勝連城跡 −かつれんじょうあと−

風雲を巻き起こした琉球戦国時代の猛将、”阿麻和利”の城跡

            四の曲輪(左上)、三の曲輪へ昇る階段がうねりながらつづく(中央)、一の曲輪への石段(右上)

勝連城跡は沖縄本島中北部の東側に突き出た与勝連半島の根元にある。築城は13世紀頃とおおよその推定はされている。標高98mの孤立丘に建つこの城は4つ曲輪(くるわ)から構成されており、一番高い位置の「一の曲輪」から順に下がり低地の「四の曲輪」へとつづく。

”琉球王国のグスク及び関連遺産群”のひとつとして世界遺産に指定されている。直方体に石を切り出し、そのまま丁寧に積み上げる布積みを中心に組み上げられた城壁が美しい。

城主はいろいろ変遷しているが、なかでも阿麻和利(あまわり)という豪族が城主であった時がもっとも栄えたと伝わる。琉球では豪族を按司(あじ)と通称し、各地の有力按司が覇を競った15世紀の戦国時代のことである。


琉球王の座を狙ったが成就せず、夢破れて世を去った阿麻和利の居城として名高い勝連城。

四方に眺望が良く、南面近場には良港も持つ理想的立地の城と云える。

二の曲輪には、幅17m、奥行き14.5mの舎殿があったようだが今は無く礎石が残っているだけ。

三の曲輪は水場や儀式の広場など時代の推移で使用目的が変遷したように推定されている。

瓦葺の建物があったようだが今は何もなく小さな広場としか見えない一の曲。しかし最も高所のため四方の眺望は素晴らしく、かなり遠方まで見通せる。

南西には中城湾(なかぐすくわん)が広がりその彼方には南部の知念半島から久高島までが視界におさめることができる。

東には平安座島(へんざじま)・伊計島、北には金武湾(きんわん)を挟んで北部の連山が横たわる。


標高100m足らずの高さだが障害となるものがないため視界の広さは抜群で、三国時代より口承されている屈指の景勝であることが素直にうなずける一の曲輪である。

時代の寵児であった阿麻和利が大敗しこの城(グスク)が陥落したことは、三山戦国時代に事実上の終止符を打ったことを意味した。琉球史上においても感慨深い勝連城の跡である。


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勝連城跡
−かつれんじょうあと−

住所 うるま市勝連南風原3759番地
城郭 見学無料・開城時間制限なし
施設
 休憩所(9:00〜18:00)
 駐車場(40台)無料

問合せ 098−978−7373(勝連城跡休憩所)

交通
 那覇空港より 90分(国道329号線を北上−知花交差点右折−
   県道16号線を勝連城跡まで)
BUS 那覇BT 100分(屋慶名線27番・与勝線52番)−
    バス停 「西原」下車徒歩10分