今帰仁城跡 −なきじんじょうあと−

北の地に泰然とあたりをはらう古城跡

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琉球三山時代の北部を睥睨していた巨城の跡である。1416年 この北山最大の城が中山王に攻め落とされ、本格的な統一王朝が誕生したという、云わば戦国三山時代の幕引きとなったグスク。

1.5キロにおよぶ波打つ城壁の美しさは、数あるグスクの中でも群を抜いている。また寒緋桜の名所としても名高く、2月頃 郭内に咲く濃紅色鐘形の花は白い城壁と相まって見事な情景をつくるという。

一方は断崖で下は志慶真川(しげまがわ)が流れ、もう片方は志慶真森の樹林におおわれた谷間という天然の要害に守られた堅牢な古城である。標高100mの険しいその丘陵地に、10からなる城郭で構成されていた。首里城にも匹敵する大規模なグスクである。


最初に迎えてくれるのはグスクに棲む猫たち

入城券は城門前のお土産ショップで売られているが、その店近くで訪問者を出迎えてくれるのは今帰仁城に棲みついた猫の一団。怯えることもなく、のんびりとした寝姿で観光客を和ませてくれている。

  入城料は猫が戯れるこのお店で

そしてつぎに出迎えてくれるのが城の正門にあたる 「平郎門(へいろうもん)」 である。くぐりの真上は分厚い一枚岩で固められ、両脇には狭間(はざま)が設けられていた。

門を一歩入るととその狭間には人が入れるようになっており、銃眼までうがたれている。また狭間わきから城壁に登れるように精巧な石段が組まれてもいた。

城内に入るとは真っ直ぐに延びた一本道が現れる。ていねいに石が敷かれた直線の道。両側は寒緋桜の列が行儀よく並んでいる。

蛇足ながら「平郎門」とこの石畳道は、日本復帰前の琉球政府時代に整備されたものなので往時の復刻ではない。

しかし城内にあった以前の道は旧道として案内されているので、岩がごつごつと顔を出し歩きにくいがその自然道を味わうことはできる。

整備された石畳道は西南方向へ線を引いたように伸び、その先には主郭へ登る石段が見える。左側には大隅(うーすみ)と呼ばれる大きな郭がある。大隅はもっぱら軍事調練が行われていた場所と伝えられており、大量の馬の骨が発掘されたことから馬場か厩舎が併設されていたとも推定される。

         平郎門(中央) 門の内側に設けられた狭間(左) 琉球政府時代に整備された石畳道(右)

階段を登りきると大庭(うーみゃー)と名のついた郭に入る。琉球のグスク様式の大きな特徴とも云えるのだが、正殿前にはほとんどが広場を造成している。この広場は琉球の按司(あじ)つまり領主にとっては領民・人民を統治するための政(まつりごと)である政治や神事を執りおこなう重要な場であった。

この大庭の北側に隣接している郭は御内原(うーちばる)と呼ばれている。女官が住まわったところで、拝所の御嶽もいくつか残されている男子禁制の聖域であったという。そしてこの御内原の北端が城内で最も眺望がよい。眼下には今帰仁村が一望でき、北に見える東シナ海洋上には「伊平屋」「伊是名」の島々や「与論島」まで見通せる。

一番奥まったところに主郭があり、残された礎石から本丸館の規模がうかがえる。郭域では首里城に匹敵するほどだが、さすがに居館のスケールは小規模である。また主郭の南側には祠がひとつ建っている。

この「火神の祠(ひのかんのほこら)」は、今帰仁城に駐留していた北山監守が王府の命で首里に引き上げた1665年頃に設置された祠である。以降祭祀を行う重要な拝所として大事に守られ今日まで参詣者が絶えたことはない。

御内原からの眺望(左) 御内原(中央上) 火神の祠(中央下) 主郭内(右)


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今帰仁城跡

住所 国頭郡今帰仁今泊 5101
開門時間 9:00〜17:00
入城料 400円(資料館共通券)
施設 駐車場(50台)・ショップ(城外)

問合せ 0980−56−4400(今帰仁城跡管理センター)

交通
 那覇空港より 160分(国道58号線を北上−名護宮里3丁目の信号左折し国道449号線に入る−屋部の信号を右折し県道72号線を北上−国道505号線にぶつかり左折−今帰仁城跡入口を左折スグ)

BUS 那覇BT 120分(名護西線20番)−名護BT 40分(66番系統循環線に乗り継ぎ)−今帰仁城跡入口下車徒歩20分

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