自然遊歩の最近のブログ記事

名護市役所から市街地の中心と云われる名護十字路の交差点へ向かった。落ち着いた町並みを歩いていると 「港川」 という細い川にぶつかった。何のへんてつもない普通の川なのだが、どこかで聞いたことのある名だ。

                           名護市内を縦断する港川

思い出せないのがもどかしく、つい川に沿って河口方面へ歩いてしまった。川沿いの道は妙に静かで せせらぎの音ひとつしない。

川巾が広くなった河口近くでルアーをキャスティングする釣り人がいた。遠目でも視認できるほどの獲物を挙げている。

こんな小さな川でも釣れるから沖縄は面白い。釣りを眺めているうちに、ようやく 「港川」 のことを思い出した。

南部の玉泉洞を訪れる途中で散策した雄樋川の流れている地区を港川と云っていた。

なんでも縄文以前の古代人の骨が発見された場所で、その古代人が港川人と呼ばれていることもあわせて思い出された。


これですっきりとし再び繁華な名護十字路を目指す。10分も歩くと かなり商店街の通りらしくなったのだが、シャッターを下ろしたままの店が目立つ。

シャッターには売店舗の紙が貼られていた。、また貼り紙も無くシャッターが閉じられている店も、定休日ではなさそうな気配である。なにやらこの通り全体が開店休業に近いムードであった。


賑やかで混んでるところはあまり好みではないが、本来人混みが想定される商店街通りが空いていると、どこか寂しげなのである。

ちょうど飲食店に飛び込みで入店したら客がひとりもいなかったときの空気感に似ている。

それでもしぶとく名護十字路の交差点を中心に商店街歩きを敢行。


すっかり汗を出し切り、のどがカラカラに干上がってしまった。涼をとるため開いている喫茶店を捜し飛び込んだ。喫茶店というよりは甘党のお店といった感じだったがそこで小休止をとることにした。

充分に冷えた水とジュースで生き返り、次の目標地選定のため地図を引っ張り出す。テーブルに広げた地図をにらみながら、店主に相談すると強力に推薦されたのが名護城跡。

一も二も無く名護城跡に決めた。人間、ときには子供のように素直になれるときがある。長く大人を演じている身には貴重な瞬間だ。

城跡は名護岳という山の中腹に設けられた中央公園の一画にあるという。早速、その登り階段のある東江(あがりえ)中学校の裏手を目指して出発した。距離にして1km弱の道程だから10分ほどで行けるだろう。

中学校の脇を抜けると川沿いの道と合流した。港川と同様に市内を縦断する「幸地川」だった。

その川沿い道を上流に少し歩くと、登り口の階段を発見した。

階段にかぶさる樹林のおかげで石段には葉陰のまだら模様が映り、強い直射日光を和らげてくれていた。

途中に車道を横切ったりしながら果てしのないような階段を登りつづけた。


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さすがに登りの連続であごを出してしまったが、ほどなく石造りの鳥居と拝所のような建物が視界に入ってきた。鳥居をくぐると神社のように御堂と思しき祠とその前部には参詣人の奉納を受ける賽銭箱が置かれた建物があったが、屋根だけは琉球赤瓦が葺かれていた。

そしてそこから参道のように石燈籠が並ぶ脇道が伸び、先にはさらに上部へと つながる階段が待っていた。両脇を石灯籠で固めたこの階段が名護城跡へ登る最後の石段であった。

やっと最上部に位置する名護城の跡地に登り着く。しかしそこには何も無かった。城壁の石積みはもちろん遺構すら残っていなかった。(ガイドページに写真)

隅にあった案内板によると、琉球でも珍しく城壁を有せず二重の掘り切りだけを防御ラインにした土塁グスクで、城跡にはいくつかの拝所のみが存在するとあった。

実際のところ その主郭となる敷地もそれほど広くもなく、山の傾斜や樹林などの自然要害を利用した城塞であったのか。こういう時こそ人類に備わった特殊能力、つまり想像力をフル活動させなくてはと変に張り切ってしまった。

唯一の防御線であった掘割の位置を見学しようと、ハブが出そうな原生林のような中を探訪したり、他に攻略ルートは無いのかと道なき道を繰り返し歩いたりと夕刻近くまで居てしまったのである。

山を下りた頃には名護の街なかにネオンが点り、こころなしか活気が戻っていた。そしてこころ残りはただひとつ、サンセットビーチでのサンセットを見逃してしまったことだった。


「名護市街」のガイドページへ



「遠〜いッ!」 バス停「慶佐次(げさし)」を降りた時の偽らざる感想である。

那覇BTを出発して3時間半もかかってたどり着いたのだ。往復だけで1日の3分の1を費やしてしまうのである。新幹線なら東京から大阪まで行ってお釣りがきてしまう。

バス移動もそれなりに楽しいのだが、目的地での行動時間を一挙に削られてしまうこと、それがとても大きなロスと感じてしまった。

この2ヶ月ものあいだバス旅行にこだわって廻ってきたが、本島北部をバスで回るにはそろそろ限界になってきたのだろうか。そんなことを考えながら国道331号線を歩いていると大きな河とそこに架かる橋が見えてきた。

橋の名は「慶佐次大橋」、河の名は「慶佐次川」。とてもシンプルで覚えやすいネーミングだ。

橋の下ではカヤックの集団が漕ぎ方の実習中で、楽しげな笑い声が水面を滑ってゆく。その先にはマングローブが群生していた。初めて見るマングローブだった。

                     河の両側を覆うように広がるヒルギのマングローブ林

緑色の絵具をあたり一面にぶちまけたようにマングローブが広がっている。

昨夜予習した情報によると、10ヘクタールとあった。東京ドーム2個分の広さである。

3時間半のモヤモヤがどこかへ消え、とたんに楽しくなってきた。

アイポッドから流れてきた音もちょうどいいBGM になった。アル・ジャロウがゆるく "This Time" と唄っている。

さっそくマングローブへと向かうと「ふれあいヒルギ公園」というところを通り抜けることになった。

公園の一角で、カヤックに使用するダブルパドルを持ちながら講習を受けている一団に遭遇。しばらく眺めていたがまったく面白くないので先へと急いだ。

マングローブの目の前まで到着すると、群生するそのヒルギ林の中へと遊歩道が設置されていた。しかもウッドデッキスタイルのプロムナードである。アイポッドのスイッチをオフにして木製通路へと踏みこんだ。

デッキを奥へ奥へと進み緑一色の中へ埋没してゆく。あたりは静かで人っ子ひとりいない。遠くに講習会の一団が騒ぐざわめきがわずかに聞こえるだけだった。

自然の中の沈黙に包まれると、世界に絶対無音というものが無いことを改めて知る。

ヒルギの根元を洗う水、風でこすれ合うヒルギの葉、ときどき唄う虫の声、かすかな音量だが雄弁に語りかけてくる。

ここのヒルギ林は3種だった。”オヒルギ”は身にいっぱいの花をつけている。下方を向いた筒状で3cmほどの花弁が赤く色づいていた。

一方 ”メヒルギ”は白い清楚な花をつけている。ヒルギは夏に花を咲かせる。

ちなみに名の[オ]と[メ]は雌雄の別ではなく、まったく別種のヒルギである。(写真はガイドページに)

そして3つ目は”ヤエヤマヒルギ”という種で、やはり白い花をつけるが3種ともに形状は違う。

水位を見るとかなり低くなっている。干潮が始まったのだ。

ウッドデッキの遊歩道の端まで行き、ヒルギ林を眺めているうちにもっと奥へ入ってみたくなった。手段はカヤックしかない。干潮が進みすぎるとカヤックに乗れなくなるので、急いで公園まで戻ることにした。

最初こそバランスの取り方や両側に水かきのついたダブルパドルの漕ぎ方にとまどうが、水辺に出ればなんとかなってしまうのだ。

水辺から見るヒルギ林は見下ろしの風景よりも素顔に近い表情をしている。

汽水域(河口の淡水と海水の混じり合う水域)ながら水面下で塩分に抗しながら成長をつづける幹がタコの足のように交叉する。

上部からは緑多く花まで見せるヒルギだが、水面まで視点を下げると逞しい姿を見せてくれる。

ヒルギは他の植物に比べ二酸化炭素をはるかに多く吸収し、人類に必要な酸素を多く生成してくれるまことにありがたい樹木なのだ。

今まで東南アジアなどの亜熱帯地域に群生して、地球環境の保全に貢献してくれていたのだが、最近では海老の養殖場のため伐採され急激に減少しているという。

日本ではあまり馴染みがないため外国でのニュース出来事として知る程度だったが、しだいに国単位のレベルではなく地球規模の危機として意識されるようになってきた。

しかしマングローブ保護の意識が低いと云うだけで安易に責めることはできない。人間は頭で理解できても、身体で実感しないと本気にならない習性がある。自国にないものが危機に瀕していても実感の持ちようが無い。

郷里の自然が消失して初めてその価値を知る。ここ東村のヒルギ林は今話題になっている普天間基地の代替え案になっている名護市辺野古とは10kmほどの距離。いつ何時、人間の身勝手な理由で消失の危機に見舞われないとも限らないのである。

人間は忘れることも速いが、順応性も速い。こうして自然のマングローブ林に触れることでその危機感や保護意識の向上は確実に増すことになるだろう。

水上遊覧を愉しんでいたのだが、干潮が進み やむなく陸上に引き上げる。干潮の様子を観察するため再度プロムナードを歩くことにした。途中階段が設けてあり下に降りられる箇所があった。

もちろん階段最下段には柵止めがされており外にまで出ることはかなわないが、干潟地を観察するには十分だ。早くも干潟になった泥地から顔を出した小動物が活動を始めていた。

”シオマネキ”、”ミナミトビハゼ”に加え、鳥や昆虫まで発見できる。けっこうな種類の生物が生息しているようだ。もうしばらく彼らとつきあっていこう。


「慶佐次湾のマングローブ林」のガイドページへ


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150メートル以上はありそうな どっしりと重量感のある「藪地大橋」を渡る。人の住んでいない島に架かる橋とは思えないほど立派なものだ。

ずいぶん昔には民家もあったようだが今は無い。現在の島は農耕地として本島の農家が利用し、通いで手入れをしている。

”やぶちお ゝはし” と彫られた親柱

石龍があしらわれた親柱には、一度は観光地として開発されかかった時の勢いが、わずかながら残っていた。

橋上から藪地島へとつづく道が両側から緑で蔽われているのがわかる。

外来種で繁殖力旺盛な”ギンネム”がかぶさり道を喰い尽くさんばかりだ。

島の中に踏み入ると道は一本になる。しかも歩くうちに舗装されていた道もいつしか自然道になっていた。


どこまで進んでも一面はサトウキビの畑が広がっているばかり。海岸線を見たくて何度も道から離れ、島の端へ出ようと挑戦したが駄目であった。

低木ながら密集しながら繁茂するギンネムやアダンの樹林群でまったく近づけなかった。その後、20分も歩いたろうか。突然道が終わり島の南端にたどり着いた。

道の終わりは小さな広場のようになっており、隅には案内板が立っていた。この島には 「ジャネー洞」 と呼ばれる古代の洞穴が残されているとあった。

            薄暗い闇がポlッカリと口を開ける 「ジャネー洞」

案内板に導かれるように 「ジャネー洞」 の前まで来てしまった。沖縄最古の土器が発掘されたことから、この洞穴は縄文期古代人の住居であったと推定されている。

さっそく中に潜入した。先祖発祥の聖地として崇められているようで洞穴内の数ヶ所に拝所が設けられている。奥に進むにつれ暗さは増し、穴内も狭くなってゆく。


正直なところ洞穴内の不気味さは尋常ではない。まるで横溝正史の世界である。

その上、誰かが野宿したような形跡が洞内のいたるところに残っているから、なおさら妖しく映る。

置き忘れられた毛布やタオルなど生活臭のあるものから古びた傘までが転がっているのだ。

まるで他人の古民家にでも侵入したような感覚になってくる。

洞穴内の奥から何かが出てきても不思議でない雰囲気が漂っている。

と思いながらも、ついつい奥へと歩を進める。しかし、いよいよ狭くなった洞内には光も届かず、最奥部に近いと思われるところから引き返すことにした。

外へと出ると、今まで洞穴内に充満していた圧迫感から解放されたように、空気まで軽やかに流れていた。

洞前の小さな広場の先に樹林が見えた。その森に近づくと樹木の間にうっすらと野路ができている。その路をたどるように樹林を抜けるといきなり海岸に出た。

砂地より石がごろごろと目立つ荒々しい浜辺で、南へとつながる海岸の波打ち際には岩礁が生え、観光者におもねることもない昂然とした風景を創っていた。

  藪地島南端の海岸線

この海岸をあとに藪地島を離れるべく、再びサトウキビ畑の中へと戻った。

後日談になるのだが、那覇で知り合った住民から藪地島にはハブが多い島としても有名であると教えてもらった。海岸を求め道を離れブッシュに入るなどの行為はもっての他であると厳重注意を受けてしまった。

いずれにせよ、この藪地島の見学はかなりディープな観光となるのでパスする方が無難だろう。よほど時間があり、自然遊歩がお好みの方なら挑戦するのも一手。


「藪地島」のガイドページへ


やんばる ロード 5

金剛石林山への入口に近づくと、かたわらに立っていたスタッフが屋外駐車場へと誘導してくれた。券売所で料金を払うと待機中のシャトルバスに乗るように案内される。

遊歩するためのベースキャンプとなる ”精気小屋” へと入場者を運んでくれるのだ。遊歩コースは全部で4つ設けられている。《奇岩巨石コース》、《絶景コース》、《森林コース》と《バリアフリーコース》の4コース。(詳しくはガイドページを参照)

                             奇石巨岩コースでのワンカット

動き出したシャトルバスは山道へと進入して行くが、大揺れに揺れる道でまるでシェーカーで振られる氷になったような気分だった。

なるほど一般車輛をパークさせ、シャトルバスで移動する必要がうなずける。

簡素なつくりの精気小屋に着くと迷わず《奇石巨岩コース》へと出発した。熱帯カルストが織りなす石灰岩の奇観が延々と展開する。

石を貫くほど生命力のあるガジュマルと奇石のコラボレーションは自然が創る美術品でもある。

緑と巨岩の白が混ざり合う風景に目を奪われるが、道程の斜度がけっこう厳しく、足元からも目を離せない。

大汗をかきながらコース終盤にある奇観の ”悟空岩” までたどり着くと、石灰カルストの石山が青空を背景にそびえていた。

悟空とは天竺(インド)まで旅をした三蔵法師の従者の名だが、その旅程に見るような景観を想いえがき名付けたのだろうか。

奇石巨岩コースの終わりはバリアフリーコースにぶつかっており、板敷きのなだらかなボードウォークが山裾を走っていた。

荒くなった呼吸を整えながらボードウォークを回遊。途中池を見下ろす場所があったがすこぶる景勝だった。池の名は ”鍋池” と云った。

カルスト地形の中で静かに水を湛える鍋池

池脇にあった東屋のような休憩所でしばらく眺めることにした。

小さな小さな池なのだが色は北海道の湖のように鮮やかな緑色で、白い奇岩に埋められた宝石のようだった。

ボードウォーク歩きを再開するとすぐに ”烏帽子(えぼし)岩” を発見した。

鋭利な刃物が空に向かって突き立っている...烏帽子よりそんな感じの岩が連なっていた。

そのあたりは《絶景コース》の出口にもなっていたので、そのまま逆行して大パノラマ展望台を目指し、もうひと汗流すことにした。

山肌を縫いながら細道が高みへとつづく。肩で息をするようになった頃にようやく大パノラマ展望台に到着した。

そして、そこから見下ろす眺望は息をのむほど素晴らしかった。


辺戸岬灯台や辺戸岬の絶壁を見渡せたヤンバルクイナ展望台すら、ここから見れば、まるでジオラマの小世界だった。ストレートに感じさせてくれた...今まで大汗をかきながら歩いた場所が何と小さなところかと。

まだ大学を卒業したての新入社員の頃、必死にしがみついていた言葉がある。 『 壁にぶつかったり、何かに悩んだり堂々めぐりを感じたら、2階に登って自分の居たところを眺めろ 』 すっかり忘れていたそんな言葉を思い出していた。

    かすかに丸くなった青く けぶる水平線や地表の緑に落ちた入道雲の影

ヤンバルの自然と空気を身体のすみずみまで取り込みながら、山を降りた。下りの道程は軽やかでアッという間に精気小屋に戻ることができた。

不足した水分をかき氷で補給しながらテラスへ出ると、犬の出迎えを受けてしまった。どことなく淋しげな表情をした犬だった。こちらから友好の情を表したのだが、反応も表情に似て極めてひかえめだった。

しかし筆者の移動するところにはそれとなく付いてきてくれる。ひかえめに距離をとって横たわるのだ。しかも視界に必ず入る場所にである。そしてじっと見つめられているのがわかる。

見つめ合うのも変なので、帰りを一気に走ろうとしている北部東海岸線のMAPをチェックしながらよそ見などをする。そのうち自然な空気感になるから不思議なものである。

しばらくそんな時間を愉しんでいたが、表の方で係員がシャトルバスの出発を知らせ始めた。ひと便遅らせようかとも考えたが、これ以上いれば必ず後ろ髪をひかれることになる。駆け込みながらシャトルバス最後の乗客となった。


「金剛石林山」のガイドページへ


ちょっと贅沢な国内旅行 style(スタイル)

やんばる ロード 7

今回もひきつづき北部へのレンタカー旅をプランし早朝より出掛けた。見学するには時間がかかるため前回パスした「比地大滝」が本日のメインである。レンタカーで楽に移動できるので、多少の体力消耗ならと、たかをくくって大自然遊歩を決め込んだのだ。

ルートは前回同様に国道58号線をまっすぐ奥間の交差点まで北上する。左はオクマビーチへ、右は比地のキャンプ場へと分かれる。信号を右折し比地へと向かった。

しばらく走ると奥間川と交わり、なおも行くとふたたびもうひとつの川に出会った。この川が比地(ひぢ)大滝から西流してきた比地川である。

                        ゲートを入ると そこはキャンプ場入口

道は比地川により添うように並んで伸びており、川に沿って走ること数分で目的の比地キャンプ場に到着した。

メインオフィスのある管理棟はログキャビンづくりである。テラス兼備の食堂にシャワーやトイレなども備えている。

ゲートで入場料を支払っていると壁に貼り出された注意書きが目にとまった。

「心臓病の方」「体力が心配な方」「妊産婦の方」はご遠慮くださいとあった。しかも赤字である。

また大きな文字で「ハブ」「ヒメハブ」に注意! その横にはご丁寧に10種くらい図解入りで、このあたりに出没する蛇の特徴が説明されていた。

自慢じゃないが、こちらは生来、頭も気力も丈夫なほうではないのだ。逡巡する身体にムチ打ちゲートをくぐった。

敷地内の最初にあったのはキャンプエリアで、テントを張るキャンプ台がそこここに設置されている。大滝までのコースはこのキャンプ場を抜けて行くようだ。

ところどころ張られたハンモックで寝ている姿がとても涼しげな風景をつくっていた。キャンプ域を出ると登り道が始まり先の方にはミニダムのような小さな堤防が見えた。

比地川砂防ダム

その堤防の近くに説明板があった。高さ10m 、幅63m のミニダムの名は比地砂防ダムといった。

近づくと堤の右岸側に細い魚道が設けてあり、この水流を 《リュウキュウアユ》が産卵のため さかのぼると書かれていた。

道はすこしづつ勾配を増しながら山の中へと入ってゆく。広かった空もしだいに狭くなり樹林に覆われてしまった。

そのあたりから道は木造りのボードウォークに変わり、かなり歩きやすくなった。

入口から大滝までの距離1.5 kほどだが、その間の道は自然道とこのボードウォークの組み合わせになる。

序盤こそ森林浴を楽しみながら歩いていたのだが、高低差の激しい行程に息が弾んできた。

ところどころにある階段も斜度が激しく、まるで ”はしご” かと思いたくなるようなしろものが出現するのである。しかも長〜いのだ。

ハンカチなどでは間に合わない量の汗が噴き出してくる。かなり肩で息するころになると東屋が現れた。そこに飛び込み ひと呼吸だけ休むことにした。休憩所はこの後に もうひとつあるのだが、バテるのを計算予測したかのように絶妙なポイントに建っている。

この東屋での小休止は、静かで穏やかで清浄な別世界だった。普段はおびただしいほど雑多な音に囲まれ生活をしている。その雑音すら気にならないほど馴らされてしまったわれわれ現代人。 無音室(無響室)というものに入ると、10分で落ち着かなくなり、30分も居れば我慢できなくなるという。

無音室はすこし極端な例だが、いずれにせよ多少の音楽や騒音の聞こえる環境の方が落ち着くものらしい。今まで漠然とそう思っていたのだが、どうやらそうでもないようだ。

                        比地大滝つり橋から上流方面の眺望

このヤンバルの自然のなかで動きを止めると、一気に静寂に飲みこまれてしまう。

しかし不安になるどころか神経は穏やかに落ち着いてくる。静寂には水のせせらぎや小動物の声などが、うっすらとかすかに含まれているからだろうか。

第1の休憩所を出るとすぐに大きなつり橋に着いた。比地川を横断する長さ50mのつり橋である。

川の右岸に沿っていた遊歩道がこの橋を渡り、今度は左岸を上流に向かって伸びてゆく。

高さも15m以上はあるだろうか、足元が揺れながら渡るつり橋も一興。

つり橋を渡りしばらく歩くと川の岸辺へと降りられるポイントがあった。

山歩きと暑さですっかり蒸されてムクんだ足を冷やしたくなり水ぎわへと降りた。裸足になり石づたいに快適なポジションを探した。

腰かけながら流れに足をつけられる岩を発見。ヒヤリとした感触の流れが足をくすぐってゆく! 心地良さ200%!

そのまま岩の上に仰向けになると、真っ青な空から深緑の樹林が滝のように降りかかってくる。顔の上をすべる風も清爽で、つい不覚にも眠ってしまった。

目を開けると太陽の位置がずれており、時計を見ると40分近くも眠っていたようだ。よく川のなかに転げ落ちなかったものである。

変化に富む比地川の流れ

鋭気をとり戻し大滝目指して再出発した。 はずなのだが、前行程にも劣らぬ高低差の激しさで、途中何度か休むありさまであった。

休むたびにこの川の流れを鑑賞してみたが、実に変化の多い川で飽きのこない表情をいくつも見せてくれていた。

比地川は与那覇岳を源流として全長7.6 kを流れて東シナ海へと流れ込んでいる。

水量の多い川だから滝をつくったりしているが、場所によっては途切れそうなほど細い流れになったりして、小川のような風情も見せてくれる。

ほぼ後半には休みを取らずに大滝まで一気に歩き通したが、沖縄歩きに慣れた体力でも厳しい道行きであった。

大滝が見えてくると行程がきつかった分だけ、それなりの達成感が湧いてくるのだ。

小さい滝だが形はよく、遠目でも温雅な景観をしている。

岩場を伝いながら滝つぼ近くまで行ってみたが、落ちた清流が飛沫となって中空を舞っていた。陽を浴びた飛沫が輝き、マイナスイオン満開だ!

もっともマイナスイオンについて、効用の真偽を巡り学会で論争されているが、この際そんなことはどうでもいいのである。気を充溢させてくれれば、それだけで充分に効用はある。

片道に1時間弱かかる小旅行だが、確実に非日常感を味わえる貴重な大自然遊歩道であった。

            遊歩道の最終ポイント、比地大滝


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