタッフに相談すると、しきりに現地でのレンタルサイクルを勧められてしまった。

自転車で走り回る体力ありと判断してくれたのか、車で行かせると乱暴な運転をしかねないと思われたのか定かではなかったが、島の全長3km 周囲8kmというから小回りのきく自転車で回ることにした。

乗り込んだ 「フェリーくだか号」はまだ新しいのか、真っ白な船体からエンジン音も高らかに安座真港を出発した。後方に残されてゆく波しぶき、その向こうでは遠ざかる知念半島の山々を大きな雲の影がおおってゆく。

乗客が4家族からなる母子グループの一団と数人の客だけであったせいか、船内ではとてものどかな空気が流れており、期待どおり伸びやかな一日を予感させてくれていた。

デッキ前方で潮風を胸一杯吸い込みながらクルージング愉しんでいると早くも、前方に久高島と思しき島影が視界に入ってきた。

テトラポッドを積み上げた堤防を抜けると久高島の徳仁港

島に近づくと海岸線をぐるりとテトラポッドがうず高く積まれていた。さらに近づくとそのテトラは堤防を形成していた。もともと堤防を守るためのものだから、堤防そのものに使用して悪いわけがないのだろう。

岸とその堤防に挟まれた水路に入ると久高島の表玄関とも云われる 「徳仁港(とくじんこう)」 に着いた。 折しも港は大工事の真っ最中であった。(2011年現在は、新しい桟橋埠頭や丘上にはしゃれた待合所が完成している)

                      丘上では久高島の石標が徳仁港を見下ろしていた

下船してあたりを見回したが桟橋埠頭以外施設らしきものは何も見当たらず、桟橋から丘上へと一本道があるばかり。

丘を登り切ると久高島と掘られた石標が建てられている。

この位置まで来て、初めて久高島の土地が海岸部よりかなり高所にあることが理解できた。

やっと 《レンタサイクル》 のあるお店を発見し飛び込んだのだが....5、6台あった自転車はいずれも旧式で小ぶりなものばかり。

すでにここにいたっては選択肢が無いわけで、いさぎよく1台にまたがり出発を断行することとなった。MAPを片手に時計回りに島を一周することにしたのである。

しばらく道を走ったのだが道路の凹凸がそのまま身体を直撃してくる。車輪の空気圧をチェックしたが問題は無さそうである。このひどい乗り心地は、どうやら小型で旧式であることから発生しているようだ。

しかも大の男が乗るにはかなり小さい自転車だった。他所から見れば、まるでサーカスに登場する熊の自転車乗りである。気をとり直し自転車漕ぎを再開した。

「タチ浜」への小さな案内板は手づくり

自転車と格闘しながら走っていると可愛らしい案内板を発見。魚の形に切り抜かれ青く塗られている。

木板には「タチ浜」とあった。

その場所の東南側には道路に沿ってアダンの樹林が生い茂って視界をさえぎっている。

案内板の近くをよく観察すると、樹林の中にうっすらと道らしきものを確認できた。さっそく、自転車を置きそこに踏み入ってみた。

く ぐり抜けるようにその道を進むとついに海岸へと出た。

そこの海岸、つまり 「タチ浜」 と呼ばれる浜辺はまるで手つかずの天然海岸だった。今まで沖縄本島の浜辺ではお目にかかれなかったビーチラインが眼前に広がっている。

造礁サンゴによるライムストーンと目の粗い砂がせめぎ合うように混在し、形状変化をした石灰岩と大粒の白い砂が独特の天然画を創り出していた。

海岸を見渡しても人っ子ひとり見えない。何となく嬉しくなってきた。この瞬間、この海を独り占めしている!

独創的な造形を展開する久高島の 「タチ浜」


久高島 タチ浜

住所 南城市字久高

宿泊関連問合せ
 久高島宿泊交流館

 098-835-8919

交通
 那覇空港より 40分(国道329号線を与那原方面へ−与那原警察署前で国道331号線へ−安座真港入口の信号を左折
BUS 那覇BTから50分−バス停 「安座真サンサンビーチ入口」 徒歩5分
定期船 安座真港から15~25分−久高島船待合所 自転車10分


久高島の最初に訪れた海岸 「タチ浜」で潮の香りを愉しみながら島の先端へと海岸を北上した。浜を占拠していた石灰岩礁がしだいに消え、きれいな砂でおおわれたビーチに姿を変えた。

アダンの木陰で涼みながら眺める自然の海は格別で、聞こえてくる音も自然界が奏でるものばかりだ。まるで南太平洋の孤島にいるような感覚にハマってしまった。

まるで南海の孤島のように天然のままの海岸 「イシキ浜」

風に乗った笑い声が かすかに聞こえてきた。木陰から出て伸びあがって見まわすと、ずっと先の海辺で泳ぎ戯れる豆粒のような人影が見える。

この清閑なビーチにもついに訪問者がやって来たようだ。これを潮に島一周の旅を再開した。そのまま浜辺を北へ進むと、遠浅の沖合で海水浴を楽しんでいるのは親子連れのひと家族だった。この広いビーチをその一家に明け渡し自転車のところまで戻ることにした。

                              「イシキ浜」を知らせる手製の魚形案内板

その途中でまたひとつ 手作りの案内板を発見した。

こちらのビーチは「イシキ浜」と呼ばれていた。漢字で書くと伊敷浜と表記するらしい。

ここのビーチは7、800 mもつづく長大な浜辺で、場所によって浜辺名が異なっていた。

徳仁港に近いほうから「ピザ浜」、「イチャジキ浜」、「タチ浜」そして「イシキ浜」と呼ばれている。


ふたたび尾てい骨を直撃する自転車で島の北部を目指す。何事も慣れると こなれてくるものらしい。しばらく走るうちに、でこぼこ道でも衝撃を吸収できるようになってきた。

乗り慣れてきた自転車を機嫌よく走らせて行くと、道が真っ白な一本道となった。島の北端にある「カベール岬」へとつながる自然道だ。白い道の両側は緑が茂り、綺麗に定規で引いたように北東へ伸びている。

久高島に関しては昨夜少し予習したので、おおよその注意事項を頭に入れてきていた。島でも神聖な場所がこの北域に集中しているので、心ない訪問にならぬよう気をつけねばならない。

琉球興しの神であり始祖である”アマミキヨ”が、東のはるか洋上に浮かぶという理想郷「ニライカナイ」からやって来て、久高島に初めて降り立った場所がその「カベール岬」であったという伝説が伝わっている。

ハマユウなどの植物で緑があふれる「カベール岬」

白い道が終わり、急に視界が広がる。一面に色鮮やかな緑の植物群をたくわえた「カベール岬」だった。

小高い丘といった風貌の岬で、白い花をつけたハマユウやヒルガオなど低草群が砂地で生き生きとしている。

その緑の絨毯を越え、先端まで歩を進めると足元には素晴らしい浜辺が待っていた。


楚々とした磯はまるで隠れるように静まりかえっている。岬となっている小高い石灰岩礁が出入りの激しい複雑な海岸線のため、大小複数の入江が形成されていた。

そのどれもが個性的で隠し入江のごとく ひっそりとした佇まいを見せている。岬には案内説明板がひとつ立てられており、聖地とあった。

先ほど訪れた「イシキ浜」も島民からは二ライカナイに面する聖なる浜として大事にされており、今も祭祀用拝所が設けられている。どうやら観光客の遊泳は遠慮した方が無難な海辺であった。

「カベール岬」周辺の海岸線には離島らしい個性的な入江がいくつも広がる

岬の入江景観の美しさに魅せられて しばらくいたのだが、太陽直下の強烈な日差しを避ける場所もなく、やむなく西側の海岸線を求めて周遊をつづけることにした。

例の白い一本道を少し戻るとY字形の分かれ道が現れたので、ハンドルを右の西へと向けた。前方にフェンスにぐるりと囲まれた大型プールのような施設が出現。

                      島の北部中央にある貯水池

フェンス越しにのぞいて見ると正方形をした貯水池だった。

生活用水は島の北側に湧き出しているガー(井戸)がいくつかあるので、ここは農業用水と思われる。

島の生計主体は漁業なのだが、昔より自家用農業も重要な作事で水は不可欠だ。

この貯水池を過ぎたあたりでぶつかったY字路をさらに北西の海側へとペダルを踏み込んだ。

この舗装された綺麗な道路はロマンスロードと名付けられていた。

貸し自転車のお店を出てから出会ったのは、農作業のための移動と思われる軽自動車と海岸で遭遇したひと家族だけ。タイミングが良かったのだろうが、自分ひとりだけのサイクリングは極上の時間となった。

しかもこの道は舗装されている! ロマンスロードは海岸沿いに約500mほどつづき、そこから眺める海の色は並はずれた美しさだった。

 みはるかす海の向こうに浮かぶのは聖なる遥拝所の「斎場御嶽」のある本島知念岬


久高島 カベール岬

住所 南城市字久高

宿泊関連問合せ
 久高島宿泊交流館

 098-835-8919

交通
 那覇空港より 40分(国道329号線を与那原方面へ−与那原警察署前で国道331号線へ−安座真港入口の信号を左折
BUS 那覇BTから50分−バス停 「安座真サンサンビーチ入口」 徒歩5分
定期船 安座真港から15~25分−久高島船待合所 自転車20分


海岸沿いのロマンスロードは本島南部の知念半島を一望に収めるなど眺望の素晴らしい道だった。

全身で風を切りながら風景を楽しむサイクリングロードとして最適なコースといえる。

ロマンスロードに入って300mも走ったろうか、道の端に東屋が見えてきた。海を望む小さな休憩所だった。

島を訪問して初めて遭遇する観光者用施設だ。そこから海岸線を眺めると面白いものを発見。

東屋から少し北へ戻ったところに、海岸へと降りるハシゴが2連設置されているのが見える。

舗装された道路とこの東屋以外 人工的なものは何ひとつ見当たらない。立てかけたハシゴだけが乗降手段という、つまり自然をまるごと残した海岸なのである。

今朝からこの久高島を時計まわりに廻っているのだが、東からこの西側の海岸域まで、基本的に観光用施設は設けられていないのである。

船で渡る離島はこれが初体験なので、他の離島と比較のしようもないが、予想をはるかに超える自然度の高さには驚くばかりだ。おそらく沖縄の原風景を色濃く残しているのだろう。

戦前までまったくの自給自足の島であったと聞いている。島の周辺には珊瑚の岩礁がぐるりと取り巻き、外海から護られたイノーと呼ばれる礁池を形づくっている。

干潮ともなるとかなり広いイノーを沖の方まで歩けるようになる。女性たちは海の畑とも呼ばれるそのイノーで海からの恵みを得て生活の糧にしていたという。

ロマンスロード下のウディ浜は透明度抜群の海

ひとつ目のハシゴを降りた。ハシゴなので海に対して後ろ向きに降りるわけだが、振り返って見た海の美しさは写真や ましてや言葉などではとうてい表現できないほどだった。「ウディ浜」と名付けられている小さな浜。

砂浜に降り立つと穏やかに寄せる波が磯を洗っている。裸足になった足をなでてゆく海水がこのうえなく心地よかった。白い砂浜は猫のひたいほどしかなく、小高い岩礁が後ろに立ち塞がっている。

今は引き潮なので満潮時にはこの砂浜は海に沈んでしまうに違いない。浅い底の白い砂地から はね返った陽光が水の中で踊り、ため息がもれ出るほど透明な青色を見せてくれている。

                      満潮時には海の中に没するウディ浜

しばし大自然の海を全身に感じながら岩陰で過ごした。止まったように感じられた時間だったが現実にはとても速く過ぎていた。

ふたたびハシゴを登り東屋で水を補給。もちろんこのペットボトルは買い置きのもので、久高島サイクリングツアーには必需品である。

前述のとおり自然のままが信条の久高島。自販機などはお目にかかれないのだ。

レンタサイクルなどの店か集落近くのお店で準備することをお奨めする。

ロマンスロードの終わるあたりにまたひとつの海岸に出会えた。先の「ウディ浜」よりはるかに大きく湾状の浜辺が広がっている。「ウグヮン浜と」呼ばれるこの浜辺は、おそらく西海岸で一番大きな海岸になるのだろう。

自転車を置き、「ウグヮン浜」を見下ろす岩礁づたいに散策していると思いがけなく釣り人に遭遇をした。岩肌にどっしりと腰を据え、のんびりと釣り糸の先を見つめているのは島の住人のようであった。

湾曲した浜辺に深い青を湛えた「ウグヮン浜」

この磯での釣果を聞きたくて、餌のつけかえの機会を待ち声をかけた。

しかし何ひとつ返事を聞くことはできなかった。

最初は聞こえていないのではと思い何度も話しかけたのだが、残念ながら どうやら黙殺されていただけのようであった。

声かけには十二分の配慮をしたつもりなので失礼は無かったと思う。


人間であるかぎり虫のいどころの悪いときもある。きっとその釣り人さんにとって、気分を害する何かがあったに違いない...などと自分にいい聞かせながら、のどかな空気が一変してしまったその場所をあとにした。

自転車旅を再開したがすぐそばに「フボー御嶽(うたき)」と書かれた案内板が立てられていた。ここが久高島でもっとも神聖な場所であることはすでに予習していた。

ここが琉球開闢神”アマミキヨ”の七御嶽の第一の聖地にあたり、12年毎に挙行される大祭祀”イザイホー”の舞台となる聖域である。

立入禁止の看板が置かれた沖縄屈指の聖域をそっと眺めたあと、自転車のハンドルを南西の集落方面へと向けた。

琉球開闢伝説は神話として捉えるとしても、時の琉球王が毎年2月にはここを訪れ重要な神事を行なってきたと伝わる。

長きにわたり王府から尊重されてきたという歴史事実も合わせ持つ”神の島 久高島”。

神話から有史へと連綿とつながる年輪の重さは確かなものなのだろう。

昔より琉球では祖霊崇拝と同様に太陽神を遥拝してきた。東より昇るティダ(太陽)を 《生》 の象徴としてとらえ祈願する。逆に西に落ち入る太陽を 《死》 ととらえ、決して手を合わせることをしないという。

そのことから沖縄では東を ”アガリ”、西を ”イリ” と読む。ちなみに雑学までにご案内すると、北を ”ニシ” と呼び、南を”フェー” もしくは ”ハエ” と発音する。

沖縄本島の首里城から朝日を臨むと、ちょうど久高島のこのフボー御嶽から昇ると云われている。たしかに朝日はみなぎってゆく精気にあふれ、夕陽からは穏やかではあるがそこはかとない物悲しさが感じとれる。

ひっそりと静まりかえった集落のはずれ

なるほどそう考えると、太陽の一日の軌跡はまるで人間の一生を示しているようにもとれる。

毎日中天に輝きながら太陽は我々に知らせてくれているのかも知れない。生を思いきり謳歌するようにと。

毎日の生活や忙しい仕事に追われていては、そんな悠揚な思いに届くはずもないのだが。

自転車をこぐ前方に集落を知らせるように石垣が見えてきた。

人の気配がまるで感じられないほど静まりかえっていた。民家の中を通りぬけレンタサイクルの店まで戻ったのだが、何とただのひとりの住民とも出会わなかった。外塀に打ちかけられた漁猟網など かすかな生活の臭いは感じたが、とにもかくにも清閑とした静けさがあたりを支配していた。

徳仁港からエンジン音を響かせフェリーが動き出す。水面に逆波を残しながら走り始めたフェリーの船尾にぼんやりとたたずんでいた。遠ざかる島はどこか凛として侵しがたい表情を浮かべているように見える。この気高い神の離島は、近くにあって実はもっとも遠い島かもしれない。


久高島 ウディ浜

住所 南城市字久高

宿泊関連問合せ
 久高島宿泊交流館

 098-835-8919

交通
 那覇空港より 40分(国道329号線を与那原方面へ−与那原警察署前で国道331号線へ−安座真港入口の信号を左折
BUS 那覇BTから50分−バス停 「安座真サンサンビーチ入口」 徒歩5分
定期船 安座真港から15~25分−久高島船待合所 自転車25分




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